
明石家さんまこと杉本高文は、1955年7月1日、和歌山県東牟婁郡(現;串本町)に生まれた。
さんまの干物などをつくる水産加工会社「杉音食品」を経営する父:垣、母:つぎ代、祖父:音一、4つ上の兄:正樹という5人家族。
さんまが生まれた半年後、杉本家は奈良県奈良市奈良阪町へ引越し。
2年後には母、つぎ代が亡くなり、葬儀の最中、何が起こっているのか理解できず庭で無邪気に遊んでいたさんまは、飼っていた犬のベルに左腕を嚊まれ大声で泣いた。
実母の3回忌を終わると、父、垣が再婚。
やがて8つ下の弟、正登が生まれた。
継母は自分の子供、正登ばかり可愛がった。
さんまと兄:正樹は、まるでそこにいないかのように無視されたり、隣の部屋で酒を飲みながら継母が
「ウチの子供はこの子(弟)だけや……」
というのを聞いたこともあった。
「2人でよう2段ベッドで泣きましたわ。
せやから高文は酒飲む女の人が苦手なんです」
(兄:正樹)

両親は仕事で忙しく、さんまの遊び相手は、兄、正樹か祖父、音一。
マジメな父、垣と違い、祖父、音一は
「最高に面白いおじいちゃん」
だった。
風邪を引くとおでこに絆創膏を貼ったり、メガネ屋に行ってイスに座り、
「で、先生はいつごろおいでになるんでっか?」
と眼科と間違えたフリをして店員を笑わせた。
祖父、音一、兄、正樹、さんまの3人は、ベルの首に杉音食品の前掛けをつけたり、目の周りをマジックでフチどりしたり眉毛を描いて散歩するなどして、近所を笑わせ、
「奈良の3バカ大将」
と呼ばれた。

兄は「正樹」弟は「正登」、さんまはなぜ自分の名前(高文)だけ「正」の字が入っていないのか悩んだ。
しかも服はほとんど正樹のおさがりで、家族の話題の中心は、人当たりにいい正樹と幼い正登。
疎外感を感じ、思った。
「なんせ兄貴がかわいがられて、俺は次男坊やから悔しくて。
なんとか兄貴に勝とうと・・・」
兄弟は毎年夏休みになると和歌山に帰郷していたが、とにかく勝ちたいさんまは有名人のモノマネや面白トークで親戚を爆笑させた。
こうして10歳にしてお笑いに目覚めたさんまは、学校でも同級生の岡田と漫才コンビを結成。
ネタづくりとツッコミを担当し、アドリブを入れたテンポがいい漫才で同級生を爆笑させた。
「よーい、ウドン!」
といって笑いが起こるのがたまらない。
かつて「泣きミソ」といわれていたさんまだったが、人前ではいつも笑顔で、一切泣くことはなくなかった。
小6になって大塚とコンビを組むと、漫才を披露する前日は大塚家に泊まって稽古した。

さんまは小学生時代、森で石を投げて遊んでいると偶然、ムササビに当たり、落ちてきたから捕獲。
「ムササビを捕まえた少年」
として話題になった。
そのムササビは剥製にされ、今でも小学校の応接室に展示されている。
日頃から笑いをとるためにはなんでもやるさんまは、マジメな話をしても信じてもらえないことが多い。
ムササビは証拠があったため問題なかったが、
「火の玉を見つけて、手では触れないのでフロ桶を持ってきて上からかぶせた」
という話はさすがに誰も信じてくれなかった。
和歌山のお墓で火の玉が現れ友達が「トートトトトッ」と追い込み、さんまが親戚の家から取ってきたフロ桶をかぶせて捕まえたという。
開けてみるのは怖いのでさんまは急いで家に帰って祖父に
「おじいちゃん!火の玉をつかまえた!」
というと、寝ていた祖父がガバっと起き上がり
「コラッ!
ワシをフロ桶にいれやがって!」
と叫んだ。
お墓に戻りフロ桶を開けてみると何もなく
「火の玉をつかまえなかったら、おじいちゃんは助からなかったかもしれない」
という。

