色々な事情があった!?スキンヘッドをトレードマークにしている著名人!
いつの時代も何かと話題になる著名人のヘアスタイル。80年代には「聖子ちゃんカット」と呼ばれる、松田聖子の髪型を模した女性が大量に出現し、一大ブームを巻き起こしました。時には流行の最先端となる著名人のヘアスタイルですが、中には「スキンヘッド」をトレードマークにしている方々が散見されます。この記事では、スキンヘッドにしている方々のうち、80年代以前から活躍している人を何人か挙げてみたいと思います。
火野正平
イケメン俳優として、数々の女優との交際でワイドショーを騒がせた火野正平(1949年生まれ)。かつては長髪でしたが、近年はスキンヘッドにヒゲ面という渋いビジュアルが定着しており、その形の整った頭で女性を魅了し続けています。
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瀬戸内寂聴
僧侶、そして小説家としても著名な瀬戸内寂聴(1922年生まれ)。1988年に発表した「寂聴 般若心経」や1992年に発表した「花に問え」などが有名であり、テレビ出演も多い瀬戸内が出家したのは1973年のことで、それ以降尼僧としての活動を積極的に展開するようになりました。出家以前は当然頭を丸めておらず、髪の毛があった若い頃の写真が残っています。
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井出らっきょ
たけし軍団の一員として、草野球での活躍も有名な井出らっきょ(1959年生まれ)。井出がスキンヘッドにするきっかけとなったのは、若い頃に発症した「脱毛症」でした。この病気のためカツラを装着して芸能活動をしていたものの、たけし軍団へ入団するに際し頭髪を剃ることを提案され、思い切ってスキンヘッドにしたとのこと。その後はスキンヘッドが井出のトレードマークとなり、芸人としての人気に一役買うこととなりました。
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松山千春
北海道を代表するフォークシンガーとして有名な松山千春(1955年生まれ)。元々は長髪であった松山でしたが、1981年に発表したシングル「長い夜」を歌うにあたりパーマを当てたところ、それがきっかけとなったのか、その頃より頭が薄くなり始めました。また1991年には自律神経失調症を患うといった体調不良もあり、翌1992年、37歳のときに心機一転のためスキンヘッドにしたそうです。
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こちらが問題の「長い夜」

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山本小鉄
プロレスラー、レフェリー、解説者としてプロレス界で活躍した山本小鉄(1941年生まれ、2010年死去)。「ワールドプロレスリング」の解説や、鬼コーチとして若手を育成していたときのスキンヘッドが印象的であった山本ですが、若い頃は写真の通りスキンヘッドではなく五分刈りといったところでした。
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高橋名人
ファミコン世代であれば誰もが知る高橋名人(1959年生まれ)。「16連射」を披露していた頃はつば付きの帽子をトレードマークにしていましたが、近年再びメディア露出を増やしたときには見事なスキンヘッドを披露しました。ちなみに2003年からスキンヘッドにしているそうです。趣味であるツーリングをやる際に、スキンヘッドの方が勝手が良いというのがその理由とのこと。
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ストロング金剛
プロレスラー、俳優、そして「風雲!たけし城」などへの出演でも有名なストロング金剛(ストロング小林、1940年生まれ)。スキンヘッドにしたきっかけは1982年に出演した映画「伊賀忍法帖」で、このときの役柄が「金剛坊」だったため、ストロング金剛へと改名し頭髪をスキンヘッドにする決断をしました。その後1984年にプロレスラーを引退すると、タレント・ストロング金剛として活動を活発化させていくこととなります。
今回ご紹介するスキンヘッドの著名人は以上となります。皆さんの記憶に残る人はいましたでしょうか?
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