伴大介 プロフィール

本名 斉藤 清憲 (さいとう きよのり)
別名義 伴 直弥 (ばん なおや)
生年月日 1947年5月5日(72歳)
出生地 埼玉県川口市
身長 171 cm
血液型 O型
職業 俳優
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
事務所 アイ コンティネンス
生立ち
1947年5月5日に埼玉県川口市で生まれた伴さんは埼玉県立蕨高等学校入学し、高校在学中より演劇活動を始められています。
その後、明治大学文学部卒業後に劇団NLTのオーディションを受けて合格して研究生となり、本格的に役者の道に進み劇団の仕事で地方の学校を巡回公演されています。
デビューは?
伴さんのデビューはNETテレビ(日本教育テレビ、現在のテレビ朝日)で1961年から放送されていた刑事ドラマ『特別機動捜査隊』のチョイ役に3話ほど登場されました。
第491話「最後の道化師」(1971年) - 卓也
第745話「大学は出たけれど」(1976年) - 板垣志郎
第798話「大都会の魔手」(1977年)
人造人間キカイダー

そして伴さんの代表作1972年7月8日から放送された『人造人間キカイダー』では主役のジローに大抜擢され、本格的デビューを果たしています。
その際、原作者・石ノ森章太郎氏に「伴 大介」と命名され芸名が伴大介さんとなりました。

「人造人間キカイダー」終了後1973年からは再び「イナズマン」で主演を務める事に。
その際、姓名判断によって「伴 直弥」(ばん なおや)に改名。
しかし、石ノ森氏や東映スタッフへの事前報告をせずに独断で改名したため、激しい怒りを買ったといいます。
特に吉川進氏(東映のプロデューサー)からは「直弥」名義での出演を拒否され、『キカイダー01』には改名後にもかかわらず「大介」名義で出演することになったそうです。
最も怒っていたのは名付け親の石ノ森氏だったらしく、『イナズマン』の現場に石ノ森氏が監督として現れた際によそよそしさを感じたという・・・。
東映から干された!!

1976年『忍者キャプター』(東京12チャンネル)では三たびヒーローを演じることとなった伴さん。
誤解からスタッフとの間に確執が生じ、互いにそれをエスカレートさせてしまい、このことが原因となり、内定していた『特捜最前線』(テレビ朝日)へのレギュラー出演が取りやめになり、しばらくの間は東映から干されてしまいます。
『バトルフィーバーJ』で復帰

1979年伊藤武史さん(バトルコサック初代)に代わり演じた『バトルフィーバーJ』の二代目バトルコサック=神誠役で2年ぶりに東映作品へのレギュラー出演を果たしました。
周りが20代の中、伴さんは当時32歳だったそうです。
※バトルコサックの交代は、伊藤武史さんが「結婚するので降板したい」と申し出たからだと吉川進氏は回想している。

改名で和解
1997年、『キカイダー』25周年に合わせて芸名を「伴直弥」から「伴 大介」に戻されました。
同年刊行された著書『キカイダー賛歌』(池田駿介氏との共著)で石ノ森氏にインタビューを行っており、その中で伴が自身で「大介」に戻すと報告し、石ノ森氏も「カムバックするか」と喜んでいたそうです。
芸名を変えた理由は「占いでこのままでは大ケガすると言われて軽く変えてしまった」と石ノ森氏に語っています。
芸名を戻した翌年に石ノ森が60歳で逝去し、その際のコメントで「先生のご存命中に(芸名を戻し)、ご報告出来たのがせめてもの救い(断りを入れず改名したことが原因で怒らせてしまった経緯もあるため)」と語られています。
結婚やお子さんは?

伴さんは以前、旅行業界に勤めていた女性と結婚されて、一男儲けるが、後に離婚されました。
その他の作品

1990年代からは鶴田法男監督作品への出演も増え、特に『リング』シリーズ(東宝)では、伊熊平八郎(貞子の父役)を演じて全4作に出演。
2014年公開の映画『キカイダー REBOOT』(東映)には、前野究次郎役で出演。
第二次大戦中の米国での日系人部隊編成までを描いた2017年の米映画『Go For Broke--A 442 Origin Story』にはMr. Otani役で出演もされています。
現在の伴さんは?
東の横綱・宮内洋、西の横綱・伴大介と称されるように数々のヒーローを演じ、その後も役者としてあらゆる役柄に挑戦されています。
ここ2年ほど出演作がありませんが、伴さん現在72歳、連続ドラマなど何か月も時間が拘束されると言います。
なので、お仕事をセーブされてると思われます。
また近いうちに元気な伴さんがドラマや映画に登場されるかもしれませんね。
最後に・・・。
いかがだったでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。