重大な事件や事故、災害が起こっても通常放送を行う「テレ東伝説」
テレビ東京といえば近年、「家、ついて行ってイイですか?」「YOUは何しに日本へ?」など一般人に注目したドキュメンタリー番組が話題となり、ドラマ枠では「孤独のグルメ」「サ道」といったヒット作品を次々と発表。低予算ながらもユニークな視点で、新たなファンを獲得しています。

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そんなテレ東ですが、かつては視聴率では民放キー局で万年最下位。他局で視聴率が振るわなかった際には「振り向けばテレ東」と皮肉を込めたフレーズが定着していました。
しかし、地道な番組作りの甲斐あって、徐々にテレ東は評価を上げていきます。2017年6月には週間平均視聴率で、開局以来初となる民放3位を獲得し、今なお快進撃を続けています。

2012年から放送されているドラマ「孤独のグルメ」
一方で、テレ東は重大な事件や事故、災害が起こっても通常放送を行うことでも知られています。それは「テレ東伝説」と呼ばれ、そのブレない姿勢を称賛する声もあがっています。そうした番組編成となる要因には、人員の少なさや高額になりがちな取材費を抑える為といった理由があるようです。
本稿では、これまでに印象的だった「テレ東伝説」を紹介します。深刻な事件や事故、未曽有の大災害が起こり、過熱するテレビ各局による報道合戦の裏で、テレ東はどういった番組を流していたのでしょうか。
湾岸戦争

書籍「湾岸戦争―隠された真実」
1991年1月に開戦した「湾岸戦争」。アメリカ軍を中心とした多国籍軍とイラク軍との攻防を、世界中が固唾を飲んで見守っていました。第二次世界大戦後初となる連合結成ということもあり、メディアは連日、深刻な現地映像を届けていくこととなります。
そんな中、テレ東が開戦時に放送した番組は、アニメ「楽しいムーミン一家」「三つ目がとおる」でした。

アニメ「楽しいムーミン一家」

アニメ「三つ目がとおる」
この放送の視聴率はなんと約18%に到達。アニメ枠の放送時間であった為、おそらく放送を楽しみにしている子供達への配慮もあったのではないでしょうか。
戦争とムーミンという強烈なコントラストにより、この放送が「テレ東伝説」の始まりとも言われています。
地下鉄サリン事件

DVD「プロジェクトX 挑戦者たち 地下鉄サリン 救急医療チーム 最後の決断」
1995年3月に起こった「地下鉄サリン事件」。地下鉄車両内に神経ガスのサリンが散布され、多くの犠牲者や負傷者を出した大量殺人事件でした。
朝の通勤ラッシュの時間帯が狙われたことで、都心の交通網は麻痺。駅構内や周辺には救急隊や警察、マスコミが駆け付けパニック状態となりました。
テレビ各局は急遽、現場からの中継を含めた特別番組を放送。事件当日の午前11時には、警視庁が「有毒ガスはサリンの可能性」と発表するなど、徐々に明らかになる情報を逐一放送していました。
そんな中、テレ東が放送した番組は、またもアニメ「楽しいムーミン一家」でした。

アニメ「楽しいムーミン一家」
また、同年の1月に起きた「阪神淡路大震災」時も、アニメ「楽しいムーミン一家」「ミュータントタートルズ」「愛ラブSMAP!」といったレギュラー番組を放送しています。
世界60カ国で放送され、人気を博した「楽しいムーミン一家」。1995年時は再放送でしたが、なんともピンポイントで顔を出すムーミン谷の面々でした。
緊急報道時の取材にかけられる機動力の脆弱さを補うのではなく、それならとバッサリと諦める姿勢。しかも再放送が平然と流れるのが、テレ東らしいとも言えるのではないでしょうか。
テレ東に根付いているという「ヒト・モノ・カネがないなら知恵を絞れ」の社風は、緊急時にもブレずに展開されていくこととなります。

バラエティ「愛ラブSMAP!」
ニューヨークの同時多発テロ

VHS「9.11 N.Y.~同時多発テロ衝撃の真実~」
2001年9月11日にニューヨークなどで起きた「アメリカ同時多発テロ事件」。過激派テロリストによるアメリカを狙った重大事件で、世界中を震撼させた組織犯罪でした。
ハイジャックされた旅客機が次々と建物へと衝突。建物が崩れていくショッキングな映像は、遠く離れたここ日本においても人々を動揺させ、悲しみを増幅させました。
そんな中、テレ東が放送した番組は、人妻が温泉でまったりする旅番組でした。

イメージ画像
当時のブッシュ政権が”対テロ戦争”へと舵を取るきっかけともなった同事件。トラウマにもなり得る建物の崩落映像が、繰り返し放送される中、テレ東は癒しの象徴でもある温泉映像を流していました。
しかしながら、綿密な取材力に定評のあるテレ東。事件から約20年の月日が流れた近年でも、9.11をテーマにした取材を数多く行っています。例えば事件から間もない時期に、外国人の立ち入り禁止区域で「命を懸けて救助活動を行った11人の日本人」 を特集。市井の人にスポットを当てる番組作りを得意とする、テレ東らしい上質なドキュメンタリーを製作しています。
東日本大震災

イメージ画像
2011年3月11日に起きた東日本大震災。東日本各地を襲った未曽有の大地震は、津波を引き起こし、沿岸部の街並みが一変。さらに福島第一原子力発電所の事故も事態を悪化させました。
様々なことが短期間に起こり、メディアからの情報も錯そうする状況が続きました。春の陽気に反して、世間には殺伐とした雰囲気が蔓延していくこととなります。
そんな中、テレ東が放送した番組は、意外にも「緊急報道特別番組」でした。

