第1回プロ野球ドラフト会議(1965年)で1位指名を受けた選手のその後【パ・リーグ】

第1回プロ野球ドラフト会議(1965年)で1位指名を受けた選手のその後【パ・リーグ】

日本のプロ野球において新人を獲得する制度としてドラフト会議が1965年から開始されました。ドラフト以降で1位指名を受けた選手はセパ両リーグ合わせて毎年12名。野球のスーパーエリートでもあるこのドラフト1位指名の選手がどうだったかを追ってみました。


本人は無実を主張するも、永久追放。

1970年7月30日、球界を永久追放されてしまいました。

江夏豊が、「オレより速い」と認めた男。

西鉄ライオンズ1位:浜村孝(内野手・高知商業高校) 

プロ入りまで

高知商業では2年生の時、1964年夏の甲子園予選南四国大会準決勝に進むが徳島商に敗退。この大会で3本塁打を放ち注目される。同年の秋季四国大会決勝に進出、同期のエース江本孟紀が好投し、小坂敏彦のいた高松商を降し優勝を飾る。翌1965年の第37回選抜高等学校野球大会への出場を決めたが、部の不祥事で出場辞退。夏の県予選も出場停止処分を受けた。

ドラフトの順位で、江本孟紀が入団拒否?

浜村孝の同期、江本孟紀も同年のドラフト会議で西鉄ライオンズに4位指名されるが、江本は4番でエースだったのに、3番を打っていた浜村より下位指名だったことに納得がいかず、入団拒否をしたとされる。(後に、江本本人はこれを否定している。)

プロ野球での実績

<現役生活>
1966年~1977年

<成績>
415試合 930打席 203安打 13本塁打 打率.218

<主なタイトル>
なし

<表彰>
なし

入団2年目の1967年には、船田和英の故障もあって遊撃手に定着。豊田泰光の背番号7を受け継ぎ、1969年までレギュラーとして活躍。しかし打撃面で伸び悩み、1970年のシーズン後半には、菊川昭二郎にポジションを譲る場面が多くなる。

同年オフ、広野功と共に、高橋明、田中章、梅田邦三とのトレードで読売ジャイアンツへ移籍。1971年には12試合に先発出場。しかしシーズンオフに事故で右手小指を切断し、1972年に二軍で復帰するものの、同年限りで引退した。

1976年に太平洋へ復帰し、登録名は戸籍上の「浜村孝」とした。翌1977年は一軍に入れず、同年限りで再び引退。

引退後

ロッテオリオンズでコーチを1988年から1992年まで務めた。ロッテ退団後は、地元で浜村海産の代表として活動している。

阪急ブレーブス:長池徳二(外野手・法政大学)

長池 徳士

ヤフオク! - BBMベースボールカード フュージョン2018 078 記...

プロ入りまで

徳島県立撫養高等学校ではエースとして1960年秋季四国大会決勝に進出、高橋善正のいた高知商を降し、翌1961年の春の選抜出場を決める。しかし選抜では2回戦(初戦)で松江商に敗退。夏は県予選準々決勝で城南高に敗れ、甲子園には届かなかった。3年生時に南海ホークスのテストを受けたが、鶴岡一人監督に「使い物になるには4年はかかるな。遊びに行ったつもりで大学行ってこい。」の言葉により、鶴岡の母校法政大学経営学部へ進学した。

法大では外野手に転向する。東京六大学リーグでは在学中3度の優勝を経験した。1964年秋季リーグで首位打者を獲得。同年10月には、東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された日米大学野球選抜試合に六番打者、右翼手として出場している。4年生の1965年春季リーグではエース里見忠志(河合楽器)を擁し優勝に貢献。直後の全日本大学野球選手権大会に出場するが、1回戦で中京大に敗退している。リーグ通算60試合出場、217打数62安打、打率.286、3本塁打、30打点。ベストナイン3回。法大時代は通算3本塁打の成績が示すとおり長距離砲というわけではなかった。同期には外野手の鎌田豊がいる。

大学を卒業したら南海入団の約束になっていたが、その年からプロ野球はドラフト制度を導入。阪急ブレーブスが1965年のドラフトで1位指名を行う(南海は2位指名の予定だった)。ドラフト制度の目的には高騰する一方だった契約金の抑制もあり、南海と3000万円が約束されていたにもかかわらず、1000万円に抑えられた。希望球団に入れず、契約金も抑えられたことで「ホンマ、えらいもん(ドラフト制度)ができよったすよ」と長池は苦笑混じりに振り返っている。

プロ野球での実績

「ミスターブレーブス」と呼ばれるほどの活躍を見せた。
1967年から1975年にかけて阪急の不動の四番打者を務め、通算338本塁打は現在も球団記録である。

<現役生活>
1966年~1979年

<成績>
1449試合 4872打席 1390安打 338本塁打 打率.285

<主なタイトル>
本塁打王=3回(1969、1972~1973)
打点王=3回(1969、1973~1974)

<表彰>
最優秀選手=2回(1969、1971)
ベストナイン=外野手で6回(1967、1969~1973)、指名打者で1回(1975)
オールスターゲームMVP:3回 (1967年 第2戦、1970年 第1戦、1971年 第2戦)
日本シリーズ敢闘賞:2回 (1968年、1969年)
パ・リーグプレーオフMVP:1回 (1975年)
パ・リーグプレーオフ敢闘賞:1回 (1974年)
日本プロスポーツ大賞 殊勲賞:1回 (1971年)

本塁打王に3回、打点王に3回輝き、4番打者を務めた9年間(1967年 - 1975年)の全てのシーズンで「25本塁打以上」を記録(うち40本塁打以上が4回)。安打に対する本塁打の比率が非常に高い打者であったが、打率を残せる打者でもあり、「打率.300以上」を4回クリアしており、うち3回のシーズンで40本塁打を同時に達成している。

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