1968年メアリー・ベル事件とは
最初の殺人・4歳男児殺害
1968年5月25日空き家の2階で4歳のマーティ・ブラウン君の死体が見つかります。発見したのはたまたまこの空き家に鳩小屋を作るための古い木材を探しに来た3人の青年たちでした。
この時のマーティ君の事件は他殺の証拠がなく事故死とされました。その理由はメアリー・ベルは首を絞めてマーティ君を殺していますが、10歳の少女の力で絞めた後は残らなかったために他殺に証拠が残らなかったからです。
そしてマーティの遺体のそばに大量の薬の瓶が転がっていたために大量の薬を飲んでしまったことが死因だと片付けられてしまいます
メアリーはマーテイ君を絞殺して、親友のノーマ・ベルに遺体を見せようと呼びに行っている間に遺体は発見されてしまいました。
そうとは知らない青年たちは建物の中に入ってきて二回に上がって雇用とするメアリーとノーマを止めたと言います。
ノーマはメアリーの3歳年上で、ベルという同じ苗字ですが血縁関係はありません。
ノーマには知的障害があったと言われています。殺害現場に一緒にいたといことで共犯になるとして共に逮捕されています。
2番目の殺人・3歳男児殺害
マーティ君の遺体発見され、事件性がなく事故死とされたことはメアリーの期待外れの状態だったようです。メアリーは2か月後の7月31日、第二の犯行に及びます。この時メアリーは11歳になっています。
被害に遭ったのはブライアン・ハウ君3歳でした。この時も絞殺していますが、この時は「殺人」とされます。それは絞殺遺体にはわずかながら”跡”が残っていたためです。
ブライアン君の殺害でメアリーとノーマが事情聴取を受け、メアリーが犯人しか知り得ない話をしたことが決め手となり逮捕されます。
そしてブライアン・ハウ少年の遺体には"M"という文字ががカミソリで刻みこまれていました。
メアリーのイニシャルの”M”です。
メアリー・ベルの異常性
殺害後、遺族と接触
最初の被害者であるマーティ君がメアリーと接触する前、最後に会っていたのが叔母でした。メアリーはマーティ君の遺体発見後、叔母のところに行き、わざわざ事件の事を知らせてきて「場所を教えてあげる」と言いに来たと言います。
また、その後、今度はマーティ君に家に行き、『マーティ君は?』と尋ねていきます。母親は死んだことを告げると薄笑いを浮かべ『死んだのは知っているの。あの子が棺に入っているところが見たいのよ』と言ったとか...。
普通だったら。子供が死んだということだけでも恐ろしく思ってナーバスになるところが、メアリーが自ら悲しんでいる親族のところに行き、関わっていくというのは異常としか言いようがありません。
事故死にした警察を挑発
「わたしがころした」
「わたしたちがマーティ・ブラウンをころした。くそったれ。ゲスやろう」
「きをつけろ。ころしがあるぞ。」
ただ、この時も警察は悪質なイタズラだろうと取り合わわなかったということです。
この時にもっと警察が動いていたら、第二の犯行は防げたのかどうかはわかりませんが、この犯行声明ともとれるメモの発見から数週間後にブライアン・ハウ君の殺害に至ってしまいます。
異常なサイコパス!メアリー語録
普通の10歳、11歳だったら、”死”は怖いものと思うのではないかと思いますが、メアリーは死に対しての恐怖と言うより、死に対して悲しんだり、怖いと思っている人をあざ笑っているかの様な言葉を持っている少女だったように感じます。
メアリー・ベルの生い立ちと母親について

メアリー・フローラ・ベルは、1957年5月26日、イギリス北東部、タイン川河口近くの都市ニューキャッスルで生まています。
メアリーの母親は娼婦でした。17歳の時にシングルマザーでメアリーを産んでいて、父親も誰なのか分からない若い母親はメアリーに愛情を向けることはなかったと言います。
メアリーが生まれたころにはすでに新しい男もいて、結婚しますが、その男も仕事もせず、家にもあまりいなかったということです。
メアリーはたびたび親戚に預けられるなどしていました。それでも小学校では成績のいい子供だということです。ただその反面、虚言癖も目立つような子で同級生にけがをさせるなど素行の悪さも目立っていた様です。
メアリーが5歳になったころに母親はあろうことか、大人の男性の相手をさせようとします。実際まだ子供の体では受け入れられないと知ると口での行為を強要し、お金を稼いでいたと言われています。
友達もいないメアリーはその頃、仕事もしていない母親の新しい夫でしたが、唯一の話し相手で彼だけはメアリーを人間扱いてくれたと言われています。
愛されなかった結末
のちにメアリーは弱いものをイジメては快楽に感じる異常ぶりを逮捕後に語っています。また子供らしい一面として逮捕されたときに女性警察官に「ママは私を嫌っているの」といい、女性警察官が「そんなことないわよ」というと寂しそうに「じゃどうして私を置いて行っちゃうの?」と言っていたそうです。
やはり、親からの愛情が欲しかったんですね。生まれたときからサイコパスだったわけじゃないということです。幼児期の愛情がどれだけ人間形成に大事か....。
多くのサイコパス、シリアルキラーはその生い立ちに大きな問題があり、大きく影響されています。メアリーもまさにその一人だったということです。
メアリー・ベルの裁判~判決
裁判が始まると最初の殺人では当初、殺人の証拠がなく事故死とされていたことでメアリーとノーマは相手に罪のなすり合いをし無実を主張します。
供述を変え裁判を混乱させます。またメアリーの母親も裁判中に大声を上げるなどヒステリック状態になり裁判を妨害してしまいます。裁かれているのが11歳の少女...それだけでも異常な光景ですが、それ以上にメアリーを取り巻くものすべてが異常な状態だったとも言えるでしょう。
裁判の結果はノーマは”無罪”、保護観察処分、メアリーは2人の殺人の罪で有罪になりました。精神科医が「11歳とは思えないほど、彼女は賢いが危険である」と話しています・
メアリーは収容施設で精神治療を受けという形での懲役刑が科されます。
収監~脱獄
収容されていた期間は10年余りで1980年に釈放されます。
が、1977年にメアリーはもう一人の囚人と脱獄したことがあります。3日後には再び逮捕され収監されるのですが、のちにメアリーの妊娠が判明します。
脱獄をして、その後の生活を考えてもしかすると、母親の様に体を売り、お金を得ていたのかもしれません。その時メアリーは20歳になったころです。メアリーは獄中で娘を出産します。
その後、1980年5月14日にメアリーは釈放され、すでに22歳になっていました。
メアリーベルのその後
メアリー・ベルは自伝「魂の叫び」を出版します。
この本の中では、自分の生い立ちについて母親に愛されず、虐待され育ったことなど記されていると言います。
メアリーは2021年で64歳になっています。現在もイギリスで暮らし、孫もいるということですが、彼女が幼い頃に母親から受けた様々なことは現在でも解離性離脱障害などの精神疾患として残り、悩まされている様です。
それだけ彼女の生い立ちや受けた悪い影響は大きかった、重かったということです。
まとめ
メアリーが11歳の誕生日を迎える前日、1968年5月25日に起こった殺人という最悪の行為はメアリーがこの世に生まれたその瞬間からそうなるべきして起こったことだったかもしれません。
第二のメアリー・ベルをこの世に生まれないことを願うだけです。