第4号:斉藤由貴
第4号の表紙は斉藤由貴。1984年に開催された第1回東宝「シンデレラ」オーディションでファイナリストとなった斉藤。同年開催の第3回「少年マガジン ミスマガジン」でグランプリとなった流れで、新春サービス特大号扱いの第4号で表紙を飾ることとなりました。
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第11号:工藤夕貴
第11号の表紙は工藤夕貴。当時の工藤は1984年公開の映画「逆噴射家族」で注目を集め、歌手デビューを果たしていた頃でした。その後、1985年公開の映画「台風クラブ」にて、若手実力派女優としての地位を確立していくこととなります。
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第12号:斉藤由貴
第12号の表紙は斉藤由貴。第4号に続いての登場で、1985年2月にシングル「卒業」で歌手デビューしたばかりの頃でした。同曲はオリコン最高位6位のヒットとなり、既にCM「青春という名のラーメン・胸騒ぎチャーシュー」で注目を集めていた斉藤は、一躍トップアイドルの仲間入りを果たすこととなります。
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第20号:南野陽子
第20号の表紙は南野陽子。1984年から1985年にかけて日本テレビ系列で放送されたドラマ「名門私立女子高校」への出演で、芸能界デビューを飾ったばかりの頃でした。
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第29号:南野陽子
第29号の表紙も南野陽子。1985年6月にシングル「恥ずかしすぎて」で歌手デビューするのに連動し、週刊少年マガジンで再び表紙を飾りました。
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第30号:石野陽子
第30号の表紙は石野陽子(現・いしのようこ)。1985年4月にシングル「テディーボーイ・ブルース」で歌手デビューしたばかりの頃でした。石野真子の妹としてデビュー当初から注目を集めており、その後「志村けんのだいじょうぶだぁ」などのバラドル路線でも人気を博しています。
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第36号:八木さおり
第36号の表紙は八木さおり。1985年開催の第4回「少年マガジン ミスマガジン」でグランプリを受賞した流れで、早速の表紙登場となりました。
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第37号:岡田有希子
第37号の表紙は岡田有希子。当時の岡田はCMや写真集の撮影のため、スイスなどヨーロッパを訪れており、その際に撮影されたグラビアが誌面にも掲載されています。
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第46号:八木さおり
第46号の表紙は八木さおり。前回の表紙掲載などでグラビアアイドルとして正式なデビューを飾った八木。それ以降は週刊少年マガジンだけでなく、「DELUXEマガジン」「DELUXEマガジンORE」などでも活躍していくこととなります。
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第47号:八木さおり
第47号の表紙も八木さおり。2週連続の登場であり、アイドルとして講談社がプッシュしていたことが伺えます。翌1986年以降の八木ですが、グラビアアイドルとしての活動の傍ら、女優業などへも進出。ドラマ「ジェニーがやって来た」「ひみつのアッコちゃん 伊豆の踊り子物語」、映画「パンダ物語 熊猫的故事」で主演を務め、1989年には舞台女優としてもデビューを果たしています。
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第16号:長州力
番外編としてご紹介するのは、第16号の表紙を飾った長州力。女性アイドルの印象が強い週刊少年マガジンの表紙ですが、プロレスラーが表紙になることもありました。当時の長州は、藤波辰巳との抗争で「革命戦士」としてブレイクしていた頃。80年代半ばに行われたアントニオ猪木やジャンボ鶴田との試合は、プロレス大賞「年間最高試合賞」を受賞しています。
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今回ご紹介する、週刊少年マガジンの表紙を飾っていたアイドルは以上となります。皆さんの記憶に残る表紙はありましたでしょうか?
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