デカすぎてハミ出てしまう男 篠原信一(1) オリンピックすら凌駕するデカさ

デカすぎてハミ出てしまう男 篠原信一(1) オリンピックすら凌駕するデカさ

史上最強クラスの強さでシドニーオリンピックに乗り込み、誤審により銀メダル。しかし一切、審判を批判せず「自分が弱いから負けた」の一言だけ。侍のような精神力的強さも見せつけた。


大学3年生のとき、体重無差別で争われる全日本学生選手権で大外刈りを武器に優勝。
決勝戦、たくさんの観客にみられる中、
「絶対に勝たなアカン」
という気持ちで体中が熱くビリビリと痺れた。
そして無我夢中で戦って勝ったとき、何かが一気に解放され、喜びが湧き上がり、日本武道館の歓声が自分の中に飛び込んできた。
それはいままで味わったことのない、日常の生活とは次元の違う感動だった。
大嫌いだった柔道が初めて好きになり、それまで「やらされていた」練習が
「俺、オリンピック、世界選手権、イケるんちゃうか?」
と大きな目標を持って
「やるぞ」
と前向きに取り組めるようになった。
朝の1時間のランニングは、それまで授業や午後の練習を考えて抑えていたが、後先考えずに全力疾走。
道場での3時間の稽古は、ほとんど休憩せず、力の限りやり、練習が終わると周囲が雑談やストレッチを行う中、畳の上で倒れこんでしばらく動けなかった。
やがてと立ち上がると部屋に戻って飲みにいく準備。
そして飲みに行っても力の出し惜しみはしない。
「明日、朝トレやからほどほどにしよう」
なんて考えたら負け。
力の限り盛り上がり、盛り上がり続けた。
点呼のために25時に一時帰宅した後、またスナックに戻って26時、27時なんて当たり前。
徹夜で遊び続け、6時15分に後輩に店までトレーニングシューズを持ってきてもらい、6時30分から朝練に参加し走り込みを行うこともあった。
「いつもMAXまで出し切る癖をつけないとスケールの大きな男になれない。
遊びで力を出し切れない人は仕事でも力を出し切れないんじゃないかと思います」
そして大学4年生のとき、講道館杯で小川直也に判定勝ちし優勝。
正力杯優勝。
全日本学生選手権2連覇。
フランス国際で世界チャンピオンのダビド・ドゥイエ(フランス)を破って優勝。
初対戦こそ勝ったものの、後にドゥイエは篠原信一の柔道人生において最大に試練となる。

天理大学を卒業後、旭化成に就職。
月の半分は、延岡市にある旭化成の総務部で仕事をした後、柔道部で練習。
もう半分は、天理大学柔道部で練習。
宮崎県と奈良県を往復しながら、全柔連の強化選手として合宿に参加。
目標は、世界選手権、オリンピックの頂点、最強の柔道家だった。
就職後の春、体重無差別で行われる全日本選手権に初出場し、決勝で小川直也に横四方固で1本負けし2位
すぐ後に行われた全日本選抜体重別では3位。
秋、世界選手権無差別級で3位に入った後、幸世と結婚。
式は神戸のホテルオークラ、藤原紀香と陣内智則と同じ「平安の間」で行われた。
貧乏学生から一転、一定のお金が手に入るようになった篠原信一は、延岡のネオン街で遊びに目覚めてしまい、柔道の練習に身が入らなくなってしまった。
このままではダメになってしまうと危惧した周囲によって天理の学生寮に強制送還。
新婚の幸世は、1年近く、延岡市で1人で暮らすことになった。

1996年は、ドイツ国際は初戦敗退、全日本体重別は小川直也に敗れ3位、全日本選手権(無差別)は3回戦敗退と結果が出ず、アトランタオリンピックの日本代表にはなれなかった。
野村忠宏が金メダルを獲得するのを行きつけの飲み屋のTVで観て
「良かったなあ」
と思いながら、あることに気づいた。
「テレビで柔道観るの初めてや!!」
こうして子供の頃からオリンピックをみたことがなかった篠原信一がオリンピック観戦を初体験。
しかし結局みたのは野村忠宏の試合だけだった。

