そもそも80年代ってどんな時代だった!?
高度経済成長期が終わり、先進国の一角として日本が勢いを増していた80年代。芸能界ではキャンディーズやピンク・レディーの解散、そして山口百恵の引退と70年代を代表するアイドルが次々と姿を消し、それと入れ替わる形で1980年4月、松田聖子が彗星の如くデビューを飾りました。
松田聖子「青い珊瑚礁」
その可愛らしい顔立ちと抜群の歌唱力で、瞬く間にトップアイドルになった松田。ヒット曲を量産するだけでなく、ヘアスタイル「聖子ちゃんカット」を流行させるなど、ファッションリーダーとしても活躍し、まさに80年代を象徴するアイドルとして君臨していました。その一方で、1982年には中森明菜がデビュー。松田と双璧をなす存在となり、聖子と明菜のどちらを応援するかで迷った人も多いかと思います。なお、1982年にはそれ以外にも小泉今日子、早見優、原田知世など錚々たるアイドルがデビューしており、彼女たちを総称して「花の82年組」と呼ぶこともあります。
中森明菜「スローモーション」
スポーツに目を向けてみると、野球では西武ライオンズが広岡達朗、森昌彦の両監督の手腕により黄金時代を迎えていました。高校野球では桑田真澄・清原和博のKKコンビが話題に。一方、プロレスにおいてはアントニオ猪木を中心に新日本プロレスが全盛期を迎え、ジャイアント馬場は徐々に第一線を引くようになりました。
書籍「森・西武ライオンズ 9年間の黄金伝説~「常勝レオ軍団」の軌跡」
漫画においては週刊少年ジャンプが黄金期を迎え、鳥山明「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」、原哲夫「北斗の拳」などが大ヒット。アニメでは藤子不二雄の作品が人気を博し、「ドラえもん」をはじめ「パーマン」「忍者ハットリくん」「プロゴルファー猿」といった作品がテレビ朝日系列で放送されていました。
また、ゲーム界隈では高橋名人が大ブレイク。「シューティングウォッチ(シュウォッチ)」を用いて、名人の繰り出す「16連射」を再現しようと、子供たちは日々鍛錬を重ねていました。
シューティングウォッチ
文化面では、糸井重里らがコピーライターとして一世を風靡。西武百貨店のキャッチコピー「不思議、大好き。」や「おいしい生活」などが注目を浴び、日本経済がバブル期へと向かう中で広告にお金を使う企業が増加し、コピーライターが花形職業として持て囃されました。
この記事では、そんな80年代に流行した玩具について、いくつかピックアップしてご紹介したいと思います。
書籍「(ぶんこ版)糸井重里の萬流コピー塾 」
動画【80年代、僕らが夢中になった人気のおもちゃがコレだ!】を製作しました!
本文の途中ですが、告知させていただきます!!
今回、動画【80年代、僕らが夢中になった人気のおもちゃがコレだ!】を製作しました。ユーチューブでご覧いただけます。
本稿に登場する数々のおもちゃ。それらをふんだんに用いて、懐かしさを感じていただける内容に仕上げました!
80年代に幼少期、思春期を過ごされた方は必見です!!
ゲーム&ウオッチ
まずご紹介するのは「ゲーム&ウオッチ」。これは1980年に任天堂が発売した携帯型の液晶ゲーム機で、その手軽さが受けて大ヒット商品となり、1983年にファミコンが発売されるまでの間、任天堂の主力商品として一世を風靡していました。なお名称に「ウオッチ」とあるのは、ゲームをしない間は時計として使える機能が備わっていたためです。
ゲーム&ウオッチ「ボール」
ゲーム&ウオッチの主なタイトルとしては、1980年に発売された初期のラインナップ「ボール」「フラッグマン」や、1981年に発売された「ポパイ」「ミッキーマウス」といった他社のキャラクターを採用したもの、そして1982年に発売された「ドンキーコング」「マリオブラザーズ」などがあります。
ゲーム&ウオッチ「ドンキーコング」
「ポパイ」「ミッキーマウス」は、ワイドスクリーンと呼ばれる従来の1.7倍の大きさの画面となっており、さらに「ドンキーコング」「マリオブラザーズ」は、マルチスクリーンと呼ばれる2画面仕様に。このように年を追うごとにゲームが複雑化し、主な購買層であった小中学生を夢中にさせました。
超合金
ポピー(現:バンダイ)が1974年から販売していた「超合金」シリーズ。アニメ「マジンガーZ」の玩具「超合金マジンガーZ」を原点とした、亜鉛合金を使用した重厚な玩具であり、その頑丈で豪華な仕様から当時の子供たちの憧れの的となりました。
超合金「マジンガーZ」