アニメ「テガミバチ REVERSE」
報道機関としての役割を担っていたテレ東ですが、震災発生の翌日夜には通常放送へと切り替えています。東北地方にネット局や取材拠点を持っていなかったこともあり、放送の継続が難しかったのですが、世間からはさすがに早過ぎる、不謹慎とバッシングが集中します。
しかしながら、この時に放送されたファンタジーアニメ「テガミバチ REVERSE」により、心の安らぎを得られたと視聴者からの声もあったようです。
なお、東日本大震災の発生から丸10年となる、2021年3月11日の14時46分に放送していた番組は、洋画「スペース・カウボーイ」でした。クリント・イーストウッド監督による宇宙飛行士たちの物語で、新聞のラテ欄には”豪華名優が大集結!地球の危機で宇宙へ!”と書かれていました。多くの関心が東北に向けられている最中、海外をも飛び越えて宇宙へと目を向けるテレ東らしいチョイスとなっていました。

洋画「スペース・カウボーイ」
自民党総裁選

Kindle版「安倍「一強」の秘密」
2018年9月に行われた自民党総裁選。安倍晋三氏の任期満了に伴い実施され、同氏が3選を果たしました。5年9カ月にもわたる長期政権(当時)が評価された部分もあり、同氏の安定感が目立った形となりました。約6年ぶりの選挙戦はテレビ各局により生中継され、投開票の様子を視聴者が見守っていました。
そんな中、テレ東が放送した番組は、洋画「マッドマックス2」でした。

洋画「マッドマックス2」
1981年公開の洋画「マッドマックス2」。鬼才ジョージ・ミラー監督によるシリーズ第二弾でした。世界大戦後の荒れ果てた土地で、人々が僅かな資源を奪い合う様は「北斗の拳」にも影響を与えたと言われています。
暴走族による迫力の襲撃シーンなど、バイオレンス・アクション映画の金字塔とも呼べる一作ですが、日本の今後を占う自民党総裁選にぶつけてくる辺り、テレ東の狂気さも見逃せない点でした。今日を生き抜く力強さを描いたフィクションよりも、明日からの日本国民の生活が大事なのではと感じた方も多くいたようで、SNS上では”さすが安定のテレ東”と全く褒めていない誉め言葉も投稿されていました。

アニメ「北斗の拳」
テレ東の歴代最高視聴率は「ドーハの悲劇」
驚きのエピソードが満載だった「テレ東伝説」。では、最後にテレビ局にとって重要な指標である視聴率について触れてみます。テレ東にとっての歴代最高視聴率はどんな番組だったのでしょうか。
それは1993年10月に行われたサッカー・ワールドカップ最終予選「日本対イラク」の中継でした。日本がワールドカップ本戦初出場に王手をかけて臨むも、後半のロスタイムに失点し、予選敗退が確定した一戦。後に「ドーハの悲劇」と呼ばれ、日本サッカーのターニングポイントとなりました。

「サッカー日本代表 vol.3(1993ー1994―世界への挑戦 ドーハの悲劇」
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この試合の視聴率は「48.1%」でした。テレビ東京にとって開局以来最高の視聴率を獲得しています。中継は日本の深夜帯にも関わらず、同年にJリーグが開幕し、サッカー熱が盛り上がっていたこともあり、大きな関心を集めていました。
また、2つの出場枠を6カ国が争い、混戦が続いていたことも視聴率増加の要因ではないでしょうか。日本は最終戦直前に首位となり、勝てば悲願のワールドカップ初出場を決められるという状況でした。それまでのアジア予選で一度も勝てなかった宿敵・韓国にも、キングカズの一撃で勝利し、勢いのある状態で迎えた最終戦。イラクとの一戦は日本が先制するも後半に追いつかれ、さらに日本が勝ち越すという一進一退の攻防が続いていたのも高視聴率に繋がったと思われます。

ユニフォーム「ドーハの悲劇 三浦知良 キングカズ プーマ 長袖」
最後にテレ東のサッカー番組にまつわるエピソードを紹介して記事を締めくくりたいと思います。
60~90年代にかけてテレ東が放送していたサッカー番組「三菱ダイヤモンド・サッカー」。出演していた金子勝彦による「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがでしょうか?」といった名口上でも知られ、当時数少ない海外サッカーの情報を伝えてくれる番組でした。
テレ東は長期間にわたり、当時メジャースポーツとは言い難い存在であったサッカーの魅力を伝え続けていました。そんなテレ東に「ドーハの悲劇」という日本サッカーの大一番の放送が巡ってきたのは、どこか運命的なものを感じます。

書籍「「ダイヤモンドサッカー」の時代」
そして、その「三菱ダイヤモンド・サッカー」でも「テレ東伝説」とも言えるエピソードが存在します。
1974年の西ドイツワールドカップ決勝戦「西ドイツ対オランダ」。日本で唯一の衛星中継の放送権を得ていたのはテレ東(当時は東京12チャンネル)でした。しかし、まさかその日が参議院議員選挙の投開票日と重なってしまいました。
当然、テレ東「三菱ダイヤモンド・サッカー」が放送に選んだのは「西ドイツ対オランダ」でした。西ドイツがオランダに2対1で勝利した一戦。視聴率も4%近くを獲得し、世界最高峰の戦いを生放送する貴重なコンテンツとしての役割を果たしています。
独自の道を行くのは、報道番組だって同じです!プロデューサーが番組作りの舞台裏を明かします!!
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