苅谷 俊介(かりや しゅんすけ)プロフィール

本名 苅谷 俊彦 (かりや としひこ)
生年月日 1946年11月26日(74歳)
出生地 大分県速見郡日出町
身長 178cm
血液型 A型
職業 俳優・アマチュア考古学者
ジャンル テレビドラマ・映画
活動期間 1970年 -
経歴

日出町中心部
1946年11月26日に大分県速見郡日出町で誕生した苅谷さん。
高校卒業後、家庭の事情で大学進学を諦めて上京して就職されました。
働きながら俳優になろうと東宝芸能学校演技科に入学して、1968年3月に卒業。
デビューは?

「さらば掟」
苅谷さんは、1970年の日米合作映画『トラ・トラ・トラ!』の助監督を経て、1971年に渡哲也さん主演の松竹映画『さらば掟』で映画俳優デビューされました。
当初は、主に脇役・・・。
東宝や東映の千葉真一さん主演映画で脇役として出演していましたが、1974年に石原プロモーションに入社されると、その後はテレビドラマ『大都会』シリーズ、『西部警察』シリーズなどにレギュラー出演を果しています。
大都会 PARTII

大都会 PARTIIでは、宮本 兵助捜査課刑事役を演じられ殉職した平原に代わり第14話から登場。
九州出身で、怪力が自慢の自称「弁慶」。犯人相手には「俺は城西署の弁慶じゃ!!」と、啖呵を切るが隙が出来て反撃を受ける事が度々あり、力の割に格闘能力はもう一つ強烈な形相に似合わず公衆道徳を重んじ、下着は褌(T字帯)を愛用するなどコミカルな一面も演じられています。

西部警察では、「ゲンさん」こと源田 浩史刑事を演じられました。

強面の顔立ちと屈強な体格の持ち主で、短い角刈りと口ひげがトレードマークの(最初期は口ひげが蓄えていなかった)、見るからに無骨な男だが、お人よしで涙もろく、繊細な面もある。若い女性や美人に弱い、やはりコミカルな一面も出していました。
その後も
「西部警察」終了後も「必殺仕事人III 」や「暴れん坊将軍II 」・「あぶない刑事」・「水戸黄門」NHK大河ドラマ等、数々の人気ドラマに登場されています。
苅谷俊介オフィシャルブログ「粗であり野だが卑ではない」Powered by Ameba
考古学

さかのぼること、高校2年生のとき、学校をさぼるために学校の近所の発掘現場に通ったことがきっかけで考古学に興味を持った苅谷さん。
俳優となり考古学からは一時遠ざかっていたが、趣味の考古学研究との両立のため、1982年に石原プロを退社されました。

苅谷俊介/倭しうるわし
共演した舘ひろしさんとは公私共に懇意な間柄であり、石原プロを退社する苅谷さんに対し、「当面食べていくための金が要るだろうから」という理由から、舘さんが知り合いのレコード会社に頼んで苅谷さんを「倭(やまと)しうるわし」というタイトルの曲で歌手デビューさせ、その印税で生活出来るように取り計らったというエピソードが、苅谷の著書『土と役者と考古学』の中で語られています。
考古学の研究

俳優業の傍ら考古学の研究を続け、1985年1月には個人事務所の株式会社土舞台を設立。
1991年頃よりは約100人の考古学愛好家を集めて勉強会「考古見聞会」を主宰し2000年4月には日本考古学協会会員となっています。
現在の苅谷さんは?

大河ドラマ 江「ごう」 姫たちの戦国
2003年頃より神奈川県秦野市に在住し2009年に故郷の日出町から「ふるさと親善大使」を委嘱されたり。隣接する別府市からは「ONSENツーリズム別府特別観光大使」に委嘱されています。
また俳優業と並行して考古学の研究にも力を入れている様です。
苅谷氏 ふるさと大使就任 「市民の日」で任命 | 秦野 | タウンニュース
最後に・・・。

いかがだったでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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