超合金シリーズの中でも特に人気が高かったのは「ゴールドライタン」。これは1981年から1982年にかけて放送された同名アニメのキャラクターであり、亜鉛合金をダイヤモンドカッターで削り(クリスタルカットと呼ばれた)、さらに金箔を貼るなど、さながら工芸品のような仕上がりが話題となりました。
超合金「ゴールドライタン」
一方、アニメ「勇者ライディーン」などがラインナップされた、高度なギミック(合体、変形など)を取り入れた「デラックス超合金」シリーズ、「がんばれ!!ロボコン」「バトルフィーバーJ」などの特撮関連の超合金も登場。昭和期の男児向けのアニメ・特撮の多くで、超合金が商品として展開されていました。
ソフトビニール
中身が空洞になっているビニール製人形などの総称「ソフトビニール(ソフビ)」。60年代には「ゴジラ」などの怪獣のソフビが市場を席巻し、その後も「ウルトラマン」「スーパー戦隊シリーズ」などの男児向け、「リカちゃん人形」などの女児向けの玩具が多数登場しました。80年代には、鳥山明のヒット作のひとつ「Dr.スランプ」の主人公・アラレちゃんのソフビも登場。漫画・アニメ関連作品のキャラクターもソフビとして展開されていました。
アラレちゃんのソフビ
マイコン
70年代から80年代にかけて、マイコンの略称で親しまれた「マイクロコンピュータ」。現在のパソコンの前身とも言えるもので、パソコンの価格が個人でも所有可能な価格帯まで降りてきたことから、趣味や娯楽を目的とした用途で買い求める人が急増しました。
まんが版「こんにちはマイコン」
とはいえ、当時の子供たちにとってはまだまだマイコンは高根の花。そんな中人気を集めたのが、マイコンを題材とした漫画です。1982年には、「ゲームセンターあらし」で有名な漫画家・すがやみつるが漫画「こんにちはマイコン」を発表。「PC-6001」「JR-100」「ぴゅう太」といった当時の最先端のマイコンを紹介し、マイコンによって未来はどのようになるのかを予想していました。こうした漫画を通じて、手元にマイコンの無い子供たちはマイコンへの憧れを増幅させていったのです。
ロボダッチ
1975年に今井科学(イマイ)が発売したキャラクター商品「ロボダッチ」。ロボダッチは漫画家・小澤さとるが生み出したロボットのキャラクターで、メインキャラとして「タマゴロー」、その他ロボQ、ロボZ、ロボXなど様々なキャラが登場しました。なお、ロボダッチの名称は「人間だったら友達だけど、ロボットだからロボダッチ」という理由から来ています。
「ロボダッチ」DX SET
商品のラインナップには1975年に発売したプラモデルをはじめ、ソフビ人形や消しゴム、さらには漫画作品などがあり、80年代には自社の「サンダーバード秘密基地」のパーツを流用した「ロボッ島」シリーズがヒット。その後もガンプラにインスパイアされた「モビルタマゴロー」や、ゼンマイ歩行が可能な「テクテクロボダッチ」など、様々な商品が展開されました。
アタリ(ATARI)
1977年にアタリ社が発売したゲーム機「Atari 2600」。ファミコンに先駆けて登場した家庭用ゲーム機として有名なアタリですが、日本では「アタリショック」の名で知られていると思います。
E.T. The Extra-Terrestrial
「アタリショック」とは、1982年にアメリカで起こった家庭用ゲーム機の急激な市場規模縮小のことであり、その原因は「低品質なゲームソフト(後年、クソゲーと称される)」の量産。中でも「E.T.」は、伝説のクソゲーとして歴史に名を残すなど不名誉な扱いを受けています。このアタリショックの結果、多くのゲームメーカーが倒産に追い込まれ、アタリ社も分割されることとなりました。売れ残った不良在庫を埋めて処分するという「ビデオゲームの墓場」が存在したという都市伝説も生まれましたが、後年になって真実であったことが判明しています。
ちなみに日本では、まだファミコンが登場する前であったことから家庭用ゲーム機はほとんど普及しておらず、アタリショックの影響は無かったと言われています。
ガンプラ
80年代以降、現在に至るまで高い人気を誇っている「ガンプラ(機動戦士ガンダムのプラモデル)」。発売されたのはアニメ放送終了後の1980年7月のことであり、初のガンプラとして「1/144 RX-78 ガンダム」及び「1/100 RX-78 ガンダム」が登場しました。ガンプラの価格は300円~800円に設定されており、超合金やゲーム&ウオッチなどに比べ当時の子供たちの財布に優しく、さらにガンダムが再放送されたこともあり、翌1981年頃より爆発的にヒットしていきます。
