マルチな活躍ぶりをみせた松坂慶子さん
松坂慶子さんの経歴
1952年、韓国人の父親、と日本人の母親の間、東京都大田区に生まれた松坂慶子さん。
小学2年生のときには、くるみ芸術学園に入って歌唱やピアノ・演舞を習いました。
中学2年生のときに劇団ひまわりに入団。その翌年には、子供向けのコメディ番組『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』に出演して、テレビデビューを飾ります。
1968年には日本大学第二高校に進学。高校2年生となった彼女は、古賀政男ギター歌謡学院に通い、歌唱レッスンを受けるように。そして、その年内には、映画『女子高校医の記録 続・記録』に出演し、クレジット表記こそないものの、スクリーンデビューを果たします。
1970年には大映東京撮影所に入社。
TBS系列で放送されたテレビドラマ…
こちらの作品にレギュラー出演されました。
1971年公開の映画…
こちらでは主演予定だった渥美マリさんの降板により、松坂慶子さんが代役に抜擢されて映画初主演といった機会に恵まれます。しかし、この年の12月には大映が倒産してしまい、松坂慶子さんは松竹芸能への移籍を余儀なくされます。
1973年には日本大学文理学部の聴講生になりました。
1974年には、NHK放送の大河ドラマ『国盗り物語』で濃姫を演じ、松坂慶子さんは全国的な存在になりました。
これ以降、数々の映画・テレビドラマといったジャンルでご活躍されます。
1991年には、ジャズギタリストの高内春彦さんとご結婚。しかし、その当時、有名女優と無名に近いミュージシャンとの結婚は、格差婚として世間を賑わせました。
そして、松坂慶子さんのご両親もお二人の結婚にはかなり反対していたそうで、やがては親子絶縁宣言にまで発展。彼女は夫・高内春彦さんが活動拠点としていたニューヨークに移住し、そこで7年ほどの時間を過ごしています。
1992年には長女、1994年には次女を出産されました。
2000年には東京電話のテレビCMにて、コミカルに大根をもった主婦を演じ、女優として新境地を切り開いています。