いしい ひさいち プロフィール
原田高夕己ブログ 『漫画のヨタ話』:「いしいひさいち」と4コマ革命 - livedoor Blog(ブログ)
本名 石井 壽一(読みは同じ)
生誕 1951年9月2日(68歳)
出身 岡山県玉野市
職業 漫画家
活動期間 1972年 -
ジャンル 4コマ漫画
代表作 がんばれ!!タブチくん!!
ののちゃん
人物像
いしい先生は、新聞連載や4コマ漫画を中心として活動する一方でいわゆる「新聞漫画」「風刺画」を基調とせず、プロ野球、政治、経済、時事問題、推理小説、哲学、時代劇、学生の貧乏生活、庶民の家庭生活など多岐に渡るテーマを扱い、極度にデフォルメされたキャラクターと過激な皮肉、ナンセンスや解読困難な展開など独特な世界観を提供する漫画家。
生立ち

漫画雑誌COM1971年5/6合併号
1951年9月2日に岡山県玉野市で誕生した、いしい先生。
岡山県立玉野高等学校2年生の時、漫画研究会発足時に誘われて会員となり、高校時代には虫プロ商事の漫画雑誌『COM』の読者投稿コーナー「ぐら・こん 基礎コース」に応募し、2度にわたって入選されています。
1970年(昭和45年)に関西大学に進学し、漫画同好会に入会。
漫画家デビュー

Oh!バイトくん
1972年の大学在学中に関西ローカルのアルバイト情報誌『日刊アルバイト情報』にて「oh!バイトくん」でデビューされています。
1975年(昭和50年)には、大学時代の仲間の峯正澄、レオナルド・いもらと「チャンネルゼロ工房」を結成し、同人誌「チャンネルゼロ」を刊行する。
同年3月、5年かかって関西大学社会学部を卒業、漫画家となる道を選ばれています。
因みに、「チャンネルゼロ工房」で発行した自費出版単行本『Oh!バイトくん』が評判となり、1977年(昭和52年)にプレイガイドジャーナル社から初の単行本『バイトくん』が発売されています。
がんばれ!!タブチくん!!

がんばれ!! タブチくん!! Part.2 (漫画アクション増刊 1979年4月22日
1979年に双葉社より『漫画アクション』に連載刊行された「がんばれ!!タブチくん!!」。
実在の有名人をモデルとしたキャラクターによるギャグ漫画で、大ヒットし1979年から1980年にかけてはアニメ映画が3作品制作されています。
ドラマ化
1980年(昭和55年)には、いしいの初期の多数の4コマ漫画作品が原作の『おじゃまんが山田くん』がテレビアニメ化され、
更には、1981年(昭和56年)にはアニメ映画化もされ、1984年(昭和59年)には『元祖おじゃまんが山田くん』として実写ドラマ化もされました。
賞

文芸春秋漫画賞の47年
いしい先生は数々の賞を受賞されています。
1985年文藝春秋漫画賞を受賞。
2003年『現代思想の遭難者たち』(講談社)、『ののちゃん』(朝日新聞朝刊連載)など一連の作品に対して、第7回手塚治虫文化賞 短編賞を受賞。
第32回2003年度日本漫画家協会賞大賞を受賞。
2006年菊池寛賞を受賞。
素顔が謎???

ホーホケキョ となりの山田くん
いしい先生は極端なマスコミ嫌い・人嫌いで、顔写真が公開されたのは、
『週刊明星』1979年9/30・10/7合併号と、文藝春秋漫画賞を受賞した1985年に『夕刊フジ』(同年5月30日付)・『週刊文春』6月6日号に三度だけだと言います。
漫画賞を受賞しても授賞式にも登場することはなく、代理人が出席。
また『となりの山田くん』映画化時は記者会見に出ないということが映画化を許諾する際の条件だったそうです。
結婚は?
いしい先生は1985年にヤクルト本社のノンキャリアOLであった女性と結婚されています。
奥さんは漫画「ののちゃん」の猫久保さん(図書室司書)に似ているとか・・・。
現在のいしい先生は?

ののちゃん
2009年11月21日より病気療養に入り、全ての連載が休載になりました。
その後、体調が回復したため、2010年3月1日より朝日新聞の連載を再開させるなど、一部の仕事について復帰されています。
それ以後、2015年現在に至るまで、連載は『ののちゃん』のみとなっているそうです。
憶測ですが、いしい先生、病気療養以降は、お仕事を多少セーブされてると思われます。
最後に・・・。

コミカル・ミステリー・ツアー
いかがでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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