1983年
1983年といえば、6月、エースコックが「わかめラーメン」を発売。9月にはロッテが「チョコパイ」を発売という日本人にとってはそれだけでも非常に重要な年だったわけですが、7月にはニンテンドーより「ファミリーコンピュータ」が発売されています。

ファミリーコンピュータ
更には、発売日は不明ながらハウス食品が「六甲のおいしい水」を発売しています。今では当たり前となっているミネラルウォーターですが、当時は水に金を払うんかい?!という驚きとも怒りともつかない感想とため息が日本中で聞かれたものです。
さて、そんな1983年ですが、どのような音楽が流行ったのでしょう?順番に見ていきましょう。
第10位 め組のひと
1983年、売り上げ枚数でみる年間ベスト10の第10位は「め組のひと」です。シャネルズからラッツ&スターへとグループ名を変更した後に初めて発表されたシングルでしたが、いきなりの大ヒットとなりました。

め組のひと
資生堂「夏のキャンペーンソング」で、イメージキャラクターをトリー・メンドーサが務めたことでも話題となりました。
この曲、最初は大瀧詠一に作曲とプロデュースの話がいったそうです。が、歌詞をみた大瀧詠一は、これは曲に乗せきらん。この歌詞に曲をつけれるのは日本では井上大輔か桑田佳祐しかおらん。ということで、井上大輔を推薦して出来た曲だそうですよ。
第9位 フラッシュダンス
日本でも大ヒットした映画「フラッシュダンス」の主題歌「フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング」が第9位です。歌ったのはアイリーン・キャラ。洋楽が年間売り上げのベスト10にランクインすることはほとんどありません。1976年に第2位となったダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」以来ですね。

フラッシュダンス
曲も良かったですが、やっぱり映画がね、良かったです。何というか、観ると元気が出るというか、勇気がわくというか。それはこの曲からも十分伝わってきます。
この映画でレッグウォーマーの存在を知った人は多かったのではないでしょうか?当時はダンスのユニフォームくらいの認識でしたが、これに目を付けた若い女性の間で流行り、後年ルーズソックスへと進化していったのはご存じの通りです。
第8位 セカンド・ラブ
さぁ、出てきました!中森明菜。第8位となった「セカンド・ラブ」は中森明菜にとって3枚目のシングルになります。

セカンド・ラブ
えつことたかおの来生姉弟の楽曲が何といっても素晴らしいじゃありませんか。もちろん、それを歌いこなしている明菜も最高であります。
明菜にとってオリコンで初めて1位となった曲です。ここから快進撃が始まるという意味においても重要な曲ですね。
この曲に感銘を受けた明菜は、もしヒットしなかったらこの曲に対して申し訳無いという気持ちだったと後年明かしています。
第7位 ガラスの林檎/SWEET MEMORIES
80年代は明菜とくれば聖子、聖子とくれば明菜の時代でした。だからというわけではありませんが、第7位は聖子なんですねぇ。
「ガラスの林檎」は聖子の14枚目のシングルです。

ガラスの林檎/SWEET MEMORIES
作曲は細野晴臣。サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」のような曲にしてほしいとの依頼がディレクターからあったのだそうです。ドラマチックで壮大な曲ということでしょうか?だからなのか、細野さんは生みの苦しみを味わったそうです。
カップリング曲「SWEET MEMORIES」がサントリーCANビールのCMソングに使われ話題となったことで、後に両A面扱いとなって再発されています。
第6位 キャッツ・アイ
杏里にとって13枚目のシングル「キャッツ・アイ」が73.8万枚を売り上げて第6位です。「キャッツ・アイ」は、テレビアニメ「キャッツ♥アイ」のオープニングテーマですね。アニメ人気もあって、杏里の存在は広く知られることになりました。

キャッツ・アイ
この曲によって広く知られることになったとは言え、杏里のデビューは1978年の高校2年の時。なので当時まだ17歳です。夏休みの間ににロサンゼルスでレコーディングしたってんですからスゴイです。しかもその時の曲が、今やスタンダードナンバーとなっている「オリビアを聴きながら」ですからね。スゴイにも程があるってなものでしょう。
第5位 氷雨
ご本人は決して望んではいないでしょうが、演歌系の歌手には「苦節」という言葉がよく似合います。第5位となった佳山明生もそう。苦労人です。デビューは1977年12月ですので、苦節5年。漸くヒット曲に恵まれました。いえ、良い曲には既に恵まれてはいたんです。実は「氷雨」は、佳山明生のデビュー曲なんです。「え?!」って感じですよね。

