立教大学助教授教え子殺人事件
昭和の戦争が始まる前に生まれて、幼い頃に親と別れ、大学に進学。助教授まで上り詰めた男の奔放な女性関係の末路は不倫殺人。そして妻との新婚旅行の地で一家心中という結末を迎える。
加害者の助教授に関わる人物は、全員が立教大学文学部英米文学科の関係者という特殊な背景を持つ事件だった。

立教大学
ファイル:2018 Rikkyo University 2.jpg - Wikipedia
加害者・大場助教授(38歳)
1935年(昭和10年)に静岡県で生まれた。幼い頃に両親が結核にかかり、彼は親戚の家に預けられた。その後、左官職人の家に養子にだされ、東京市の堀切に移り住む。
日本が戦争に突入した時期でもある。1937年に日中戦争が勃発、1941年12月に太平洋戦争が始まった。日本は戦争へ突入り、1945年8月15日に終結した。
大場は栃木県に疎開し栃木県立宇都宮高等学校を卒業後、立教大学文学部英米文学科に進学、1958年に卒業した。その後、立教大学の大学院に進学、修士課程を修了した。博士課程は、単位取得したが退学している。

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大場の専門は19世紀アメリカ文学で、英米心理主義小説、モダニズム文学小説の先駆者としても知られるヘンリー・ジェームス(1843年4月15日 - 1916年2月28日)を主に研究していた。1967年の文学部文学科英米文学専修紀要『英米文学』第28号に”ヘンリィ・ジェイムズ—『ボストニアンズ』について”掲載している。論文などは発表されていないものの、一般教育部の専任講師として採用され、研究者としての道を切り拓いた。1967年に32歳の若さで文科学系の助教授に昇格した。

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ファイル:Statue of Channing Moore Williams.jpg - Wikipedia
大場の妻J子(33歳)
大場より5歳年下の妻J子は、東京都目黒区大岡山の裕福な家庭に生まれた。立教大学文学部英米文学科を卒業。当時は講師だった大場と交際、親からの猛反対を押し切って結婚した。大場の奔放女性関係に悩み、ガス自殺未遂を起こしている。大場夫婦には6歳と4歳の二人の娘がいた。

立教学院諸聖徒礼拝堂内観.j
被害者K子(24歳)
甲府市出身、妻J子と同じ資産家の両親の元に育った。
事件の4年前の学部生だった頃から、大場と交際、性的関係を継続していた。
立教大学文学部英米文学科の学部生だったK子には男友達もいた。しかし、大場の指導を受けたことで二人の距離は縮まった。現代では、教授と学生の不倫はセクシュアル・ハラスメントやパワーハラスメントに該当するが、60年代に出会った二人は愛人関係になた。K子は、大場の強い勧めで就職せずに大学院へ進み、さらに大場との不倫に溺れていった。
大場助教授を取り巻く学立教大学英米文学科の人々
大場の女友達A子(48歳)
立教大学アメリカ研究室職員。大場より年上の女性で、過去には肉体関係があったが、良き相談相手だった。
H教授(62歳)
横浜市生まれ。実業家の家庭に生まれ、1936年に立教大学英文科卒業。アメリカ文学者、立教大学教授。加害者の恩師であり、被害者K子との逢瀬に使っていた別荘の持ち主。
M助教授(45歳)
H教授門下で大場の8年先輩、立教大学英米文学科の同僚。事件を知り大場に自首を勧める。

立教大学
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三角関係のもつれで殺人
妻のJ子はK子と夫の不倫を知っており、密会の現場に子供を連れて踏み込んだこともあるという。J子は夫の不倫に悩み自殺未遂をおこした。そして、大場にK子との関係を清算するように迫っていた。一方、K子は病気による体調不良で実家で療養していたが、上京して大場に「妊娠した」と告げ、妻との離婚を要求した。(K子が妊娠しているという事実は確認されていない。)
大場は、三角関係の板挟み状態に陥っていた。

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1973年7月20日、被害者K子が失踪・殺害された。
K子と大場は新宿で待ち合わせ、H教授の別荘のある八王子へ向かう。H教授の別荘で大場は、K子にキスすると見せかけ、K子が目を閉じ唇を合わせた瞬間に両手で首を絞めて絞殺した。死体を担ぎスコップで穴を掘り埋めた。
大場は、予定通りに午後8時に池袋で女友達A子と会い食事をする。会話の中で、絞殺したことを打ち明け、A子にアリバイを頼む。翌日、A子はM助教授に事実を打ち明け、H教授や周りの友人たちも知ることになる。
1973年7月29日、大場一家は南房総に海水浴に出かけた。夜に大場一人だけ東京に戻り、H教授の別荘向かい死体を埋め直す。K子を裸にして事前に買っていたロープでくの字型に縛り、裏山に埋めた。
二人の子供を道連れに一家心中を図る
大場の周りの友人たちは事件を知り、警察に通報せずに大場に自首を勧める。夫からK子殺害を打ち明けられた妻J子には、離婚を勧めていた。しかし、彼女は強い意志で一家心中の途を選び決行した。
大場の妻J子と被害者K子は、ともに意志が強く、外見も似ているという共通点がある。
1973年9月6日、事件から45日後の16時頃に一家心中。静岡・伊豆町の海岸で一家4人の水死体が発見される。飛び降りたと思われる岩場に靴と「大変ご迷惑ですが、親子4人がこの下の淵で投身自殺しているのでお届けください」と書いた遺書が見つかった。

静岡県南伊豆町愛逢岬
愛逢岬 - Wikipedia
1974年2月28日、事件から7ヶ月後にK子の遺体が発見される。3月26日、加害者と被害者が死亡しているが警察は大場を被疑者死亡として殺人・死体遺棄容疑で書類送検した。
事件が発生した時代の背景と現在の殺人現場
時代背景:1970年(昭和45年)に大阪万博が開催され、高度経済成長期の最後を飾った。1970年の大学進学率は23.6%(男子29.2%女子17.7%)。1970年の女性初婚年齢24.6歳。被害者のK子は、結婚適齢期の24歳。男性生涯未婚率1.70%。離婚率0.93(人口千対)。
立教大学助教授教え子殺人事件が起きた前年の1971年には、10数人の女性と肉体関係を持ち、8人を相次いで殺害して埋めて遺棄した「大久保清連続殺人事件」が起きている。
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大場と同じ1935年生まれの有名人は、筑紫哲也、野村克也、美輪明宏、大江健三郎。同い年で、同じ立教大学の文学部を卒業した音楽プロデューサーの酒井政利。彼は南沙織をはじめ、キャンディーズや山口百恵などをプロデュースした。
事件から50年以上が経った現在。K子が殺害されたH教授の別荘私設礼拝堂は現在、日本聖公会 鑓水聖ケネス礼拝堂となっている。大場一家が住んでいた「東洋マンション」は今も西武池袋線の「椎名駅」から徒歩6分の閑静な住宅地に建っている。