中村俊輔のサッカーノート2 伝家の宝刀、必殺のフリーキックで赤い悪魔、マンU撃破!!!

中村俊輔のサッカーノート2 伝家の宝刀、必殺のフリーキックで赤い悪魔、マンU撃破!!!

フィリップ・トルシエ監督に選ばれずワールドカップ日韓大会に出場できなかった悔しさをバネに海外挑戦を開始。イタリアとイギリスでチームの中心選手となり活躍。ウエイン・ルーニーやクリスチアーノ・ロナウドを配したマンチェスターユナイテッドをフリーキックで撃破した。


イングランドに次いで世界で2番目の長い歴史を持つスコットランドのプロサッカーリーグは、8月から5月にかけて12のクラブが全38節の試合を行う。
第1節から33節は3回総当たり戦。
その後、上位6チーム、下位6チームの2つのグループに分かれ、グループごとに1回の総当たり戦でトータルの順位を決める。
欧州各国の代表選手が揃い、毎年、スコットランド・プレミアリーグで優勝を争うセルティックは、練習もレベルが高くハードだった。
アップからかなり走り、練習からミスをするような選手はいなかった。
ハードな練習とトレーニングでたとえ筋肉痛のまま試合に出てもパフォーマンスを落とすことは許されない。
少しでも調子を落とせば、活きのいい代りが何人も控えていた。

中村俊輔はとにかくケガをしないように気をつけた。
家で大腿を温めてから練習に行き、雪と氷と泥の練習場は体が冷えるからと大好きな居残り練習もできず、あわててクラブハウスの中に戻った。
移籍数日後、練習でフリーキックを誰が蹴るかコンテストが行われ、中村俊輔は10本中10得点を決めフリーキッカーとなった。
ゴードン・ストラカン監督は、マンチェスターユナイテッドで活躍した名選手だった。
1m70cmの小さな体で最強の名門チームで8年間もプレーできたのは、試合の流れの読みと気の利いたパスを出せたからで、自分と似ている中村俊輔をすぐにレギュラーチームに入れた。
練習で、ゴードン・ストラカン監督は、必ず5対2のパス回しを行った。
ビブスの色で5対2にわかれ、同じ色の人にパスを出してはいけない、パスを出したら違うゾーンに移動するなどいくつかのルールがあった。
「これが技術向上につながるのか?」
最初は疑問だったが、毎日やっていると狭いスペース内での同じようなパス回しにいろいろな工夫が生まれてきた。
そして中村俊輔はこれまで使わなかった右足のアウトサイドが使えるようになった。
「ナカは技術面ではチームでNo.1だ。
他にもマクギーディやブラウンら上手い選手はいるけど、ナカは別格」
(チームメイトのドナーティ)
8月28日、ダンファームリン戦で中村俊輔は初ゴールを決めた。
9月、日本代表 vs ホンジュラス戦に出場。
10月、日本代表 vs ラトビア戦に出場。
日本代表 vs ウクライナ戦に出場。
11月、日本代表 vs アンゴラ戦に出場。

ワールドカップドイツ大会 グループリーグ敗退

2006年、サッカーノートに書いた目標は

短期目標
「セルティックでスタメンで出場し続ける」
「代表で自分のプレー、納得のいくプレーをする」
「常に向上心を持つ、上をみる、足を止めない」
中期目標
「ワールドカップでプレーする」
「スペインでプレーする」
「代表で10番」
長期目標
「自分で限界をつくらない」
「人から尊敬されるプレーヤー、人間になる」
「トッププレーヤーになる」

だった。
中期目標に「スペインでプレーする」と書かれた。
スペインに行きたいという気持ちは変わらなかった。
2006年2月、日本代表 vs ボスニアヘルツェゴビナ戦に出場。
5月、日本代表 vs ドイツ戦に出場。
同月、セルティックはスコットランド・プレミアリーグ優勝。
プレミアリーグと下位リーグのクラブも参加して国内チャンピオンを決めるCISカップでも優勝。
中村俊輔は、スコットランド・プレミアリーグ33試合6ゴール9アシスト。
6月、日本代表 vs マルタ戦に出場。
ワールドカップドイツ大会に参加。
初めてのワールドカップに中村俊輔がサッカーノートに書いたテーマは
「我慢と忍耐」
だった。

