【小橋建太インタビュー(中編)】青春の握りこぶし「全力ファイト、自分を信じて」

【小橋建太インタビュー(中編)】青春の握りこぶし「全力ファイト、自分を信じて」

幾多の怪我、病気を乗り越えて多くのプロレスファンを魅了し続けた「鉄人プロレスラー」小橋建太。波乱万丈なレスラー人生を不屈の精神で歩み続けた小橋さん、その真っ直ぐな生き方に迫ります。


【小橋建太インタビュー(前編)】でご覧いただいた通り、幾多の苦難を乗り越えるというよりもどんなときも諦めない、まさに執念でプロレスラーへの道をこじ開けた小橋さん。

【小橋建太インタビュー(前編)】プロレスラーを夢見て「どんなときにも希望はある」 - Middle Edge(ミドルエッジ)

ついにたどり着いたプロレスの舞台。今回は「青春の握りこぶし」と呼ばれた熱血、全力ファイトでファンを魅了し続けた全日本プロレス時代について語っていただきます。



【小橋建太インタビュー(中編)】青春の握りこぶし「全力ファイト、自分を信じて」をご覧ください。

1967年、京都府生まれ。
1987年、全日本プロレス入門。
1996年、三冠ヘビー級王座獲得。
2000年、プロレスリング・ノア移籍。
2003年、GHCヘビー級王座獲得。
2006年、腎臓がん発覚により長期欠場。
2007年、546日ぶりに日本武道館にて復帰。

2013年に引退後は個人事務所「Fortune KK」設立。フィットネスジム経営、講演/メディア出演など精力的に活動を続けている。

小橋建太さん

※前編、中編、後編全3回のインタビュー記事の最後には、小橋さんからのプレゼント情報を掲載します。どうぞお楽しみに。

無名の新人から四天王、さらにその先へ

ミドルエッジ編集部(ミド編)

とうとう掴んだプロの切符、プロレスラー小橋建太の船出は波乱万丈だったんですね。

「上京して初めて全日本プロレス事務所を訪問した日のことです。なんと大勢のマスコミが待ち構えていたんです。入団まで色々あったけどプロレスラーになるんだな~って思いましたね。週刊ゴングや日刊スポーツの編集長からも声を掛けられて話を聞かれました。ところがです、どうも話が噛み合わないんです。後で知ったのですが、マスコミのお目当ては僕ではなく田上選手(田上明)の全日本プロレス事務所訪問。大相撲の元十両・玉麒麟だった田上明がプロレスに転向するということで、その画を撮ろうとマスコミが待ち構えていたということでした。」

ミド編)

それが記念すべき最初の日だったんですね。。。

「後になってマスコミの人に“あの日に撮った写真、記念にいただけませんか?”ってお願いしたんですけど、みんな捨ててしまっていました(笑。」

「入団して“僕頑張ります!”と意気込んでも“みんなそう言うんだよね”と。散々なスタートだったかもしれないですが、だからこそ逆に“実績ある奴らに絶対に負けない、20歳までの実績はないけれどこれから10年20年努力して実績を作るんだ”と思えたのかもしれません。」

ミド編)

小橋さんの代名詞といえば”青春の握りこぶし”。全日本プロレスファンは、いつも変わらない小橋さんの全力ファイトに魅了されたものでした。

「当時、実績を引っ提げてプロレスに来ても大成しない人はたくさんいました。大切なのは常に自分自身の気持ちなんです。絶対に追いつき追い越してやる、自分にはそれが出来るんだと信じ抜くこと。だからそのために取り組むことを努力とは思わないんです。ただ為すべきことに真面目に取り組む、それだけでした。きっとその姿をファンの皆さんが応援してくれたんですよね。」

ミド編)

ファンの声援に後押しされるように小橋さんはトップレスラーへの階段を上がっていきました。超世代軍を経て全日本プロレスの最年少四天王へ。

四天王と呼ばれた時代には、どのような思いを抱いてリングに上がっていたのでしょうか。

「僕が四天王という言葉で括られるようになったのは1993年。この年の5月、札幌中島体育センター大会で四天王が揃い踏みで当時の外人四天王にシングルマッチで勝利(外人四天王:スタン・ハンセン、テリー・ゴディ、スティーブ・ウィリアムス、ダニー・スパイビー、小橋選手はテリー・ゴディ選手に勝利)、そして年末の世界最強タッグリーグ戦に三沢さんとのコンビで出場して川田・田上組を破って優勝しました。ここから全日本プロレスは四天王時代に突入したのですが、はっきりいって葛藤がありました。」

ミド編)

最年少四天王のプレッシャーも感じられていましたか?