1997年、ロシア国際の2回戦でタメルラン・トメノフ(ロシア)に有効を3つも取られて負けながらも、敗者復活戦を勝ち上がり3位。
その後、フランス国際では5試合オール1本勝ちで優勝(2年ぶり2度目)
全日本体重別、初優勝。
全日本選手権(無差別)、3回戦負け。
世界選手権は3回戦でトメノフに大外刈でリベンジ。
決勝戦でドゥイエ(フランス)と2度目の対戦。
前回の対戦は、大学4年生のとき、同じフランス国際で篠原信一が勝っていた。
この試合、お互い好戦的ながら、なかなか組み合わず、主審が両者に「指導」
その後も同じような展開が続き、篠原信一だけに「指導」
直後、篠原信一は内股でドゥイエを空中に舞わせ、ドゥイエは半身で畳に落ちたが、ポイントはなし。
その後、ドゥイエが内股をかけたが、篠原信一に潰された。
以後、なかなか技が出ない両者に主審が「指導」
それでも展開は変わらず、試合時間残り数十秒、主審が副審を呼んで協議。
そして両者に「指導」を与え、4度「指導」を受けた篠原信一は反則負けとなり、ドゥイエの勝ちが宣告された。
内容的には間違いなくが勝っていた篠原信一は思った。
「なんで俺が反則負けやねん」
一見、公正ながら実際に試合をみるとやはり納得のいかない不可解なジャッジだった。
篠原信一は、トメノフ(ロシア)、ドゥイエ(フランス)と7年後、シドニーオリンピックで戦うことになるが、このときもジャッジで問題が起こる。

1998年、全日本体重別で優勝。
全日本選手権(無差別)も、東海大学2年生の井上康生を合技1本で破って初優勝。
体が大きすぎるせいか、ルックスのせいなのか、柔道界のプリンス、井上康生と対戦すると篠原信一は完全にヒール(悪役)となった。
投げると
「キャーやめてー」
倒れた井上康生に寝技で覆いかぶさると
「ダメー」
と女性の叫び声が飛んだ。
篠原信一は、
「ケッ」
と思いつつ
「このたくさんの井上康生のファンに紛れて自分のファンもいる。
きっと自分のファンは落ち着いた人ばかりなので、人前でキャーキャーいったりせず、寝る前に自分のことを思い出すようなタイプの人なんだ」
と信じていた。
野村忠宏もよく女性ファンから花や手紙をもらっていて、篠原信一は、
「ケッ」
と思いつつも
「自分は野村のようにチャラチャラしていないから、自分のファンは声をかけて気を遣わせたり手紙を渡すと迷惑なんじゃないかと遠慮しているんだ」
と信じていた。
篠原信一はそんな奥ゆかしくて控え目な隠れファンに支えられていた。

1999年は全日本選抜体重別で明治大学1年生の棟田康幸を破って優勝。
全日本選手権(無差別)でも棟田康幸から大外刈の技ありをとって2連覇。
世界選手権は、100kg超級で大外刈、無差別級で内股を決めて優勝。
11試合中10試合で1本勝ちという圧倒的強さで、山下泰裕、小川直也、ドゥイエに続き史上4人目の世界選手権2階級制覇を達成した。


2000年、全日本体重別で優勝。
全日本選手権(無差別)では井上康生を破って3連覇。
そしてシドニーオリンピックの日本代表に選出された。
山下康裕監督と斉藤仁コーチが率いる代表合宿のあまりの厳しさに、
篠原信一は
「理不尽、イソジン、斉藤ジン」
井上康生は
「いい意味で異常」
と悪口をいい合っていたが、斎藤仁はそれを知ると嬉しそうに怒ったという。
日本代表合宿では、ビデオで対戦相手を研究する「ビデオ研究」の時間が設けられていたが、斎藤仁コーチに
「やったことにしといてください」
とお願いし欠席。
事前の頭の中での対策より、どんな相手がどんな動きで来ても大丈夫なくらい体で強くなることが大事と信じていた。

