ジャズ界の歌姫として活躍した阿川泰子さん
阿川泰子さんの経歴
1951年、神奈川県鎌倉市に洋画家の一人娘として生まれた阿川泰子さん。
中学校は水泳の名門校として有名な私立校・椙山女学園中学校に入学。
しかし、一年で水泳に挫折し、その後は演劇部に入部して活動されるように。
エスカレート式に椙山女学園高等学校に進学されて卒業。
高校卒業後は本格的に女優を志して上京。
文学座演劇付属演技研究所の第12期生となって演劇の基礎を学びました。
”麻里とも恵”の名義で少しずつ映画・テレビドラマに端役として出演するように。
⇒第66話「生き返った白骨美人」
⇒第21話「見よ!ウルトラ怪奇シリーズ 北の果てに女神を見た!」
少しの出番ですが、上記が阿川泰子さんの女優としての代表作品に挙げられます。
女優として活動するようになるのと同時に、メインでもない役で脱ぐことに疑問を感じるようになっていきます。
この当時、阿川泰子さんが脱いだ作品といえば…
この作品内で彼女は美バストを露わに。
(再)【GIFアニメ】阿川泰子Part4(女性ジャズ・ボーカリスト)ヌード,血を吸う薔薇,Agawa Yasuko – 裸のヌードの芸能人
週刊誌のグラビアページでも官能的なお姿も披露されています。
【画像】阿川泰子Part1(女性ジャズ・ボーカリスト)ヌード,熟女,血を吸う薔薇,Agawa Yasuko – 裸のヌードの芸能人
結局は女優のお仕事を辞めてしまった阿川泰子さん。
もともとジャズ音楽に興味をもっていた彼女は、ジャズ・クラリネット奏者の鈴木章治さんと出会い、ジャズ・ボーカリストを目指すようになりました。
その後はソロ・シンガーとしても活動され、ライブスポットで脚光を浴びるように。
1978年発売のアルバム『Yasuko "Love-Bird"』
歌手としては、こちらにてレコードデビュー。
4枚目となる…
1980年発売のアルバム『JOURNEY』
こちらはサラリーマン層を中心に9万枚を超えるセールスを記録。
それまでボーカルもののジャズ音楽といえば1万5千枚程度しか売れず、それまでの最高記録は笠井紀美子さんの5万枚だといわれていました。
この9万枚というセールスは、ジャズ業界における新記録を樹立したことがお分かりいただけると思います。
こちらでは古舘伊知郎さんと司会を務め、番組が終了する1994年までゲストとのトークや歌を披露されましたね。
それ以降もジャズ・ボーカリストとして存在感を発揮。
ライブ活動を中心に、現在もジャズ界の歌姫として活躍されています。
阿川泰子さんの主な代表作品
シングル
アルバム
『JOURNEY』
内容&収録曲
『SUNGLOW』
内容&収録曲
『オシャレ30・30』
内容&収録曲
『AMIZADE』
内容&収録曲
最近の阿川泰子さんの活動ぶり
現在もビクターエンタテイメント所属のシンガーとして活躍されている阿川泰子さん。
そんな彼女の公式ホームページはこちら。
阿川 泰子 | ビクターエンタテインメント
阿川泰子公式サイト by Timeland
ジャズ・ボーカリストとしてアルバムを発売しつつ、活動はライブ・コンサートをメインに据えているようですね。年齢的には70代のはずですが、その事実が信じられないほどの美貌を維持されていますよね。
これだけ美しいのに、これまで一度も結婚されていないというのも不思議な気がします。もともと阿川泰子さんは、あまり恋愛に興味がないのでしょうかね~
しかし、今もアクティブに芸能活動を展開しているところを見ると、このまま生涯現役を貫かれるのだと思います。ファンとしては嬉しい限りですね。これからの益々のご活躍・ご飛躍を祈願して、とりあえずは今回の記事を締め括らせていただきますね。
最後まで記事を読んでくださって、ありがとうございます。今後も気になる有名人を取り上げていきますので、また別の機会で皆さんとお会いできたら嬉しいです。