「そもそも四天王と呼ばれるようになった時点で僕は他の3人にシングルマッチで未勝利でしたから。1993年に四天王と括られるようになってシングルマッチで初めて勝ったのは3年後の1996年、田上選手を破って三冠ヘビー級王者になった試合です。それまでの3年間、僕は一度も3人に勝てない四天王だったんですよ。」

ミド編)

言われてみれば…。1993年からの世界最強タッグリーグ戦3連覇など、当時の小橋さんといえばすでにトップレスラーの一角という印象しかなかったですが、シングルマッチで他の3人に勝つまでに実に3年を要したのですね。

「1995年、阪神淡路大震災の2日後に大阪府立体育会館で戦い抜いた60分間(VS川田選手)。あのときもVS四天王戦では未だ未勝利だったんです。僕はずっと他の3人に勝てないことが葛藤でしたが、でもあの3年間、他の四天王に勝てない僕を批判するファンがいなかった。“負けた試合の方がインパクトがある”なんて声をかけ続けてくれました。だから自分はいつでもどこでも全力ファイトで、応援してくれるファンの気持に訴えかけるファイトをと頑張ることが出来たんです。」

小橋選手の「技」へのこだわり

ミド編)

ところで剛腕ラリアットやマシンガンチョップなど、「剛」のファイティングスタイルが印象的な小橋さんですが、ムーンサルトプレスをはじめ、とくに全日本時代には様々な技を用いていました。ときとして川田選手からの“もっと技を大事にしろ”発言などありましたが、小橋さんの技へのこだわりをお聞かせ下さい。

「試合の中で色んな技を試しながら自分に合う技を探していきました。試すのは試合でなければ意味がないと思うんです。いくら道場での練習で手応えがあったとしても、やっぱりファンのみんなが見ている前でやってみないと。例えばトップロープに登るにしても、誰も見ていない道場なら緊張もしないんです。でも観客の前で失敗出来ない緊張感、そんななかで技を使ってファンの反応を直接肌で感じ取る、そして自分に合っているかを査定する。そこからひとつひとつの技を自分のモノに磨いていったんです。」

ミド編)

どの技が自分に合っているかをファンの反応で査定していく。小橋さんらしいエピソードです。そんな過程を経てあの剛腕ラリアットが生まれたんですね。

「ラリアットはスタン・ハンセンのオリジナルですが、自分にとってもこだわりの技になりました。膝への負担が物凄いムーンサルトプレスに代わる技が欲しかったころ、毎回試合でボコボコにされていたスタン・ハンセンを見て“どこか自分の方が勝っている部分はないだろうか”と。体は大きいし突進力は半端ない。ところが腕の太さだけは自分のほうが勝っている。そこからラリアットを練習し始めました。剥き出しの鉄柱に何度も打ち込んで、自分に合った間合いを考えて。」

ミド編)

鉄柱に向ってラリアットですか!?

「はい。ある時、後楽園ホールでの試合前にジョーさん(ジョー樋口レフェリー)が“おい小橋、ハンセンが呼んでるぞ”と。そこでハンセン選手の控室に行ったんです。すると“小橋、お前がラリアットを使うのは分かった。ただラリアットは相手を一発で倒す技だということを忘れるな”と言われました。たしかにハンセン選手は2mをゆうに上回るアンドレ・ザ・ジャイアント選手を相手にしても、ラリアット一撃でその巨体を吹っ飛ばしていましたからね。ラリアットを使うことに対しての責任と覚悟を問われたわけです。だからこの技にはこだわりを持って本当に大切に使い続けました。」

「こだわり続けた技といえばもうひとつ、チョップがあります。コンクリートの壁に向ってさんざんに打ち込んで練習したものです。試合では逆水平をはじめ様々な角度やシチュエーションで試しました。そんななかから生み出したのがマシンガンチョップです。後に肘を悪くして、医者の先生からマシンガンチョップだけは止めるようにと言われましたが“先生、お断りします”と。地方のファンは1年に1回、もしかすると数年に1回のチャンスを楽しみに会場に足を運んでくれる。そんなファンがマシンガンチョップを期待している、肘が壊れたってやりますよと言いました。」