中学校に入ると同級生の服部、川崎と「あーあーズ」を結成。
社会科の佐伯先生が、話す前に必ず
「ああ、・・・」
と前置きをするのをみて、それをネタにして笑わせていたさんまが、あまりのウケのよさに
「佐伯のファンクラブを作ろう」
と思ったのがきっかけ。
しかし実際、アーアーズは佐伯先生のファンクラブなどではなく
「あーあーズ集合!」
といって突発的に集まって笑いをとる集団だった。
クラブに所属していなかったあーあーズのメンバーは、
「スポーツは基本だ」
ということで基本しかしない「基本部」を創設。
活動内容は、試合も何もないのに教室でのランニング、廊下でのダッシュ、腕立て伏せ、腹筋、背筋など基本トレーニングを繰り返す。
狭い教室をグルグルを回る基本部をみて、みんなが笑うと、3人は
「ウケてる」
とますますトレーニングに励んだ。
そしてトレーニングが終わると雑談タイムに入った。
校舎と校舎の間の中庭で、木に火薬玉を詰め込んで爆破さるイタズラでは、ガラスが割れて、警察が出動する騒ぎになった。
「どうしよう」
と水道の陰に隠れるあーあーズ。
「速やかに出てきなさい」
警察に拡声器でいわれ、さんまの横で服部がワンワン泣いた。

また大塚との漫才コンビも続けていたさんまは、あるとき
「大塚君と杉本君って面白いね」
といわれ、すべてのネタを考えていたさんまは違和感を覚え、以後、1人でできる笑いを探求。
身近で起こったエピソード、ラジオで聞いた小噺、MBSヤングタウンの桂三枝のネタでみんなを笑わせ、落語をするときは「桂高文」と名乗った。
中3のとき奈良県文化会館で笑福亭仁鶴が司会を務める人気番組「仁鶴とあそぼう!」の収録が行われ、友人と観にいった。
放送当日、テレビでみていると一瞬、画面の右上に観客席に座る自分が映り、さんまはうれしくて部屋中を走り回った。

中学校の相撲部が団体戦に出るための人数がそろわず、さんまに依頼。
引き受けたさんまは、1週間稽古を積んで奈良市内の相撲大会に出場。
・目立つこと
・勝つこと
をテーマに肩透かし、蹴返しなどトリッキーな相撲で個人戦では決勝に進出。
相手の吉田は、自分より倍以上はある体格。
さんまは、まともにぶつからず奇襲をかけ続けたが勝てず、2位。
団体戦では優勝を果たした。

高校に進学すると、流行の不良学生ファッションに影響され、長めの学ラン、裾を絞ったダボダボのズボン、黄色の長靴、黄色の軍手、晴れの日でも雨傘を持って登校。
毎週、海外サッカーを報道する番組を欠かさずチェックし、イギリス、マンチェスターユナイテッドのジョージ・ベストの容姿、プレースタイル、人生、そのすべてに憧れていたさんまは、サッカー部に入部。
サッカー部は創設間もない同好会で部員も少なかったが、サッカー経験者ばかりで初心者はさんまだけ。
「ジョージ・ベストみたいになりたい」
という一心で練習し、2年生でレギュラーとなった。

部活以外では、峠、長岡、大西、戒井ら親友と過ごした。
入学後、最初の体育でみんなジャージの上着の中央に名前が入っているのに、何を間違ったのか大西康雄だけ下のジャージの股間の部分に大きく「大西」と入っていた。
みんなが大笑いしながら大西に群がるのをみて、さんまは
「コイツすごいな。
こんな奇跡みたいな間違い起こるんか」
と感心。
その後、鉄棒に飛び乗った大西が前方回転するとジャージが脱げて下半身丸出しとなり、再び全員大爆笑。
さんまは
「俺、コイツと絶対親友になる」
と確信すると共に
「負けてられん」
と気を引き締めた。

