音楽アーティストや俳優として活躍中の財津和夫さん
財津和夫さんのプロフィール
財津和夫さんの経歴
生い立ち
戦時中、朝鮮半島で生活していた財津和夫さんのご両親は終戦後に帰国。福岡の競輪場にて食堂を営み、生計を立てていました。5人兄弟の末っ子として生まれた財津和夫さんでしたが、長男と次男は亡くなっていたため、三人兄弟として育ったようです。
幼少期より洋画や洋楽に触れる機会が多かったようで、自然と西洋文化に興味をもつようになったといいます。高校時代にはビートルズに憧れ、そういった影響がアーティストとしての財津和夫さんの礎になったのだといえるでしょう。
音楽アーティストとしての活動
1969年に和製のビートルズを目指して『ザ・フォークシンガーズ』を結成。しかし、音楽業界ではあまり活躍できず、バンド名を『チューリップ』に改名しました。財津和夫さんは、結成当時よりリーダー的な役割をしており、ほとんどの楽曲の作詞・作曲は財津和夫さんによるものです。
1978年にはソロデビューも果たし、NHKの番組『みんなのうた』に財津和夫さんの楽曲『切手のないおくりもの』が採用されると、小学校の授業で使用されている歌集にも掲載されました。さらには作曲家としては、木之内みどりさん・松田聖子さん・沢田知可子さん・藤井フミヤさんなどの有名アーティストに楽曲を提供しています。
1989年には『チューリップ』の解散を表明しましたが、その8年後の1997年には再結成を果たし、現在でも2~3年おきにツアー活動が行なわれているといった状況です。
俳優としての活躍
1976年、TBS系列で放送されたテレビドラマ『三男三女婿一匹』に準レギュラーといった位置付けで出演。その後、様々なコンテンツに出演されるようになり、俳優としての活躍ぶりも目覚しいものがあります。
同じくTBS系列で、1985年に放送されたテレビドラマ『昭和ラブソディ』。こちらの作品では主役もしており、映画といった分野でも存在感を発揮しています。
財津和夫さんにまつわるエピソード
ミュージシャン同士の交流
財津和夫さんと仲がいいミュージシャンとして、つのだ☆ひろさん・小田和正さんのお二人が有名です。
財津一郎さんとは遠い親戚
もともと財津家は熊本の阿蘇地方にルーツがあり、熊本藩の藩士だったとのこと。財津和夫さんの父親は婿養子で、母親の家系から財津家の血筋を受け継いでいるようです。
2016年に放送されたNHKの番組『ファミリーヒストリー』でその事実が明らかになり、番組内で紹介されました。
ご家族について
1985年に財津和夫さんは一般女性と結婚しており、プライベートでは現在も幸せに暮らしているみたいです。当時、結婚式や披露宴はしなかったようで、後に、そのことを若気の至りだったと話されています。
1990年に長女、1986年には長男が生まれ、財津家は、ご夫婦に一男一女の4人家族となります。息子さんは一般人のようで詳細は掴めませんが、娘である慶子さんのほうは声優として、青二プロダクションに所属していたようです。
しかし、現在は青二プロダクションの公式HPに慶子さんの掲載はなく、声優業を続けているのか分かりません。結婚され、仕事を辞めたといった可能性もありますよね。
財津和夫さんの主な代表作
楽曲
テレビドラマ
『三男三女婿一匹』
概要&内容
概要&内容
『たったひとつの恋』
概要&内容
映画
『メイン・テーマ』
内容&あらすじ
『ソラニン』
内容&あらすじ
現在の財津和夫さんの活躍ぶり
3年前には大腸がんを患い、『チューリップ』45周年ツアーの公演を中止した財津和夫さん。しかし、闘病生活を乗り越えて、現在は精力的に音楽活動に復帰されています。さらには、10年以上の年月を経て、新曲作りもしているとのこと。
その詳細を紹介している記事のリンク先を掲載させていただきます。
財津和夫さん 10年ぶり新曲に込めた思い|けさのクローズアップ|NHKニュース おはよう日本
苦しい闘病生活を経験した財津和夫さんだからこそ、新曲に込めた“大丈夫“という言葉に説得力が生まれ、その想いが心に響くような気がします。
これからも元気に活躍する姿が見られそうで、ファンとしては嬉しい限りです。これからも財津和夫さんの活動を応援していきたいと思います。