エースとは何か

ミド編)

「自分の体がどうなろうとも全力ファイトを見せる」そんな小橋さんを体現するようなエピソードがあります。1997年1月の大阪府立体育会館、当時三冠チャンピオンだった小橋選手が全日本プロレスのエースだった三沢選手を迎え撃った試合。この試合前、小橋さんはお母様に「オレに何があっても三沢さんを恨まないでくれ」と電話されたそうですね。

「あの試合は“チャンピオン小橋VSエース三沢”だったんです。僕は当時チャンピオンだったけれども、世間は三沢さんが団体のエースという見方でした。エースとは何か。尊敬する三沢さんの大きさを知るには、チャンピオンとしてエースを迎え撃つ、チャンピオンとしてエースに挑むことが出来る唯一の機会でした。絶対に悔いのない試合をしたい、そんな思いでした。」

ミド編)

このシチュエーションによく似た試合を憶えています。2005年、小橋選手がプロレスリング・ノアのチャンピオンであるGHCヘビー級王座のベルトを失った年の大一番、東京ドーム大会で佐々木健介選手とシングルマッチを行ったときの会場の雰囲気。あのときは場内の誰もが小橋選手をプロレスリング・ノアのエースとして見ていました。

「そういえばあの当時、準(秋山選手)が東スポの取材かなにかで僕のことを“絶対王者”と呼んだんです。近年、様々なジャンルで“絶対王者”と呼ばれて活躍している人がいますが、実は一番最初に呼ばれていたのは撲なんだよと、ちょっと誇りに感じています(笑。」

盟友、秋山選手のこと

ミド編)

その秋山選手ですが、全日本プロレスからプロレスリング・ノアを通してまさに小橋さんの「盟友」だったように感じます。出会った当時の秋山選手の印象はいかがでしたか。

「まず準はスカウトで全日本プロレスに入団しました。入団会見を終えて寮に入ってきた彼を“アイツはちょっと違うぞ”とみる先輩たちはいましたよね。でも僕は全くそんなふうに思わなくて、出身が大阪で僕の地元京都と近かったこともあって気が合いました。練習のパートナーになって、練習後には一緒に食事に行ったりパチンコで遊んだりして楽しかったですよ。準は準で、早い段階から四天王の次を期待されて“五強”と呼ばれたりして苛まれたと思います。」

プロレスリング・ノア旗揚げへ

ジャイアント馬場さんの死後、全日本プロレスの役員も務めた小橋さん。



「プロレスの会社である以上、まずはプロレスラーがしっかりしていなくてはならない。」

「自分たちのプロレスにファンがついてくれて、はじめて会社が回る。」




そんな想いを胸に、全国津々浦々で変わらぬ全力ファイトを続けます。2000年には三冠チャンピオンとして「新時代宣言」を行い、いよいよ全日本マットのど真ん中へ。



そんな矢先のこと、理想のプロレスを追い求めた三沢選手を中心とした全日本プロレス選手たちの手によって新団体プロレスリング・ノアが設立。三冠チャンピオンだった小橋選手もまた、主戦場をプロレスリング・ノアに移すこととなります。

・・・・・・・・・・

全日本プロレス入団時のエピソード、勝てない四天王時代の葛藤。そんななかでも小橋さんは常に自分を信じて直向きにプロレスに打ち込み、その姿勢はファンの心に響きましたとうとう辿り着いた全日本プロレスのど真ん中、そしてプロレスリング・ノアの船出。次回は【小橋建太インタビュー(後編)】元祖・絶対王者「幾多の苦難を乗り越えて」です。

膝の手術をうけてリハビリ中の小橋さんを応援しよう!

2020年2月に膝の手術を行い、現在はリハビリ真っ最中の小橋さん。

復帰後に予定されているバースデーイベントに参加して小橋さんを応援しましょう!

小橋建太・FortuneKKオフィシャルショップ|プロレスグッズ通販の取り扱いウェブチケット一覧 | ツクツク!! ウェブチケット・モバイル | コトの通販サイト ~体験を買える~

小橋建太 (KENTA KOBASHI)(@FortuneKK0327)さん | Twitter

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