高校では3年間、想い続けた女性がいた。
1年生のとき、隣のクラスにいたその女性によく教科書を借りていたが、ある日、自分の時間割に合わせて教科書を持ってきてくれていることに気づき、その瞬間、恋に落ちた。
しばらくして紙袋を渡されたが、中身がその女の子の友達がつくったマフラーだと知ると彼女の自転車のカゴに投げ返した。
しかしそれは地面に落ちてしまい、捨てたと思った女の子は以後、さんまと口をきかなくなった。
それから2年もの歳月をかけ、さんまはやっと初デートにこぎつけた。
我が事のように喜んだ大西は映画「007 死ぬのは奴らだ」の招待券を2枚渡し、デートの予行演習にも協力し、さんまの家に泊まって練習相手となった。
喫茶店に入った設定で大西は女の子役として
「私、フルーツポンチぃ」
と注文。
それらは録音され仲間で聞いてダメ出しを行った。

デート当日、映画館はガラガラで、2人はやや後方の席に陣取った。
女の子はさんまが脱いだ制服をキレイにたたんで自分の膝に置いた。
「この世に女神っていたんだと思うくらい、天使が舞い降りたと思うくらいかわいかった。
もう勃起してるわけよ」
スクリーンでは予告編が終わり本編の上映が始まろうとしたそのとき、後方から聞き覚えのある笑い声が・・・・
振り返ってみると最後列に峠、長岡、大西、戒井たちが座っていた。
「ちょっとすまん」
そういってさんまは彼らのところへいった。
「お前ら何しとんねん」
「何しとんねんて心配やからついて来たんやないかいい」
彼らは詰襟を内側に折ってスーツ風にしていた。
「背広みたいでカッコええやろ。
マネしてええぞ」
「ほんまアホやな。
もうええから早よ帰れ」
「手ぇつなげよ」
「もうええっちゅうねん」
「男になれ!」
さんまは売店でジュースを2つ買って席に戻った。
「すまんなあ。
勝手についてきよったんや」
「大西君?」
笑いながらいう女の子。
スクリーンの映画に集中し、何気なく手すりに手を置くとそこに女の子の手があった。
その手に触れた瞬間、さんまの体は電流が走りイスから立ち上がってしまい、女の子は真っ赤な顔でうつむいてしまった。
硬直する2人に、後ろから笑い声と声援を送られた。

映画館を出た2人は夕暮れの奈良公園を歩いた。
さんまは後ろを確認したがついてきていない。
2人はベンチに座った。
大西との予行演習ではここでキスを迫ることになっていた。
女の子の話を聞きながら
(次の沈黙で・・)
(次の沈黙で・・)
を機会をうかがった。
すると草むらから大西が顔を出し、投げキッスのジェスチャーでGOサイン。
さんまはそれに応じず
「今日はすまんかったな」
「ううん、映画も面白かったし楽しかったよ」
「そやな」
「うん」
と言葉を交わして立ち上がり駅に向かって歩き出した。
翌日、大西はさんまが制服を脱ぐ度、大西はそれを畳んで膝の上に置き、さんまに触れる度に飛び上がって驚いた。

ある日、全身にトイレットペーパーを巻きつけたさんまは、ロープで吊るされて2階から1階へ降下。
「ミイラ男だ」
と叫び、1階の生徒の視線を一身に浴びた。
すると学校で1番怖い教師、乾井が現れたので逃走。
運動場を全身のトイレットペーパーをなびかせながら逃げる姿に校舎中から笑いや声援が起こった。
乾井は頑丈そうな体と厳格そうな顔を持つ体育教師。
鉄拳による体罰も辞さない指導で全校生徒から恐れられ、笑わせるためなら他人の迷惑など顧みないさんまにとっては天敵だった。
運動会では、まず徒競走でスタートと同時に逆走し、笑いをとったが、乾井に怒られた。
クラス対抗リレーでは、自分だけ封筒を置いて借り物競走のフリをして靴を探しに行って、乾井に怒られた。
クラブ対抗リレーでさんまはサッカー部のアンカー。
第1走者から、サッカー部と陸上部がデッドヒートを繰り広げ、後のクラブは団子状態。
そしていよいよアンカーが登場し、バトンを受け取ったさんまは勢いよく走りだした。
しかし来賓席の前あたりでスローダウン。
後続のクラブもそれに従い、最後はみんなで手をつないで歩きだした。
「杉本ぉ走れぇ~」
乾井が拡声器で怒鳴ったが、さんまは涼しい顔で歓声に応えていた。
「運動会中止じゃー!
ピィー」
笛を吹きながら乾井が鬼の形相で向かってくるとアンカーたちは一目散に逃げ出した。
この間、グラウンドは歓声と笑いで揺れていたが、さんまが捕まった瞬間、静まり返った。

