【訃報】元「チャンバラトリオ」ゆうき哲也さん死去。
ハリセンチョップで人気を博したお笑いグループ「チャンバラトリオ」の元メンバーとして著名な俳優・ゆうき哲也(ゆうき てつや)さんが、1月4日に亡くなっていたことが明らかとなりました。79歳でした。
第一報はこちらです!
ゆうきさんは1941年、大阪府大阪市出身。同志社大学中退後の1965年に東映に入社し、高倉健の付き人を務めたのち1968年に「チャンバラトリオ」に加入。その後はチャンバラトリオでの活動の傍ら、映画・Vシネマなどで俳優としても活躍しました。特にVシネマ「難波金融伝 ミナミの帝王」シリーズにおける「沢木の親分」は当たり役となり、主演の竹内力らとともに同シリーズで存在感を示していました。その一方で長年糖尿病の持病があり、昨年12月にその病状が悪化。入院し治療に当たっていたものの、このたびの訃報となりました。
元「チャンバラトリオ」ゆうき哲也さんの活躍を振り返る!!
60年代から現在に至るまで、長年にわたりお笑い・映画・ドラマの世界で活躍を続けてきたゆうきさん。ここでは、彼の多岐にわたる活動の中でも特筆すべきものをいくつかピックアップしてご紹介したいと思います。
「チャンバラトリオ」で一躍人気芸人に!
ゆうきさんがチャンバラトリオに加入したのは1968年のこと。当時病気療養をしていた南方英二の代役として、主にツッコミを担当していました。その後南方は無事復帰したものの、ゆうきさんはそのままグループに在籍し、4人組として人気を博しています。しかしながら常に在籍していたというわけではなく、1983年に一旦グループを脱退。その後1990年に復帰したものの、1994年には再び脱退しています。
「お笑いウルトラクイズ」でSMキャラを確立!
90年代におけるゆうきさんの活動として特筆すべきは、「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」内で繰り広げられた「SM芸」があります。これは同番組のコーナー「人間性クイズ」の仕掛け人として、ドッキリを仕掛けられた若手芸人に対しSMプレイを強要するという内容で、ダチョウ倶楽部の上島竜兵から「白豚!」と罵倒されながら反撃を食らうなど、お茶の間に大きな笑いを届けていました。
難波金融伝・ミナミの帝王シリーズの「沢木の親分」が当たり役に!
また、俳優としてVシネマ「難波金融伝・ミナミの帝王」に出演。沢木組組長・沢木英雄を熱演し、その面倒見の良いキャラクターはゆうきさんの当たり役となりました。なお、同作品ではプロデューサーとしても名を連ねています。
このように、エンターテイメントを通じて一生涯にわたり我々に笑いと感動を届けてくれたゆうきさん。その功績は、これからも語り継がれていくに違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
ゆうき哲也さんの功績を振り返りたくなった方はこちらで!
難波金融伝・ミナミの帝王
ハリセン
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