ないんだ。それにしてもないんです。若き日の高田渡の動画はない。ヒゲがないころの高田渡。せめてひげが黒いころの高田渡が観たいのですが、それは贅沢というものかもしれません。観れるだけで最高です。
FISHIN' ON SUNDAY
高田渡に海外録音というのは似合わないのではないか?あの日本人独特の世界観は日本でないと作れないのではないか?素人考えではそう思います。が、高田渡は素人ではありませんし、今回のアルバムは細野晴臣、中川イサトとのトリオ編成ということですから、ロサンゼルス録音というのもアリなのでしょう。
アルバムには、ヴァン・ダイク・パークスが参加しています。う~ん、ロサンゼルスといいヴァン・ダイク・パークスといい、これは高田渡というよりも細野さんの趣味のような気がしますが、実はそうでもないんですよね。
FISHIN' ON SUNDAY
もともと高田渡はアメリカ音楽に興味を持っていた。1971年に参加していた武蔵野タンポポ団はジャグ・バンドでしたしね。アメリカでのレコーディングの話は何年も前から出ていたようで、それがついに実現したという訳です。
レコード会社をフィリップス・レコードに変え、3年ぶりとなるアルバム「FISHIN' ON SUNDAY」。高田渡は当時27歳です。
アルバム発売後はヒルトップ・ストリングスバンドを結成して精力的に活動しています。
ヴァーボン・ストリート・ブルース
高田渡&ヒルトップ・ストリングス・バンド名義で1977年にフォーライフレコードよりリリースされた「ヴァーボン・ストリート・ブルース」。ヒルトップ・ストリングス・バンドとのライブ活動は高田渡にとって非常に充実したものだったようです。
ヴァーボン・ストリート・ブルース
小室プロデュース。といっても哲哉ではなく等です。小室等にプロデュースされたアルバム「ヴァーボン・ストリート・ブルース」。残念ながら商業的には成功とは言い難い結果でしたが、高田渡にとっては思い入れが強いアルバムのようです。2001年に刊行された唯一のエッセイ集に同名のタイトルを付けているくらいですからね。
70年代に高田渡が残したアルバムは以上の5枚となります。80年代、90年代はスタジオアルバムは僅かに各1枚しかリリースしていません。不遇の時代へと突入していくのですが、さて、ご本人は不遇と思っていたのかどうか。思っていないでしょうね。そこにまた憧れるわけです。
2005年4月16日、高田渡は心不全により56歳で亡くなりました。亡くなる10日ほど前の4月3日、北海道白糠町で行われた最後のライブ映像が残されています。
高田渡の曲は個性が強い。そのため聴きにくいと感じる人も多いことでしょう。しかし、よく聴いてみてください。優しい曲ばかりなのですよ。そして高田渡の生き方は多くの人々を魅了して止みません。あえて時代から取り残されようとした男、高田渡。今の時代にこそ聴いて欲しいミュージシャンのひとりです。