運動会は中断となって、8人の
アンカーたちはグラウンド中央で正座。
「お前ら何考えとるんじゃ!
パシーン、パシーン、パシーン・・・」
静かなグラウンドに乾井が竹の棒で頭を殴る音が響く。
さんまの横の生徒の順番になり、竹の棒が勢いよく頭に振り下ろされたが、なぜか
「ポコン」
とおかしな音がして、さんまは笑いをこらえきれず両手で顔を覆ってうつむいた。
体を小刻みに震わすさんまをみて乾井は地面に置いていた拡声器を取り
「杉本は泣いて反省しとる。
みんな許したってくれるか?
みんなが力を合わせて一生懸命準備してきた運動会を台無しにしたことを許したってくれるか?」
と熱く語りかけ、
「杉本、お前からも一言みんなに謝れ」
とさんまに水を向けた。
するとさんまは顔を隠していた手を開き、おどけたポーズ。
グラウンドに笑いが広がり、ア然とする乾井のスキをついて逃げ出した。
「杉本ぉ~ピィーーー」
拡声器はハウリング。
怒り狂う乾井は、ものすごいスピードで先回り。
ジョージ・ベストばりのフェイントでかわすさんま。
しかし最後は捕らえられ、新聞部はその瞬間をカメラに収め、後日、学校新聞に大きく掲載した。

「最初はプロや。
プロにいかなカンアカン。
なんも知らんかったら女に恥かかせる。
男っちゅうのはベッドの上で女に恥かかせたらアカン」
兄、正樹の言葉を、母親のブラジャーで外す練習をしていたさんまと大西は羨望のまなざしで聞いていた。
そして2人はパチンコで稼いだ6000円を持って大和郡山東岡町にあった非合法の遊郭にいった。
「学生さん?
ええ子いてるよ」
中年の女性に引き込まれた店の名は「あずまや」
さんまの相手は30代半ば、色白の女性で、無事、気持ちよく初体験を終えた。
男として一皮むけたさんまが外で待っていると大西が肩を落として出てきた。
「最悪や。
俺の相手、さっきここで水まいてたオバちゃんやった」

昼間は常に
「何やって笑かそ」
と考え、家に帰ると
「明日は何で笑かそ」
が宿題。
テレビやラジオでネタを仕入れ、ノートに書いた。
そして登校すると、落語、漫談、登場人物を1人でこなす「ひとり巨人の星」、声なしでスポーツ選手の動作を真似る形態模写などを時間の限りやり続けしゃべり続けた。
文化祭では教室1つを使って、2時間の公演を開き
『いやあ京子ちゃん、パーマ当てたん?』
「違うの、昨日、脱水機に頭から突っ込んだの」
『いやあ京子ちゃん、かわいいブレスレットして
「違うの、いま警察に捕まってるの」
『いやあ京子ちゃん、パンツはいてへんやろ?』
「なんでわかるの」
『スカートはいてへんもん』
と新作、京子ちゃんシリーズをリリース。

英語教師、坂本は、ときどき授業を中断し、さんまに新作を発表させた。
そして
「杉本、お前、吉本に入れ」
といった。
「芸人って売れへんかったら悲惨ですよ」
「お前は絶対イケる。
俺が保障したる」
「売れんかったら先生の養子にしてもらうで」
「それだけは勘弁してくれ」

