【訃報】シンガーソングライター・中山ラビさん死去。
シンガー・ソングライターとして70年代から80年代を中心に活躍した中山ラビさんが7月4日、肺がんの進行と衰弱により亡くなっていたことが明らかとなりました。72歳でした。
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中山さんは1972年12月にアルバム「私ってこんな」でメジャーデビュー。ノーベル文学賞を受賞したフォークシンガーのボブ・ディランに影響を受けたスタイルで、フォーク界隈では“女ボブ・ディラン”と称されていました。1987年に一旦活動を休止した後、1997年より音楽活動を再開。音楽活動の傍ら、東京・国分寺にて喫茶店「ほんやら洞」の経営にも携わっていました。そんな中山さんでしたが、2020年3月に食道がんと肺がんが発覚。治療のため療養生活を送っていたものの、このたびの訃報となりました。
“女ボブ・ディラン”と称された中山ラビとは?
“女ボブ・ディラン”として、フォーク界隈では知る人ぞ知る存在である中山ラビさん。ここでは彼女の経歴について、少し掘り下げて振り返っておきましょう。
60年代後半、音楽活動を開始
60年代に音楽のキャリアをスタートさせた中山さん。1966年のビートルズ来日公演や当時人気のあったボブ・ディラン、さらに「山谷ブルース」などが著名な“フォークの神様”岡林信康に衝撃を受け、1969年に開催された第4回関西フォークキャンプに参加、ライブデビューを果たしました。

1972年にメジャーデビュー
70年代に入ると、井上陽水などが所属していたレコード会社・ポリドールから声がかかり、1972年にアルバム「私ってこんな」でメジャーデビュー。バックバンドに細野晴臣(当時はっぴいえんどとして活躍)が参加するなど、当時のフォーク人脈との深い交流を伺わせます。

漫画「蘭丸ロック」のモデルに
1976年には、ニッポン放送の深夜番組「真夜中のスケッチ」にパーソナリティーとして出演。さらにTBSドラマ「結婚前夜シリーズ」の主題歌や、桃井かおり主演のNHKドラマ「小夜子の駅」に楽曲を提供するなど、メディアを通じて徐々に知名度を上げていきました。また1980年には、いしかわじゅんの漫画「蘭丸ロック」のモデルにもなっています。
80年代より、演劇など他分野へ進出
80年代に入ると、ライブなどの活動の傍ら、演劇や舞踊といった他分野とのコラボを積極的に展開。サディスティック・ミカ・バンドなどで著名なミュージシャン・加藤和彦とともに斬新なイベントを多数開催しました。また、1985年には斉藤由貴の主演映画「雪の断章 情熱」に楽曲を提供しています。

その後、結婚出産のため音楽活動を休止した中山さんですが、1997年には音楽活動を再開。同時に、東京・国分寺にある喫茶店「ほんやら洞」の女将として店を切り盛りしていました。フォークシンガーとして多数の楽曲を、そして国分寺の人々に愛される店を遺した中山さんの功績は、これからも人々の記憶に残り続けることでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。
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