「お笑いマンガ道場」で有名な漫画家・富永一朗さん死去。
バラエティ番組「お笑いマンガ道場」などへの出演で有名な漫画家・富永一朗さんが5月5日、老衰のため東京都内の自宅で亡くなっていたことが明らかとなりました。96歳でした。
第一報はこちらです!
富永さんは1925年、京都府生まれ。大分県佐伯市の小学校教員を経て1951年に上京し、漫画家としての活動を開始しました。1950年代には貸本漫画などで活躍し、60年代に入ると多数の雑誌で四コマ漫画の連載を開始。全盛期には同時に25本の連載を持っており、「チンコロ姐ちゃん」「ポンコツおやじ」などのヒット作にも恵まれました。

そして1976年からは、日本テレビ系列で放送されていたバラエティ「お笑いマンガ道場」にレギュラー出演。同じくレギュラー出演していた漫画家・鈴木義司さんとの“対決”が番組の名物となっていました。その後、1998年には勲四等旭日小綬章を受賞、2005年からは長野県の小川村郷土歴史館にて富永さんの作品が展示されるなど、漫画界の重鎮としてその名が知られていましたが、老衰のためこのたびの訃報となりました。

「お笑いマンガ道場」の名物!富永一朗と鈴木義司の対決!!
昭和から平成にかけて長年にわたり活躍した富永さんですが、ミドル世代にとっては「お笑いマンガ道場」への出演が最も記憶に残っているところではないでしょうか。特に、前述の鈴木義司さんとのバトルを期待して番組を見ていた方も多いかと思います。
こちらが対決の一例!
こちらが対決の一例となります。富永さんが“鈴木の銅像”と称して小便小僧の絵を描き鈴木さんをこき下ろすと、その仕返しとして鈴木さんが富永さんをひっぱたく絵で応戦。このようなバトルが毎週のように繰り広げられており、笑点における「歌丸 vs 楽太郎」のようなある種のお約束となっていました。
プライベートでは仲が良かった!

なお、長年にわたり番組内でお互いを罵倒していた富永さんと鈴木さんですが、あくまでそれは番組内の演出であり、プライベートでは互いの才能を認め合う仲であったそうです。絵本作家の馬場のぼるさんとともに、カレンダー制作の仕事を一緒にやったこともあるとのこと。
番組内で共演していた漫画家・鈴木義司とは?
ミドル世代にとっては、富永さんと同じく「お笑いマンガ道場」の印象が強い鈴木義司さん。彼はどのような漫画家だったのでしょうか?ここで軽く振り返っておきましょう。
鈴木さんの絵柄の一例。

鈴木さんは1928年、東京府生まれ。1953年に福岡県の地元紙「夕刊フクニチ」の連載でデビューを飾りました。その後、1966年から読売新聞にて四コマ漫画「サンワリ君」の連載を開始し、1976年からは「お笑いマンガ道場」のレギュラーとして長年出演を重ねていました。そして2003年には富永さんと同様に勲四等旭日小綬章を受賞。漫画界の重鎮としてその名を知られていましたが、2004年に悪性リンパ腫のため75歳で死去しています。
このように、漫画というフィールドで長年にわたり苦楽を共にしてきた富永さんと鈴木さん。共に鬼籍に入った今、再び「お笑いマンガ道場」のような漫画を通じた対決に興じているかもしれません。ご冥福をお祈り申し上げます。
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