ガンキャノン 1/100スケール
ガンプラ発売当初のラインナップとしては、1/144スケールの第2弾「シャア専用ザク」や第3弾「改良強化新型グフ」、1/1200スケールの「量産型ムサイ」、1/100スケールの第2弾「ドム」などが登場。ラインナップが拡大するに従い「ガンプラブーム」はさらに加速し、模型雑誌や漫画雑誌がこぞってガンプラを特集しました。その結果、巷ではガンプラが品薄状態となり「ガンプラ狩り」が発生するなど社会問題にもなりました。
キン消し
ゆでたまごの漫画「キン肉マン」に登場する超人の玩具「キン肉マン消しゴム(キン消し)」。80年代においては、バンダイなどのメーカーが「ガシャポン(ガチャガチャ)」形式で販売していました。
様々な色のキン消し
キン消しの種類は非常に多岐にわたっており、基本は4cm程度のサイズの肌色(または赤色・青色など)の消しゴムなのですが、中には「でかキン消し」と呼ばれた大型のものや、逆に「チビ消し」と呼ばれた小型なもの、さらにはデフォルメされたSDシリーズなども存在します。バンダイが販売する正規品だけでも400を超える種類があり、その全てを収集するのは当時の子供には困難だった記憶があります。
でかキン消し「キン肉マン」
なお、バンダイが販売していた正規品がある一方で、玩具メーカー「コスモス」などが販売していたパチモンも当時流通していました。今となっては、このパチモンの方がむしろプレミアが付いていたりもします。
ビッグワンガム
カバヤ食品が1978年に発売した「ビッグワンガム」。「精巧なプラモデル&大きなガムが1枚」という構成で、食玩(食品玩具)の元祖とも呼ばれています。当時100円から150円の価格で購入出来たため、プラモデルを作りたい子供の間で爆発的に流行しました。
「ビッグワンガム」復刻版
ヤフオク! - 98 カバヤ ビッグワンガム / BIG-1 ジェット...
プラモデルの種類は、戦闘機、潜水艦など陸海空の乗り物を網羅しており、さらには鉄道車両や自衛隊の戦闘車両などもラインナップされていたため、大人でもビッグワンガムを購入する人が続出。箱に空いている「このまどからプラスチックモデルの種類がわかるよ!」と書かれた丸い穴から中身をチェックした上で、レジに運ぶという光景が見られました。
ファミコン
80年代に子供時代を過ごした人であれば、外すことの出来ないゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」。「ゲーム&ウオッチ」に続き、1983年7月に任天堂が世に送り出した据置型ゲーム機であり、当時の価格は14800円でした。
年季の入ったファミコンの本体
ファミコンは、カセットをスロットに差し込むことで多種多様なゲームをプレイ出来るという画期的なシステムであり、1983年の本体発売と同時に「ドンキーコング」「ドンキーコングJR.」「ポパイ」の3本が発売。さらに「五目ならべ 連珠」「麻雀」「マリオブラザーズ」などが発売され、徐々に人気を獲得していきました。
ドンキーコング
そんなファミコンが爆発的なヒットとなったのは1985年のこと。同年9月に発売された「スーパーマリオブラザーズ」が空前のブームとなったことで、ファミコン本体とともに買い求める人が続出。そのあまりの売れ行きから、不人気ソフトとの抱き合わせ販売が横行するなど社会問題にもなりました。その後も「ドラゴンクエストシリーズ」などがヒットしたファミコン。最終的に全世界で6000万台を売り上げるモンスターハードとなりました。
ビックリマンシール
ロッテが販売するチョコレート菓子「ビックリマン」のおまけとして一大ブームとなった「ビックリマンシール」。1985年から1991年にかけて販売された10代目のシール「悪魔VS天使シール」が特に人気が高く、漫画化やアニメ化されるなど、当時の小学生の間で社会現象となっていました。
第8弾のヘッド「魔肖ネロ」
ビックリマンに関する当時のエピソードとしては、シールを集めたいがためにお菓子を大量に購入し「シールだけ抜き取ってお菓子を捨てる」といったケースが挙げられます。これは当時社会問題となり、「一人3個まで」といった購入制限を設ける店舗が見受けられました。
「ロッチ」のスーパーデビル
また、正規品のシールを模倣したパチモンも出現。シール裏の「ロッテ」の文字が「ロッチ」になっている偽物が、ガシャポンなどで出回っていました。なお、今となっては正規品よりもパチモンの方が流通量が少ないといった理由から、パチモンの方がオークションサイトで高値で取引されているケースもあります。
