衝撃の死 散弾銃で自殺した「昭和のクールガイ」田宮二郎 

衝撃の死 散弾銃で自殺した「昭和のクールガイ」田宮二郎 

端整なルックスに細マッチョ、そして身長180cmの長身の大映の看板俳優だった田宮二郎さん。二枚目役から悪役までこなす演技力で犬シリーズ、黒シリーズ、そして白シリーズに主演。何と言っても「白い巨塔」での財前五郎役は女性たちの目に田宮二郎を焼き付けたのではないでしょうか。


俳優へのきっかけは「ミスターニッポンコンテスト」の優勝

大阪府大阪市北区出身の田宮二郎さんは、幼い時に両親と死別し、京都の親族に育てられした。
外交官志望でしたが、学生時代は演劇に興味があり、シェイクスピア劇研究会に所属。

大学在学中(1955年)にスポーツニッポン社主催「ミスターニッポンコンテスト」で優勝したことがきっかけで、大映演技研究所10期生として入社します。
1956年「ミスタースマートコンテスト」で空手を披露し、これまた優勝。ファッション雑誌「男子専科」の専属モデルに応募し合格するなど、以後数年間は俳優業を兼ねモデル活動も。

1957年に本名の「柴田吾郎」で俳優デビューしますが、1959年大映社長の永田雅一がオーナーを兼務する毎日大映オリオンズの強打者・田宮謙次郎にあやかりたいという永田の意思に強制され「田宮二郎」と改名。
長らく端役が多かった田宮二郎さんですが、1961年に「女の勲章」の演技で注目を集め、同年秋に「悪名」で勝新太郎と共演したことがきっかけで、「続悪名」の勝の相棒「モートルの貞」役に抜擢。人気スターの仲間入りを果たします。

その後シリーズ化が決定、「勝・田宮」コンビで、長きにわたる人気シリーズとなりました。またこれらの演技が評価され、1961年エランドール新人賞を獲得しました。

勝新太郎と共演した「悪名」

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田宮二郎さんは、司会やCMなど多方面にも活躍され、日本酒「大関」のCMは永く出演していました。
ですが、本人はほとんどお酒が飲めず、収録ではお酒ではなく水だったそうです。
このCMは、2009年稲垣吾郎さんでリメイクされました。

田宮二郎と言えば「白い巨塔」

田宮二郎さんは、財前五郎役で1966年映画「白い巨塔」と1965年ラジオドラマ「白い巨塔」で主演しました。特に映画版は、数多くの賞を受賞した歴史的名作です。

ドラマ化は、田宮二郎さんが強く要望し制作されたものです。
映画版の続編が書かれ時、田宮二郎さんは続編の結末までを演じたいと切望していました。
映画で主演した当時は31歳だった田宮二郎さんは、ドラマ化の時には43歳となっていて、原作の財前五郎の年齢設定(42歳)とほぼ同時期になったこともあり、改めて財前五郎を演じたいという思いが強くなったようです。

このような背景もあり田宮二郎さんの要望と、原作者の山崎豊子さん他、周囲の協力もあって3度目の映像化が実現したのです。

田宮二郎さんはこの作品で、メスを持つ手にリアリティを持たせる為、カエルの解剖を幾度と無く繰り返していたというエピソードも。

浪速大学医学部本館として使われたドラマのロケ地は、浴風会病院です。
さらに手術シーンのほとんどは、医師及び患者の許可を取って撮影された実際の映像だったのです。

浪速大学医学部本館に使われた浴風会病院

wikipedia

1978年3月からドラマの撮影開始しましたが、その頃の田宮二郎さんは、躁うつ病(双極性障害)を患っており異常にテンションが高かったそう。

第18話まで撮影したところでドラマの撮影は1カ月の休暇に入り、田宮二郎さんはロンドンへ旅行に出発。帰国後、後半の収録が始まりましたが、旅行前とは一転し欝状態に陥り、泣き崩れてばかりでセリフが頭に入らなくなっていました。田宮二郎さんの妻やスタッフの必死の励ましと共演者の協力もあり無事撮影は終了しました。

最終話の財前五郎の死のシーンでは、田宮二郎さんは3日間の絶食で癌患者になりきり、財前五郎の遺書も自らが書き、それを台本に加えさせるなどリアリティを求めました。
白布を掛けられストレッチャーで運ばれる財前五郎の遺体は、自ら希望し田宮二郎さん自身が演じています。収録後には「うまく死ねた」とラストシーンを自賛したそうです。
ですが、クランクアップの2日後1978年12月28日に、田宮二郎さんは猟銃自殺してしまいます。

本放送では「完」と表記された後に「田宮二郎さんのご冥福をお祈りいたします」とテロップが挿入されたのをご記憶の方も多いのでは。
残念ながら、テロップ入りの画像が入手できませんでしたが、最終話をご覧ください。