氷雨
なんでこんなことになったのか?何故もっと早くヒットしなかったのか?佳山明生本人が一番感じたことでしょう。古賀政男最後の門下生で美輪明宏から芸名を付けてもらったという恵まれた環境。ホントに何故ヒットしなかったんでしょうか?いや、いや、むしろ、何故いまごろになってヒットしたのでしょう。
実は「氷雨」は、1977年12月、1981年12月、1982年7月と実に3回もリリースされているんです。執念、これはもう執念以外にありませんね。しかしまぁ、その甲斐あって大ヒットになったんですからね。良かったです。
第4位 探偵物語/すこしだけやさしく
自身が出演した映画「探偵物語」の主題歌と、バラエティ番組「わくわく動物ランド」エンディング・テーマのカップリングという強力版が第4位です。
当時の薬師丸ひろ子は、そりゃぁもう飛ぶ鳥を落とす勢いでしたからね。そこに、作詞:松本隆
、作曲:大瀧詠一、編曲:井上鑑という強力な制作陣。そりゃヒットもしますわね。

探偵物語/すこしだけやさしく
「探偵物語/すこしだけやさしく」は、薬師丸ひろ子にとって2枚目のシングルです。この後も、「メイン・テーマ (作曲:南佳孝 )」、「Woman "Wの悲劇"より (作曲:ユーミン)」、「あなたを・もっと・知りたくて(作曲:筒美京平)」とヒット曲が続きます!
第3位 めだかの兄妹
高部知子、倉沢淳美、高橋真美の3人からなる「わらべ」のデビュー曲「めだかの兄妹」が第3位です。わらべは、萩本欽一主演のバラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」から誕生したユニットで、萩本家の3人の娘(のぞみ、かなえ、たまえ)という設定でした。

めだかの兄妹
このアイドル全盛時に童謡というところが新鮮でした。ただ童謡とはいえ、編曲を手掛けたのは当時YMOでバリバリだった坂本龍一ですからね。この曲、侮れません。
素朴な感じが何ともいえませんね。が、1983年6月にメンバーの高部知子が恋人とベッドでイチャイチャしながら煙草をすっている写真がスクープされてしまい、メンバーから外れることになります。高部知子は当時15歳、まずかったですねぇ。人は見た目で判断してはいけないということを思い知らされました。
第2位 矢切の渡し
矢切(やきり/やぎり)とは、千葉県松戸市にある上矢切(かみやきり)、中矢切(なかやきり)、下矢切(しもやきり)の3地区の総称で、江戸川を挟んで矢切と東京都葛飾区柴又を結ぶ渡し舟を「矢切の渡し」というのだそうです。この渡しは江戸時代初期に出来たといいますから歴史があるんですねぇ。
で、それをタイトルにした細川たかしの「矢切の渡し」が第2位です。

矢切の渡し
「矢切の渡し」といえば、細川たかしの代表曲となっていますが、実は、ちあきなおみが1976年と1982年に発売していた曲なんです。しかも、1983年には細川たかし以外にも、、瀬川瑛子、春日八郎 & 藤野とし恵、島倉千代子 & 船村徹など7種のシングルによる競作で発売されていたといいますから驚きですね。
詩、曲、歌いっぷり共に文句なしの大ヒット曲です。90.8万枚を売り上げて堂々の第2位ですが、累計では100万枚を超えています。
第1位 さざんかの宿
もうこの年は、細川たかし「矢切の渡し」でいいじゃないか。と、言いたいところですが、そうはいきません。1983年には、この男が居ました。そう大川栄策です。この年唯一ミリオンを記録した「さざんかの宿」です。

さざんかの宿
特技はタンス担ぎ、だそうです。大川栄策の出身地である福岡県大川市は、言わずと知れた家具の街。なんかこの特技、彼の人柄が偲ばれますよねぇ。
それにしても、振り返ってみると1983年は演歌の年でしたね。演歌強し!その一方で聖子、明菜が出揃い空前のアイドル・ブームが始まりました。1984年への期待が高まりますねぇ。でも、それはまたの機会に。