Jリーグ黎明期に活躍した日本人ストライカー
1995年5月15日、日本初のプロサッカーリーグ「Jリーグ」が誕生しました。当時、ジーコ、リネカー、リトバルスキー、ブッフバルトなど世界的プレイヤーが活躍するなか、個性的な日本人ストライカーも多く生まれてました。そんなJリーグ黎明期に活躍した日本人ストライカーをピックアップしてみました。
三浦知良
この話題を出す時に、彼を真っ先に出さないわけにはいかないでしょう。レジェンド!キングカズ。ブラジル仕込みのドリブル、ここぞと言う時に決めてくれるエースとしての自覚、そしてカズダンスというゴールパフォーマンス!全てにおいて超一級品!そしてあれから20年強、未だに現役というのがすごすぎる!
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福田正博
今では信じられない程低迷していた浦和レッズのなかで、孤軍奮闘していたミスターレッズ!1995年には日本人初となるJリーグ得点王にも輝いています。ジーコをして、卓越したスピードとゴール感覚は驚いたというほどの逸材だった。
高木琢也
身長184cmとストライカーとしては極めて高いわけではないが、驚異的な打点でヘディングシュートを決めまくっていた「アジアの大砲」。彼以降、ここまで高さを武器にして代表で活躍しているストライカーはいないのではないだろうか。現在は、生まれ故郷のV・ファーレン長崎で監督を務めています。
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武田修宏
前述のカズや、ラモス、北沢らとともにヴェルディ黄金期を支えたストライカー。卓越したスキルなどは持ち合わせていないが、ゴール嗅覚、いて欲しいところにいるポジショニングの巧さは秀逸だった。今では、芸人のようになっていますが、本当に良いストライカーでした。
永島昭浩
ガンバ大阪の前身である松下電器時代から支えてきていたミスターガンバ!Jリーグ開幕年にはリーグ戦で12ゴールを記録。今ではカミカミがお馴染みのスポーツキャスターに、そして娘が女子アナになるなんて想像もできなかった。
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黒崎比差支
同時代に活躍していたカズや高木の陰に隠れて、代表では地味な存在になってしまったいぶし銀ストライカー。下馬評では厳しいと言われていた鹿島アントラーズを常勝軍団にまで引き上げていった功労者の一人。
中山雅史
ご存知「ゴン中山」。Jリーグ黎明期は、所属先であるジュビロ磐田がまだJリーグに入れていなかったため、知る人ぞ知るストライカーだったが、代表では貴重なスーパーサブとして、泥臭いゴールを連発していた「魂のストライカー」
中山雅史 - Wikipedia
他にも〇〇選手を忘れている!などとあると思いますが、自己流と言う事で勘弁してください。カズや中山など、ここぞと言う時にゴールを決めてくれる印象が残っているストライカーがエースなのでしょう。今の代表でもそのようなエースが誕生して欲しいですね!