ジーコジャパンは「史上最強」といわれた。
ワールドカップ日韓大会でベスト16に進出したメンバーがそろい、各メンバーは経験を積み成長し、年齢的にも多くの選手が20代半ばから後半だった。
中村俊輔はそのチームにあって、中田英寿と共に絶対的な存在だった。
予選のグループリーグで日本は、オーストラリア、クロアチア、ブラジルといずれも強豪国と同組に入った。
初戦のオーストラリア戦は、中村俊輔のフリーキックで先制。
そして1対0のまま試合は進み、勝利を目前にした試合終盤の後半39分、途中出場のティム・ケーヒルに同点ゴールを決められた。
うだるような暑さの中、オーストラリアに執拗にロングボールを蹴られて守備に追われた日本はかなり疲弊していた。
リードしている間は維持できた気力や集中力が同点にされて切れてしまった。
その後、わずか数分で2ゴール決められ、1対3。
衝撃的な逆転負けだった。
試合後、中村俊輔はピッチでしばらく呆然としていた。
「もっとできたような、でも限界だったような・・・」
グループリーグの対戦相手からして、決勝トーナメントに駒を進めるためには、オーストラリアには絶対に勝たなければいけなかった。
そういう相手に、しかも逆転で敗れたショックの大きさは計り知れなかった。

続くクロアチア戦は決定的なチャンスがあったものの、それを生かせずにドロー。
結果が出ない中、中田英寿と中村俊輔、両エースに批判が集中した。 
中村俊輔は`らしい`プレーがなかった。
2年前のアジアカップで優勝しMVPに選ばれたときのようなキラッと輝くプレーがなかった。
調子が上がらない中村俊輔は、日本が勝てない原因のひとつに挙げられた。
「俺自身は『なんでそこまでいわれるのかなぁ』『わりとやれているじゃん』って思っていた。
ただ、結果が出なかったからね。
やっぱりチームが勝てなかったのは自分の責任。
それは周囲からいわれたからではなく、10番ってそういうものだし、その責任は重く受け止めていた。
チームを勝たせる責任が10番の選手にはあるし、俺を信用してくれたジーコに『もっといい思いをさせてあげたかったなぁ』って思った」
大会前と大会中、2度風邪を引いて発熱もあった。
クロアチア戦の前は点滴を打って大事には至らなかったが、練習を途中で切り上げている。
左足の親指の爪も割っていた。
「確かに風邪を引いて熱が出て体調も崩した。
でもそこで体力が落ちたとかそれはないよ。
点滴を打ってもらって回復していた。
試合に出て90分間プレーしても体力が落ちた実感はなかった。
俺は、熱があったからとか、風邪を引いたから悪いプレーをしたわけじゃない。
メディアなどではそういうことで結論づけされたけど、俺が、みんなが期待するようないいプレーができなかったのは、単純に実力がなかったからだよ」
最終戦のブラジル戦では、力の差をみせつけられて1対4で敗れた。
ブラジル戦が終わったあと、中田英寿がピッチ上で倒れ、中村俊輔はあふれる涙を堪え切れずに泣いた。
この後、中田英寿は現役引退を発表した。
もともとサッカー大国のブラジルには畏怖の念を抱いていたが、同じピッチで本気になって戦うと、チームとしても、個人としても、絶望的になるような差を感じた。
それは1対4というスコア以上の差だった。
「大会までしっかり準備して、100%でやってきたけど、ブラジルにはまったく歯が立たなかった。
個も、チームも敵わない。
もう次元が違ったね。
サッカーというものがDNAに染みついている。
本気で勝ちたいと思うなら、環境から変えないとダメでしょ。
サッカーが1番の国だし、国民のみんながサッカーに興味を持っている。
そういう場所にいたら、自然と強くなるよ。
それにサッカーのスタイルにブレがない。
世界は3バックが主流になって、サイドバックでも、サイドハーフでもない選手が出てきたけど、ブラジルはずっと4バックが基本。
しかも、どんどんいいサイドバックが出てくる。
そうやってブレずに継続していくことの大切さを、ブラジルはみせてくれた。
日本は監督によってサッカーが変わるからね。
それじゃ、この先も勝てない。
自分の力不足とともに、そのことをすごく強く感じた」
前回大会以上の成績が期待された日本だったが、1分2敗でグループリーグ敗退に終わった。
中村俊輔は全3試合にフル出場し1得点に終わった。
「チームは監督、スタッフ、選手、フロントがお互いに尊敬し合うからこそ犠牲精神が生まれるんだと思う。
それは2002年のチームにもあった。
ゴンさん(中山雅史)、秋田(豊)さんを招集してチームの一体感を大事にして、みんな勝利に向かって明るくサッカーをしていた。
団結心があって戦っていたのはテレビの映像からも感じられたし俺も直前までいたチームだからこそ、よくわかった。
そのチームに自分が参加できなかったことが、すごく残念だった。
たとえサブでもあのチームにいれたら、大きな経験になったと思う。
トルシエのチームは、犠牲心を持って日本のために戦える集団になっていた。
でも、ドイツのときは、それが欠けていた。
チームのためにじゃなくて、『自分が』になってしまった。
それが、トルシエのチームや、南アフリカW杯のチームと異なる結果になった最大の要因だと思う」
日本が進めなかった決勝トーナメントの決勝でイタリアとフランスが対戦。
PK戦の末にイタリアが1982年以来の優勝を遂げた。

