鬼を2つご紹介します
このコラムは「鬼ごっこ協会鬼文化コラム」より抜粋・編集したものです。
現在の元号「令和」といえば、その典拠は『万葉集』。ですから、同時期の古典『風土記』に登場する鬼を2つご紹介します。
まず『出雲国風土記』の大原郡の記述より。こちらに登場する鬼は「日本最古の鬼」とも言われますが、個人的には「人を食べる鬼」「一つ目の鬼」の初出と捉えております。
その内容は
と言いました。だから阿欲(あよ)の郷と名付けられ、後に神亀3年(726年)に郷名を「阿用」と改めたそうです」というもの。
「目一つの鬼」の解釈は諸説ありますが、鍛造する際の炎を見続けて片目を失明してしまう=一つ目になる事例があったことから、出雲に居たであろう鍛冶を担う集団を指摘する声があります。であるならば神としての鬼ではなく、人を指しているのでしょうが、だとすると尚更に、人間を食べる記述はちょっと恐ろしい・・・。
「あよあよ」と動いた理由についてもハッキリしておりません。一説には父母に危険を知らせたとも、あるいは、自分を置いて逃げた父母への嘆きとも。何せ原文には「動々」としか書かれておりませんので、息子さんのお気持ちは想像するしかありません。いずれにせよ、恐ろしい・・・。
もうひとつは『常陸国風土記』の久慈郡の記述に登場します。こちらには
という記述があります。こちらの文章の「鏡」については、中国の山西省辺りでは今も照魔鏡の縁起物が売られているということで、大陸由来の逸話の感があります。
と、前回から文献上に登場する鬼・隠を紹介してまいりましたが、そもそも単語として初めて登場するのはいつかというと、『三国志』「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条、通称「魏志倭人伝」です。「なにそれ?」と思われる方もいらっしゃるかもですが、日本史の授業で「卑弥呼」の存在は教わったことと思います。彼女のことを記した中国の書物です。
卑弥呼による鬼道

卑弥呼は「魏志倭人伝」に記されている倭国(邪馬台国)の女王です。ここには魏の皇帝・曹叡から卑弥呼に対し、景初2年(238年)または同3年(239年)に「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印が与えられたことなどが記されております。
今回注目したいのは以下の記述。
ウィキペディアによると
そう。女王卑弥呼が行っていたこと、それが「鬼道」、鬼なのです。
「鬼道」とは何か?
実は、明確な答えは定まっておりません。
有力な説として、卑弥呼は巫女(シャーマン)であり、呪術的な行為を行うことで国家統治を担ったというもの。その呪術的な部分を「鬼道」と表現しているのではないか?というものです。また、弟が政治をサポートしていることから、邪馬台国の政治システムは女の卑弥呼が神事を司り、実際の統治は男子が行う二元政治だったのではないか?と言われております。
事実、古代~南北朝時代あたりまでの日本や琉球王朝を見てみますと、政治のトップは男性・宗教的なトップは女性という体制をとっておりました。
女性祭司・・・日本ですと斎宮(さいぐう)、琉球王朝ですと聞得大君(きこえのおおきみ)です。いずれも天皇家・琉球王家の女性が選ばれます。政治を司る男性とは血縁関係・・・邪馬台国の卑弥呼と弟に通じるものがありますね。
何を「鬼」と指すかは確定していなくとも、卑弥呼の時代から「鬼」が登場しているロマンを感じたりする、そんな魏志倭人伝です。
第2回目も書物に登場する鬼のご紹介でした。次は祭礼のオニなどを…。
前回のコラムはコチラ
「鬼」という言葉の由来を考えたことはありますか。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
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