衝撃の死

「白い巨塔」の放映が残り2話となった1978年12月28日の午前中、田宮二郎さんの付き人は体調を崩した田宮夫人の母親を病院へ連れて行きました。

その後、田宮邸に戻り、その旨を田宮二郎さんに報告します。それから昼近くになって、田宮二郎さんが付き人に「お腹が空いた」と言うので、赤坂の洋食店へ行きお弁当を買いに行きました。
田宮邸に戻ると1階のキッチンでお茶を入れ、お弁当を持って田宮二郎さんの居る2階の寝室の前で声を掛けましたが応答がありません。

しばらくしてドアを開けるとベッドの上で苦悶の表情をした田宮二郎さんを発見。
息はほとんど無く、股関節あたりまで掛けられた布団の下から散弾銃の銃口がのぞいていたそうです。
まだ、43歳という若さで人生の幕を閉じたのです。

妻や家族の他、親しい方へ遺書を残しており、妻への遺書には、感謝の言葉とともに生きることの苦しみと死への恐怖が綴られおり、「病で倒れたと思って(中略)諦めて欲しい」と書かれていたそうです。

没後38年の時を経て、自殺真相の告白

彼の死をめぐっては、M資金詐欺による多重債務など、さまざまな噂が取りざたされました。
しかし没後38年を経て「アサヒ芸能」(徳間書店)にて、2015年1月14日号から3回連続で、田宮二郎さんの妻や長男が自殺の真相を告白。

最初に妻でありマネージャーであった妻の幸子夫人(元女優:藤由紀子)が告白します。
彼女は、「最後に「白い巨塔」をやっていなければ、田宮はあのような形で死ぬことはなかったと思います」と語っています。

田宮二郎さんは当時(1968年)大映の看板俳優だったのですが、ワンマンな永田雅一社長と決裂し、映画界を追われました。幼少期に両親を亡くし貧乏に異様に敏感だった田宮二郎さんは、妻子を養うためキャバレーのどさ回りをして生活を支えたといいます。
そんな折、1969年に「タイムショック」の初代司会者となり、1973年からドラマ「白いシリーズ」などテレビで活躍していきます。

しかし、ドラマの内容は似通ったメロドラマばかりで、田宮二郎さんが精神をすり減らすのは明らかなものだったと幸子夫人は語ります。

ですが、田宮二郎さんは断りきれず、次々とシリーズを引き受け過密スケジュールにより、心労が身体を蝕み、異変が表面化していったのです。それは、現場で異常な言動を重ねたり、家庭内でもささいなことで激昂するなど。
とうとう精神科医には「うつ病」と診断されますが、その病に乗じるように、田宮二郎さんには怪しい人物たちが接近。「M資金」を吹き込む者や、「トンガのウラン採掘権」などをささやく者や。
金策のために土地の権利書や実印を持ち出そうとする田宮二郎さんと止めようとする幸子夫人の間ではケンカが絶えなくなったそうです。

こうした田宮二郎さんの状況を見て、長期療養させることを決断した幸子夫人でしたが、そんな折に舞い込んだのが「白い巨塔」のドラマ化だったのです。
 
「本来ならばいい仕事のチャンスに恵まれたんでしょうけど、精神病を抱えて、心ここにあらずの状態ではやらせるべきではなかったと痛感しております」と幸子夫人は語ります。

田宮二郎さんの精神の変調はさらに激しくなり、「白い巨塔」がクランクアップし、ドラマ最終回の試写を幸子夫人と一緒に観た2日後、自ら命を絶ってしまったのです。

幸子夫人は、仕事を止めきれなかった自分を責めていたのですが、長男で俳優の柴田光太郎さんは少し違う見方をしていました。

柴田光太郎さんは「週刊新潮」(2月25日号)にて、父親の死はロンドンで受けた秘密手術が原因だと語ったのです。柴田光太郎さんによれば、田宮二郎さんは若い頃薄毛で悩み、ロンドンで植毛の手術を受けたのだと言います。しかし、その手術により偏頭痛に悩まされるようになり、30代の頃から精神が不安定に陥り、さらに偏頭痛がその症状を悪化させ、最終的に自殺に至ったと語ったのです。

どうして死の原因が食い違うのでしょう。
それは、柴田光太郎さんが自責の念に追い込まれる母を思ってのことではないか、という見方もささやかれました。
どちらにしても、二人の告白に共通しているのは、
  1.自殺の10年以上前、30代の頃から、田宮二郎さんは精神を病んでいた
  2.その原因は、大映の永田社長と対立し、映画界で仕事を干されたこと
です。

「(田宮は)後に躁うつ病と診断されて死に至るのですが、その兆候は大映を追われた頃からあったと思います」と幸子夫人が語っていることから、このことが大きな原因になったことは間違いないようです。

田宮二郎の真相

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