高3になった春、体育館で新入生に向けてクラブ説明会が行われ、サッカー部副キャプテンのさんまは、1番目最初に登壇。
ペーパーなし、完全アドリブで笑いをとりながらサッカー部を紹介。
大きな拍手を浴びて降壇した。
すると2番目のバスケットボール部のキャプテンが
「杉本、バスケット部の紹介もやってくれへん?」
というので
「おお、ええよ」
と引き受け、再び壇上へ。
「えーバスケットボール部の杉本です。
バスケットボールに君の青春をかけてみないか?」
爆笑をとって降りると
「俺んとこも頼むわ」
とテニスキャプテンに頼まれた。
「よっしゃ、まかせとけ」
3回目からはさんまが登壇するだけで笑いが起きた。
「そろばん部の杉本です。
よろしくお願いします」
「俺はー相撲部の杉本じゃー」
口調やキャラクターを変えながら結局、21あるクラブのすべてを紹介。
新入生は疲れるほど笑い、さんまにとっても人生で1、2を争うほどのウケだった。

ある日の放課後、さんまが教室でしゃべっていると、サッカー部の後輩が飛び込んできた。
「殴りこみです」
サッカー部員が他校の生徒をトラブって、相手の学校が仲間を引き連れ校門前まで来ているという。
(俺関係ないやん)
さんまは内心そう思いながら、後輩の手前、校門へ向かった。
(多分、殴られるんやろうなあ。
痛いやろうなあ。
でもガマンしよ。
手ぇ出しても絶対にやられるから絶対抵抗せんと、そのうち誰かが助けに来るやろう。
冷静に冷静に)
と自分に言い聞かせながら校門に近づくとあちこちから
「おお!杉本や」
「杉本先輩よ!」
という声が聞え、それに相手の高校の眉毛を剃り落とした男が反応し睨んできた。
「お前、誰や!?」
「杉本いうもんやけど」
「杉本?」
相手はなにやら相談し始めた。
「杉本ってヤーちゃんの知り合いの杉本か?」
「ヤーちゃんて吉田のヤーちゃんのことかいな?」
「おお」
「まあ知り合いやけど」
吉田のヤーちゃんとは中3のときに相撲大会の決勝で戦った吉田のことで、その後、奈良の総番長となっていた。
「自分かいな。
ヤーちゃんと相撲でええ勝負したいうんは・・・
よう聞いとるわ。
まあほんなら帰るわ」
といって男たちは去った。
心臓はバクバクと音を立、足はガクガクと震えていたさんまは、胸をなでおろし、振り返った瞬間、学校中から拍手が起こり、笑顔で両手を挙げて応えた。
この一件の後、新聞部が全校生徒を対象に行ったアンケートを行ったところ「好きな男性芸能人部門」で郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎らアイドルに並んでさんまは7位にランクイン。
他校の女生徒がさんまの顔をみるためにやってきて、さんまは自分のサインを50円で売った。

このとき笑福亭松之助は48歳。
22歳で笑福亭松鶴に入門し、いつもいかに目立つかを考え、タキシードに半ズボンとサンダル、あるいはシャツにネクタイをしめて上から着物を羽織って高座に上がったこともあった。
落語だけでなく、宝塚新芸座(芸人を中心とした軽演劇集団)、吉本ヴァラエティー(新喜劇の前身)、松竹芸能の劇場でも役者や作家として活躍し、テレビや映画にも出演するなど落語家としてハミ出した活躍をしていた。
「この人の弟子になりたい」
直感的に思った18歳のさんまは、秋、京都花月の裏の公園で入り待ち。
やがて姿を現した笑福亭松之助に声をかけようとしたが緊張して声が出ない。
気づかず楽屋口に向かう笑福亭松之助に思わず
「ちょっとちょっと」
と大声で呼び止めてしまった。
「なにか?」
「あのぉ、奈良から来た杉本という者ですけど、弟子にしてくれませんか?」
「落語やりたいの?」
「はい、あのぉ・・・」
「ほな今からワシ、舞台あるからちょっと待っとき」