伝家の宝刀で赤い悪魔を倒す

スコットランド・プレミアリーグ開幕前にセルティックは、イングランド・プレミアリーグのエバートンとの強化試合が行った。
中村俊輔は、ワールドカップドイツ大会以後、初のフル出場。
セルティックは1対0で勝った。
7月29日、スコットランド・プレミアリーグ開幕戦、キルマーノック戦で中村俊輔はフリーキックを決め、セルティックは4対1で勝った。
しかし大差の勝利とは裏腹に、セルティックの状態は決して良くなかった。
シーズンオフに主力が移籍してしまい、代わりに入った選手とはコンビネーションを合わせる時間が足りなかった。
スコットランド・プレミアリーグでも欧州チャンピオンズリーグ(UCL)でも、中村俊輔は、チームでただ1人、フル出場を続け、チームの中心となり、セルティックはスコットランド・プレミアリーグで2連覇に向けてトップを走り続けた。

9月、欧州チャンピオンズリーグ(UCL)の1次リーグが始まった。
欧州サッカー連盟(UEFA、ウエファ)によって毎年9月から翌年の5月にかけて開かれる国際大会。
1次リーグは、4チーム×8組に分かれ、ホーム&アウェイの総当たり戦で行われ、各組上位2位チームが決勝トーナメントに進出する。
出場するのは欧州各国のリーグの上位ばかり。
バルセロナ(スペイン)
レアルマドリード(スペイン)
ACミラン(イタリア)
バイエルンミュンヘン(ドイツ)
マンチェスターユナイテッド(イングランド)
などの有名クラブ、人気クラブが登場する大会に世界中が注目する。
優勝賞金は、640万ユーロ(1ユーロ=60円とすると約10億2400万円)
予選から決勝戦まで試合ごとに分配金が支払われるので、実際に優勝すると50億円を超える。
たとえ1次リーグで全敗しても最低5億がもらえる。
ワールドカップなどで各国の代表チームの選手が全員集まって練習する時間は短いが、クラブチームの場合、毎日同じメンバーで練習し試合をする。
そのためチームとして成熟度が高く試合のレベルが非常に高い。
優勝チームは、「欧州最強」の称号を手に入れると共に、12月に日本で行われるクラブワールドカップの出場権を得る。

セルティックは、マンチェスターユナイテッド(イギリス)、ベンフィカ(ポルトガル)、FCコペンハーゲン(デンマーク)と同組になった。
9月14日、セルティックは、マンチェスターユナイテッドと7万4000人が入った彼らのホームであるオールドトラフォードスタジアムで対戦。
中村俊輔は初めて欧州チャンピオンズリーグ(UCL)のピッチに立った。
マンチェスターユナイテッドは、世界のビッグクラブ。
ウエイン・ルーニー
ライアン・ギグス
クリスチアーノ・ロナウド
など有名選手がそろっていた。
プロサッカー選手はチームと契約して給料をもらう。
契約期間中に選手が他のチームに移籍するとき、そのチームに残りの契約分に当たる金額を支払い、これを移籍金というが
「マンUの選手の移籍金1人分はセルティックの11人分の年俸」
といわれた。
多くの人がセルティックが勝てるわけがないが思ったが、中村俊輔は
「サッカーは何が起こるかわからない」
「気持ちで相手を上回る」
「攻撃も守備も両方頑張ってよく動いてよく走ろう。
チーム全体でベストの力を出せれば勝てるかもしれない」
と世界最高峰の戦いに挑んだ。
そして前半43分、1対2の場面で、セルティックはゴール正面やや右側、22mの位置でフリーキックを得た。
キッカーは、中村俊輔。
ゴールキーパーは、ファンデルサール(オランダ代表)
蹴る直前、中村俊輔はファンデルサールが体の重心を左に寄せているのに気づき、その逆を突いた。
そして193㎝のファンデルサールが一歩も動けないほど芸術的なキックを決めた。
試合は、これで2対2と同点となったが、その後、セルティックはマンチェスターユナイテッドに3点目を奪われ、2対3で敗北した。
しかしイギリスの新聞は、中村俊輔を10点満点で7点と評価。
テレビは、バルセロナのロナウジーニョ、アーセナルのロシツキー、ローマのトッティ、チェルシーのバラックと共に中村俊輔のフリーキックを「スーパーゴール」として紹介した。
その後、セルティックは、ホームで、コペンハーゲン(デンマーク)、ベンフィカ(ポルトガル)に連勝した。
10月、スコットランド・プレミアリーグ、タンディユナイテッド戦。
0対1でリードされた前半44分、同点ゴール。
後半3分、FWのヘッディングのこぼれ球を押し込み2点目。
後半13分、左足でゴール左上に叩き込み3点目。
8年ぶりのハットトリックを達成。
「ハットトリックしたけど反省点ばかり。
ここ数年はプラスのことをサッカーノートに書かなくなった。
プラス面は体と頭が頑張っているから大丈夫だと。
でも反省点というのは残りにくいから書き留めないといけない。
いいことを書いてうぬぼれる自分が怖い。
それも書かない大きな理由だ」
(中村俊輔)

