【訃報】名捕手にして名将、野村克也さんが死去。
現役時代は南海の名捕手、監督としてはヤクルトをID野球で率いた名将。プロ野球界を代表する人物だった野村克也さんが84歳で死去したことが2月11日、関係者の話で分かりました。
最愛の妻、沙知代夫人を2017年12月に見送ってからおよそ2年。晩年もプロ野球の名解説を続けノムさんの愛称で親しまれた続けた野村監督。「球界の宝」がまた一人、旅立たれました。
「長嶋はヒマワリ。私は浜辺に咲く月見草だ」など数々の名言
プロ野球選手として1965年に戦後初の三冠王に輝き、本塁打数は王貞治選手に次いで歴代2位と日本プロ野球界を代表するプレイヤーだった野村監督。
団塊世代の方たちにとっては南海の名捕手としての印象が、そしてミドルエッジをご覧の世代にとってはプレイヤー時代の輝かしい功績よりも「ID野球」「ささやき戦術」などヤクルトを率いた名将時代の印象が強く残る野村監督。
「長嶋はヒマワリ。私は浜辺に咲く月見草だ」
「マー君、神の子、不思議な子」
数々の野村語録は、ときに「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」のように経営者に支持される名言としても親しまれました。
日本球界の宝がまた一人、旅立たれました。野村監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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