シドニーオリンピックでは準々決勝まであまり手こずることなく勝ち進み、試合と試合の間にはTシャツに着替え
「タバコ吸ってくる」
といって控室を抜け、会場の外に出て、かなり離れた場所で気づかれないようにタバコを吸った。
「篠原、今日は吸いすぎるなよ
何本吸ったんだ?」
「あんまり吸ってないですよ。
5本です」
「吸いすぎだろ!」
斎藤仁に軽く怒られながら、準決勝を迎えた。
怪力のトメノフ(ロシア)にポイントをリードされるも大外刈で逆転勝ち。
この日、初めての激戦に汗だくになりゼイゼイいいながら控室に戻った。
控室で少し体が落ち着くのを待ってタバコを吸いに行こうと思ったが、決勝戦の時間がわからない。
一応、タイムテーブルは貼ってあるが、予定時間はあてにならない
「ちょっと聞いてきて」
と付人に頼むも、周囲は外国人ばかりでわからない。
スピーカーから聞こえてくる会場アナウンスも英語なのでわからない
試合前、ここから名前を呼ばれ、3コール目までに試合場に入らなければ失格となる。
(タバコを吸いに行っても大丈夫なのか?
大人しくいたほうがいいのか?)
結局、タバコをガマンして待つことにした。
試合直前の過ごし方は、寝ころんだり、イヤホンで音楽を聴いたり、タオルを顔にかけて集中力を高めたり、様々だが篠原信一の場合は雑談。
「タバコ吸いたいなあ」
『はあ』
「終わったら何食いに行く?」
『ガッツリ肉食いたいですね』」
と付人と他愛のない話をした。
そうして臨んだ決勝戦。
相手は3度目の対戦となるドゥイエ(フランス)
バルセロナで銅、アトランタで金、そして1997年の世界選手権で篠原信一に不可解な反則勝ちしている強豪。
一方、篠原信一も世界選手権でドゥイエに敗れた後、7年間は無敗だった。

なかなか思うように組むことができない中、どうやって1本をとるか、全身で集中し探った。
1分30秒、ドゥイエが帯をつかんで強引な内股。
篠原信一は跳ね上がってくる脚を外すようにすかし、相手の上半身を捻って投げる「内股すかし」
ドゥイエの体は空中を舞った後、背中から畳に落ちた。
篠原信一の体も投げた勢いで肩から畳に落ちたが、しっかりと投げた手応えがあった。
(勝った!)
と思わず両手でガッツポーズ!
勝ち名乗りを受け、礼をするために中央に戻ろうとしたとき、主審の
「有効」
の判定が目に入った。
(エッなんで有効なん?)
わけがわからないまま
「はじめ」
のコールがかかって試合再開。
頭の中には
(今のは絶対に1本やった)
という思いがずっとあった。
「待て」
がかかったとき、
「信一、お前(ポイントを)取られているぞ!」
という斎藤仁の叫び声が聞こえた。
(なんで)
そこで自分がポイントを奪われていることに気づいた。
(なんでやねん!)
試合は続いたが、心の中は疑念でいっぱいで、ドゥイエに集中することができない。
柔道の試合で誤審があれば、中断し協議が行われ判定をやり直すことがある。
篠原信一はきっと『やっぱりさっきのは1本でした』といわれて、試合が終わるのを期待していた。
しかしその気配は一向になく、電光掲示板を確認してもドゥイエの有効という表示は変わらない。
「信一、攻めろ!」
斎藤仁が叫び、篠原信一もがむしゃらに攻めたが、なかなか組ませてもらえない。
やがてドゥイエに
「注意」
が与えられた。
ポイントで並んだが、このまま判定になると投げてとった「有効」に「注意」は及ばない。
(ヤバい、このままでは負ける)
焦る篠原信一は、組もうとして逃げられ、技をかけてかわさを続けた。
残り1分、強引に繰り出した内股を返され
「有効」
と逆にポイントを奪われた。
試合終了のブザーが鳴り、ドゥイエが判定勝ち。
篠原信一は控室で頭にタオルをかけて号泣。
誰も声をかけられなかった。

やがて少しずつ興奮が冷めてくると試合展開が思い出されてきた。
頭の中で繰り返されるのは、内股すかしを決めた瞬間ではなく、その後の3分間半。
「なぜあのとき気持ちを切り替えて、集中力を取り戻し、もう1度投げて1本をとるという気持ちになれなかったのか」
という後悔が押し寄せてきた。
「そのとき最後まであきらめず戦い続けていたら金メダルを獲ったのは自分だった」
そう思うと悔しくて悔しくて、また涙があふれてきた。
最終的に篠原信一は自分の中で答えを出した。
「結局、自分が弱かったんだ」
表彰式のために試合場に戻り、銀メダルを首にかけられたが、悔しさしかなく涙が出た。
それを観た人は
「篠原は誤審で負けて悔しがっている」
と思ったがそうではなかった。
試合後、山下康裕や斎藤仁が審判や国際柔道連盟に猛抗議したが判定は覆らなかった。
篠原信一はそれをまったく知らなかったし、そもそも誤審だったかかどうかなど考えもしなかった。
その後、記者会見があったが
「出たくない」
と拒否。
説得され、なだめすかされ、なんとか会見に出て、カメラのフラッシュをバシバシたかれながら
「自分が弱いから負けたんです」
と一言でサッサっと切り上げた。

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