11月21日、セルティックは、マンチェスターユナイテッドをホームで迎え撃った。
「クリスチアーノ・ロナウドをマークしろ」
試合前に中村俊輔はゴードン・ストラカン監督から指示を受けた。
クリスチアーノ・ロナウドは、高速フェイントから、ボールが足に吸いついて離れないような高速ドリブルをしかけ、そのシュートは鋭く落ちた。
中村俊輔は、そんな勢いに乗れば誰も止められないような選手の守備をしながら攻撃ではセルティックの中心となった。
走る量もセルティックの中で最も多かった。
1試合で12~13㎞、多いときは14㎞も走ったが、この試合はおそらくそれを超えた。
後半36分、0対0の場面で、2ヵ月前のオールドトラフォードと同様、中村俊輔はゴール正面やや右の位置からフリーキックが与えられた。
しかし距離が30m近くあった。
中村俊輔が得意な距離は20~25mだった。
「絶対に決めてやる」
そしてすぐに蹴るコースとスピードを決めた。
狙ったのはゴール右上。
ムチのようにしなった左足を振り抜くとボールは思った通りの軌道を描いて飛んでいった。
壁の上を抜け、マンチェスターユナイテッドのゴール右上にズドンと入った。
「GOOOOOOOOOOOOOALl!!!!!!」
6万人を飲み込んだセルティックパークが揺れた。
喜びでスタジアムのあちこちでサポーターたちが抱き合った。
涙を流すサポーターもいた。
そしてみんな拍手を送った。
耳の奥が痛くなるほどの大歓声を受けながら中村俊輔はユニフォームを胸をつかんで
「セルティックは最高」
とアピール。
鼓膜だけでなく胸も震えていた。
セルティックは1対0で勝利し、史上初めてのUCL決勝トーナメント進出を決めた。
「ヘディングはできない。
タックルはできない。
だがそれがどうした。
彼は天才だ」
(ゴードン・ストラカン監督)
ビッグキリングを果たしたチームは選手もスタッフもサポーターも大騒ぎだったが、中村俊輔は1人、スタジアム内のジムでクールダウンのトレーニングを行った。
試合後、ストレッチ、自転車漕ぐ、軽い筋トレなどを1時間ほどやるのは日課になっていた。
それはマンチェスターユナイテッド戦でも例外ではなく,次の戦いはすでに始まっていた。
欧州チャンピオンリーグ決勝トーナメントには、ACミラン(イタリア)、バルセロナ(スペイン)、レアルマドリード(スペイン)、マンU(ユナイテッド)、チェルシー(イングランド)、リバプール(イングランド)、リヨン(フランス)などの16クラブが進出。
抽選の結果、セルティックは1回戦でACミランと対戦することになった。
中村俊介はレッジーナ時代に何度もACミランと対戦したが、手も足も出ず1度も勝てなかった。
どのポジションも世界のトップレベルの選手がいて強かった。
しかしレッジーナとセルティックでは少し格が違う。
しかもこちらのホームでの対戦である。
「やれる」
中村俊介は思った。

世界の頂点との差

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