そして数時間後、出てきた笑福亭松之助は、さんまにいった。
「ワシの弟子になりたいん?」
「はい!」
「なんでワシの弟子になろう思たん?」
「いや、師匠はセンスありますんで」
「ガッハッハッハ」
笑福亭松之助は大笑い。
「ほな今からラジオあるさかい、一緒においでぇな」
「はい!」
こうしてそろって近畿放送へ。
ラジオ番組への出演を終えた笑福亭松之助は行きつけのラーメン屋に移動。
ラーメンをすすりながら2人は初めてまともに話をした。
「死んだ新聞に載るような有名人になりたいんです」
「ワシもや!
でもこの世界はかんたんにメシ食われへんぞ」
「わかってます」
「それわかってんねんやったらええわ。
とにかく親にちゃんと事情を説明していっぱん連れて来ぃ」
そういって笑福亭松之助は去っていった。

「俺、落語家になるわ」
さんまが家族に経緯を説明すると、家業を継がせたい父、恒は
「許さん。落語家みたいなもん、誰がならすか!」
と声を荒げて猛反対。
互いに一歩も引かず、後日、親戚が集まって会議が行われることになった。
「高文ちゃんやったらやれるんちゃうか」
「イケる、イケる」
「落語家になれ!」
結局、反対したのは父、恒だけ。
圧倒的多数の賛成を受け、1974年2月、さんまは高校卒業を待たずに弟子入り。
自慢の長髪を
「全部刈ってこい」
といわれ丸坊主になって芸人の道を歩み始めた。
入門初日、笑福亭松之助がレギュラー出演するラジオ「ポップ対歌謡曲」に同行。
共演者はさんまが毎週欠かさずみていたドラマ「おさな妻」で主演していた浅田ルミだった。
「サイン、もらっていいですか?」
「お前、あんなもんのファンなんか?」
2人のやり取りを笑いながら聞いていた浅田ルミはサインと握手をしてくれた。
1ヵ月後、高校の卒業式にさんまは坊主頭で参加すると会場はどよめいた。

さんまは、住み込みではなく、毎日、奈良の実家から兵庫県西宮市鳴尾町の笑福亭松之助の家まで90分かけて通う、通い弟子。
まずは朝食づくり。
だったが、最初は米のとぎ方も知らず、笑福亭松之助に教えてもらった。
朝食後は笑福亭松之助の長男を小学校、次男を幼稚園に送り届け、掃除、犬の散歩。
劇場におくと笑福亭松之助の世話をして、舞台を見学。
出番を終えた笑福亭松之助の背中をふいて、着物を畳み、酒を買いに行かされた。
酒を受け取った笑福亭松之助は、さんまに小遣いを与え
「世間をみてこい」
こうして2回目の出番までは自由時間となり、さんまは芸人仲間としゃべったり、町を歩いたり、映画を観たりした。

松之助の出番が終わると帰りの電車で松之助から芸について話を聞く。
あるとき舞台に立つときの心構えについて説きながら、松之助は
「わかってんのか」
といいながら何度もさんまの脇腹を拳で突いた。
さんまは何度もうなずきながらありがたく話を聞いていたが、電車が甲子園駅に着いて歩き出したとき、脇腹が痛み出し、へたり込んでしまった。
「そのとき初めてボディブローは追い追い効いてくるってわかってん」
夕食を終えると芸の稽古。
落語を教えてもらうのは週3回で、後は笑福亭松之助の体験談。
そして翌日のスケジュールを聞いてから帰った。
笑福亭松之助は
「落語家である前に人間であれ」
という主義で、自身、禅や人生論などさまざまな本を読み
「ワシのカバンもって噺がうまくなるわけない」
とカバンをさんまに持たすことはなかった。
テレ屋の笑福亭松之助は、さんまが帰るときによく手紙を渡した。
さんまがそれを後で読むと、そこには松之助自身の体験談や本からピックアップしたいい話が、紙いっぱいに書いてあった。
さんまは教わったことをノートの書き留めた。
