田村正和
なりたくてもなれないもののひとつにハンサムというのものがあります。一時期は日本のアラン・ドロンと呼ばれ、ハンサムの代名詞的存在の田村正和。とても興味深い人です。
田村正和
ハンサムな人というのは妬まれたりするるのでしょうか?妬まれないからこそハンサムなのでしょうか?田村正和に関して言えば間違いなく後者。だからそこでしょう。クールな役からコミカルな役まで実に幅広い役を好感度を伴って演じ続けてきました。
そんな田村正和の代表作、集めました。
眠狂四郎
誰もが認める二枚目俳優、田村正和。いつ見てもカッコいいですよねぇ。とは言え、いつも主役だったのかと言えば、そうではありません。高校生で既にデビューしてる田村正和なのですが、ブレイクを果たすのは1972年10月から放送が開始された「眠狂四郎」です。
田村正和は当時30歳ですね。高校生デビューということを考えると結構時間が経ってます。とは言ってもそれまでも途切れることなくドラマや映画に出演していたわけですから不遇の時代というわけではありませんけどね。
それにしても凛々しいですよねぇ。
若さま侍捕物帳
どこか陰のあるニヒルな役者。そのイメージを同じ時代劇でありながらも一変させたのが1978年5月から放送開始された「若さま侍捕物帳」です。
粋でいなせなチャキチャキの江戸っ子という役どころということで、田村正和は大いに悩んだそうですが新境地を切り開いた重要な作品となりました。
日本の黒幕
「日本の黒幕」と書いて「にほんのフィクサー」と読む。降旗康男監督による1979年公開のこの映画、これがまた田村正和にとって転機となっています。
日本の黒幕(プレビュー) - YouTube
田村正和にとって何故この作品が転機となったかというと、以降1993年まで映画には出演することがなくなったんですよ。
そもそもこの映画は、大島渚監督ににヤクザ映画を撮ってもらいたいということで企画されました。しかし、様々な問題が起こり、結局は大島渚監督は降板するという事態に。話題の映画になるはずだった「日本の黒幕」は、問題含みの映画となり商業的にも上手くいきませんでした。
うちの子にかぎって…
田村正和にとって80年代はホームドラマの時代と言って良いでしょう。 1984年8月から放送開始された「うちの子にかぎって…」、ここから更なる大ブレイク、快進撃が始まるのですよ。