シンシア・ラスター プロフィール

本名 津村ゆかり
別名義 大島ゆかり(日本) 大島由加利(香港) シンシア・ラスター(1997年頃から)
生年月日 1963年12月31日(57歳)
出生地 日本の旗 福岡県福岡市西区
職業 アクション女優(自らはスタント女優と呼称)、アクションコーディネイター
ジャンル テレビ、映画
活動期間 1982年 -
経歴

器械体操
1963年12月31日に福岡県福岡市西区で誕生した大島さん。
大島さんは、元々は中学の時に器械体操、中学3年生の時に剛柔流空手を学び、将来は体育教師を志していたそうです。

ヤング・マスター/師弟出馬
日本体育大学女子短期大学部体育学科に在学中、たまたま友達に誘われて行った映画『ヤングマスター 師弟出馬』を観て衝撃を受け、ユン・ピョウに憧れスタントの道を志す様に変わったと言います。
JAC (ジャパン・アクション・クラブ)

短大時代、バイトしていた喫茶店の常連客が昔アクションを志した人で、その人物にジャパン・アクション・クラブ(JAC)を紹介され(JAC)に入られたそうです。
JACと言えば俳優の千葉真一さんが、世界で通用するアクションスター・スタントマンを育成・輩出するため創設したアクションマネージメント会社で、JACの出身者には、志穂美悦子さん・真田広之さんの他にも、スタントマン・スーツアクターやアクション監督なども育っています。
デビュー
大島さんのデビュー作は1982年にテレビ朝日系で放送された「宇宙刑事ギャバン」です。
ただ、この時は、ダブルガールのスーツアクターを務められました。名前も津村ゆかりの本名で活動されています。
因みに、スーツアクター とは、着ぐるみを着用して擬斗やスタントなどの演技をする俳優にしてスタントマン、(つまり中に入っている人)

大島さんが、注目を集めたのは、1984年から放送された『超電子バイオマン』にファラキャット役で登場されてからではないでしょうか。
役どころは、ファラのボディーガードである女性型メカ人間で、ファラは「私のかわいい小猫ちゃん」と呼んで寵愛していてアクロバティックな動きに加えて、鋭い爪による引っかき攻撃や華麗なダブルヌンチャク捌きを見せるなど抜群の格闘技センスを持ちバイオマンをしばしば圧倒した。
香港進出

冒険活劇 上海エクスプレス
JACを脱退後、アクションの修行を積みながら香港映画に出演する機会を窺っていた大島さん。
ユン・ピョウ主演の『冒険活劇 上海エクスプレス』の出演オーディションに合格。
香港映画を熱愛するきっかけとなったユン・ピョウに対する思いの丈を手紙にしてプロデューサーに送りつけたと言います。
彼女の夢を叶えてあげようではないかということで採用され、ユン・ピュウとの共演と香港映画出演という二つの夢を同時に叶えたと言います。

更には劇中でのアクションが高い評価を受け、これを機に活動拠点を香港に移し、ジャッキー・チェンの事務所・アーティストキャンパスに所属しアクション女優として数多くの香港映画に出演されています。
結婚やお子さんは?

大島には、香港の俳優マーク・チェン(英語版)と結婚したと噂がありますが、実際はしていません。同じく俳優である高飛(中国語版)との再婚の噂がありましたが、これもフェイクニュースでした。
実際は2003年に結婚されお子さんもいらっしゃいます。
お子さんは大島さんが、44歳の時のお子さんで現在は、14歳前後の中学生位だと思われます。
旦那さんの詳細は非公開なのか出て来ないので、おそらく一般人の方だと思われます。
シンシア・ラスター

1997年に活動拠点をフィリピンに移し、この頃からシンシア・ラスターの別名でクレジットされるようになっています。
しかも本人が知らないうちに名付けられていたといいいます・・・。
理由は、フィリピン側が映画『上海エクスプレス』で共演の女優・羅芙洛さんと同じように売り出したかったためと言われています。
『上海エクスプレス』に出演の羅芙洛さんは“シンシア”だった為ということや、大島さんには英語名が無く、そこで“シンシア・ラスロック”という名前から“シンシア”をとり、プロデューサーが“ラスロック”という呼び名が訛ってしまい“ラスター”になったそうです。
フィリピンでは国民的な大スター

大島さんは、フィリピンで国民的な大スターで、加えてマレーシア、タイ、ベトナム等、アジアで幅広く活動を続けて出演した映画は約80本、主演作品は約70本を数えています。
2018年6月23日に放送された「陸海空 地球征服するなんて」では、世界で有名な日本人ベスト10、フィリピン編の第5位として紹介されていました。
日本の総理大臣を知らない方でもシンシア・ラスターの名前はフィリピン人だったら誰でも知っているとか・・・。
現在は、福岡を活動拠点

1998年に、撮影中の事故で負傷したのをきっかけとして帰国して以降は故郷の福岡を活動拠点としているそうです。
帰国後、日本での芸能活動は皆無に等しかったが、帰国後の2004年には庵野秀明監督作品『キューティーハニー』で武術指導を担当するなど、近年は日本での芸能活動も再開していると言います。
現在の大島さんは?

近年では故郷福岡で、自ら考案した「武術舞ウースーウー」というエクササイズを主婦やOL中心に広めたり、福岡発アジアをテーマにLAS(ラスターアクションスクール)を設立し、プロを目指すアクション俳優を育成をされてるそうです。
総合学園ヒューマンアカデミー福岡校で特別顧問を務めアクション俳優を養成する全日制のアクションスクール「エンターテインメントラボ Luster Pro.研修コース」を開講等・・・。
更には 2015年4月よりRKB毎日放送『サンデーウォッチ』のコメンテータもされています。
大島由加里/シンシア ラスターアクション スクール Yukari Oshima Action School - ホーム | Facebook
最後に・・・。
いかがだったでしょうか?
今後も大島さんの活躍に注目ですね。
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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