物心ついたときには阪神ファンになっているのが関西人かもしれません。私も子どもの頃から野球は阪神と当たり前のように考えていました。
70年代のタイガース
阪神相撲部屋、などと呼ばれていた時代ぐらいからが記憶にある阪神です。70年代初頭、巨人のV9や巨人の星をやっていた時期ですね。
江夏、田淵のバッテリーはすでに太っていました。上田二郎(次郎)のピッチングフォームがとてもかっこいいと思っていました。
もっさりした走れないイメージの阪神に、新風を吹き込んだのが掛布でした。ルーキーの元気いっぱいのプレイはまさに若トラと呼ぶにふさわしく、大人気となりました。
がんばれ!!タブチくん!!
70年代後半から80年代初頭、チームは低迷。コミックがんばれタブチくんでは、後藤監督が首をつってタブチがぶら下がっているシーンが描かれたりと、弱い阪神が定着していた時代でもありました。
まさかの江夏放出、続いて田淵と、主力選手を入れ替える大型トレードが断行されました。
この頃は、とりあえずAクラスに入るということが、目標になっていたように思います。とはいえ、最下位を経験しながら、走行守のバランスをとりつつ、だんだんとチームが強くなっていったのも、逆にこの時期だったようにも思えます。
そしてバースがやってきた
バースが、阪神に入団したのは1983年。当時のプロ野球は、外国人枠が2までとなっており、阪神フロントらしいと言えばそうなのですが、無計画に選手を取って入れ替えるようなことも、時にあり、バースも83年の時点で解雇される可能性があったそうです。
ランディ・バース
あの85年。毎日野球を見るのが楽しくて楽しくてしょうがありませんでした。昨日も今日も六甲颪を歌いながら野球が終わるとか、ちょっと前まではほとんど考えられなかったことだったのです。
悲願の優勝
はしゃぐ川藤に胴上げされる吉田監督、ビールかけなど、全てが嬉しかったのをよく覚えています。
まさかの日本一
日本一だタイガース!!
今でもバースを思い出す
その後、色々あって帰国してしまったバースでしたが、阪神がいいところで負けたりすると、ここにバースがいたらなあと思うほど、バースは思い出深い選手です。