ホバークラフト
水面などに向けて空気を高圧で噴出することで浮遊して運転出来る「ホバークラフト」。80年代には、子供向けの玩具としてホバークラフトのラジコンが登場しました。玩具メーカーのタイヨーから「タイフーン」という名のラジコンが発売され、普通のラジコンと差別化出来たことから、これを持っていると他の子供に自慢出来た記憶があります。ちなみに、水上で運転させることが多いため、水上で電池切れを起こして回収不能になってしまわないように気を付ける必要がありました。
R/C ホバークラフト ワイルドアタッカー
ゾイド
1982年にトミー(現:タカラトミー)が発売した玩具シリーズ「ゾイド(ZOIDS)」。動物や恐竜をモチーフに作られた玩具であり、ゼンマイや電動モーターにより稼働するギミックなどが特徴でした。当初は売上が振るわなかったため、翌1983年には「メカ生体ゾイド」へと名称を変更、そして80年代半ばには「ゴジュラス」「アイアンコング」などを販売し、展開を本格化させていきました。ゾイドは80年代における男児向け玩具の傑作として現在も語り継がれており、21世紀に入ってからも新作が発表されています。
メカ生体ゾイド ゴルドス
ミニ四駆
タミヤが販売している小型モーター搭載のプラモデル「ミニ四駆」。1982年7月にミニ四駆第1号として「フォード・レンジャー 4×4」が発売され、1984年には「コミカルミニ四駆シリーズ」、1986年には「レーサーミニ四駆シリーズ」が登場。このレーサーミニ四駆シリーズはオンロードタイプであり、外でミニ四駆を走らせて遊ぶ子供が急増し、第1次ミニ四駆ブームのきっかけとなりました。
マグナムセイバー プレミアム (スーパーIIシャーシ)
そして1987年には、徳田ザウルスによる漫画「ダッシュ!四駆郎」が小学館の月刊コロコロコミックで連載され、さらにブームは加速。「四駆郎」のアニメ化や、ミニ四駆の全国大会である「ジャパンカップ」の開催なども手伝い、80年代後半のプラモデルと言えばミニ四駆、と呼ばれる時代が到来しました。
漫画「ダッシュ!四駆郎」
カードダス
バンダイが販売しているトレーディングカード「カードダス」。自動販売機で1枚20円で買える手軽さが評判となり、当時人気が落ち始めていたビックリマンシールに代わる存在として人気を博しました。
MSZ-006 Zガンダム
カードの題材としては、「SDガンダム」「ドラゴンボール」「聖闘士星矢」「ウルトラ怪獣」などのキャラクターが採用され、特に「SDガンダム」と「ドラゴンボール」に人気が集まりました。そしてカードの仕様として特筆すべきなのが「隠れプリズム」。これは通常のカードとプリズムのカードの二重構造になっているカードで、通常のカードがシールとなっており、それをはがすとプリズムが出現するというものでした。このような豪華な仕様が当時の小学生に受け、巷には手持ちのカードダスを見せ合ったり、交換する子供たちで溢れていました。
ゲームボーイ
1989年4月、平成が開始した直後に登場した「ゲームボーイ」。任天堂がゲーム&ウオッチの後継と位置付けて開発した携帯型ゲーム機であり、当初の価格は12500円でした。
ゲームボーイ本体
ゲームボーイの特徴のひとつとして挙げられるのが「液晶がモノクロ」であること。1983年のファミコンが既にカラーであり、今更モノクロで大丈夫かという声があったものの、1989年6月に発売された「テトリス」の大ヒットにより、ゲームボーイ本体も爆発的な売れ行きを示しました。
「テトリス」のプレイ画面
また、ゲームボーイには対戦機能やアイテムなどの交換機能が備わっており、「通信ケーブル」を2台のゲームボーイに接続することでそれらの機能を楽しむことが出来ました。通信ケーブルを常備している子供もいて、ワイヤレス通信が当たり前となった近年と比べると隔世の感がありますね。
まとめ
今回ご紹介する玩具は以上となります。キン消し、ソフビと言った人形や、カードダス、ビックリマンシールといった収集系、ガンプラ、ミニ四駆といったプラモ系など実に様々な玩具が80年代には溢れていました。中でも特筆すべきは「ゲームは一日一時間」といった制限を大人から受けた、ファミコンの登場ではないでしょうか。「やり過ぎは心身に良くない」と指摘されるようになった玩具が登場したのも、この時代の特徴かと思います。
現代の洗練された玩具に比べるとレトロ感が漂ってしまうものの、なんだかんだで楽しめた80年代の玩具の数々。皆さんが当時夢中になっていた玩具は、ご紹介した中にありましたでしょうか?