シングル「白いページの中に」の1曲だけで活動を停止したポプコン出身歌手・柴田まゆみとは?
皆さんは柴田まゆみという歌手をご存知でしょうか?70年代から80年代にかけて隆盛を極めていた「ポプコン」出身のシンガーソングライターで、1978年に「白いページの中に」というシングルを1枚だけ発表し、そのまま行方を眩ませてしまった人物です。この記事では謎の歌手・柴田まゆみの概要と現在に迫ってみたいと思います。
「白いページの中に」のジャケット。

1曲だけのリリースとなった「白いページの中に」
高校時代、フォークソング部で活動していた柴田まゆみ。1977年の第14回ヤマハポピュラーソングコンテスト(以下ポプコン)に出場し、そこでは東中国大会で作詞賞を受賞するに留まったのですが、翌1978年の第15回ポプコンでは、つま恋で行われた本選大会に勝ち進み入賞を勝ち取りました。その際に歌ったのが「白いページの中に」であり、この曲は大石吾郎がパーソナリティを務めていたことでも有名な「コッキーポップ」の主題歌にも採用されています。

同年8月25日には「白いページの中に」でレコードデビューも果たし、これから本格的な音楽活動を開始すると思われた柴田。しかし、以降新たなレコードがリリースされることはありませんでした。これは、レコード会社が柴田に期待していた新曲を発表するペースと、柴田自身のペースが合わなかったことが原因だそうで、当時の「売れっ子であれば3か月程度で新曲を次々に出していく」というスタイルが、どうしても馴染めなかったのが理由のようです。その結果、柴田は「白いページの中に」の1曲のみでフェイドアウトすることとなりました。
貴重な映像が残っていました!
カバーがやたら多い「白いページの中に」
「数枚シングルを出しただけで表舞台から姿を消す」という歌手は柴田以外にも多数いるのですが、その多くは後世に語り継がれることが少ないというのが、現実としてあります。しかし柴田の場合、わずかに残したその楽曲が後年さまざまなアーティストによってカバーされています。ここでその一例をご紹介しましょう。
あみん(1983年、アルバム「メモリアル」でカバー)

笠原弘子(1991年、シングル「恋にNo RETURN!!」でカバー)

上原多香子(2003年、シングル「Make-up Shadow」でカバー)

これ以外にも、伊藤智恵理(1999年)、岩崎宏美(2003年)、八神純子(2012年)、石井竜也(2017年)など、多数のアーティストにカバーされています。たった1曲しかレコードを残していない歌手としては、異例のカバーの多さと言えるでしょう。ポプコン関連の楽曲の中で「白いページの中に」が印象深い楽曲であったことが伺えますね。
21世紀に入り、まさかの新たな動きが!!
他のアーティストのカバーによる柴田の再評価の流れが進む中、2004年に大きな動きがありました。それは、アルバム「白いページの中に and more tracks」のリリースです。これは、柴田が1992年に録音していたデモテープを基にレコーディングしたアルバムであり、「白いページの中に」のほか多数の新曲を収録。まさかのアルバム発表に、ファンには驚きをもって迎えられました。

さらに活動を活発化させる!!
そして翌2005年には、アルバムを引っ提げて記念ライブを開催。以降、柴田は積極的な音楽活動を再開しました。2016年にはイベント「僕らのポプコンエイジ~Forever Friends, Forever Cocky Pop~」に出演し、また2013年には公式フェイスブックを開設。フェイスブックでは最新の状況を報告しており、ライブを中心に活動を展開していることを伺わせます。また辛島美登里のツイッターに登場するなど、同世代の現役歌手との交流も盛んに行っている模様です。
「『白いページの中に』の歌手」という過去の人から脱却し、現在進行形で音楽活動を展開している柴田。今後の展開にも期待が高まりますね!
公式フェイスブック
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