1982年
1982年の重大ニュースと言えば、9月14日にモナコ公国のグレース・ケリー大公妃が自動車事故によって亡くなったことではなかろうかと思います。いや、まぁ、個人的にですがね。

グレース・ケリー
それにしても美しいですよねぇ。女性にとってはエルメスの「サック・ア・クロワ」という鞄を愛用していたということでもよく知られていますね。それが有名になって現在ではこの鞄は「ケリー・バック」と呼ばれているほどですから。
男性、というか映画ファンにとってはやはり「裏窓」ではないでしょうか?!
アルフレッド・ヒッチコック監督のお気に入りで、女優としてはまさにこれからという時にモナコ大公レーニエ3世と結婚してハリウッドから引退してしまったんです。もっと観たかったなぁ。
さて、そんな1982年。日本の音楽界ではどのような曲がヒットしていたのでしょう?年間売上第10位から順番に見ていきましょう。
第10位 ふられてBANZAI ~ 第9位 情熱・熱風・せれなーで
マッチがジャニーズ事務所に入所したのが1977年。 その後、テレビドラマ「3年B組金八先生」の生徒役で注目されたのが1979年10月。で、歌手としてのデビューは1980年12月、「スニーカーぶる〜す」でいきなり大ヒットを飛ばします。「スニーカーぶる〜す」は、1981年の売上枚数「年間ベスト10」で堂々の第3位。104.7万枚も売り上げています。
そして1982年はと言えば、もう、マッチの年です。先ずは「ふられてBANZAI」が53万枚を売り上げて第10位に入っています。

近藤真彦
当時のマッチと言えば、田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として大旋風を巻き起こしていました。トシちゃん人気も凄かったですが、レコード売上という面から言うと、マッチはダントツです。
第9位にも55.6万枚を売り上げて、「情熱・熱風・せれなーで」がランクインしていますからね。

近藤真彦
「ふられてBANZAI」、「情熱・熱風・せれなーで」共に松本隆 (作詞)、筒美京平 (作曲)コンビによるものです。マッチの人気も凄かったですが、この2人も当時は飛ぶ鳥を落とす勢いでヒット曲を量産していました。
う~ん、この動画は音質、画質共に余りよろしくねいのが残念ですが、久しぶりに聴くと「情熱・熱風・せれなーで」、イイ曲ですねぇ。勢いがある人たちが集まって作ると、さすがに良いものになりますね。
第8位 チャコの海岸物語
サザンオールスターズと言えば、説明するまでもなく日本を代表するバンド。その人気、実力共に折り紙付ですね。しかし、そんなサザンオールスターズにもヒット曲に恵まれない時期があったんです。
それは1980年と1981年の2年間で、曲で言うと「涙のアベニュー」「恋するマンスリー・デイ」「いなせなロコモーション」「ジャズマン (JAZZ MAN)」「わすれじのレイド・バック」「シャ・ラ・ラ/ごめんねチャーリー」「Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)」「栞のテーマ」ということになります。
なんだよ!名曲ばっかりじゃないか!という声が聞こえてきますが、でも、そうなんです。1982年に入って最初のシングル「チャコの海岸物語」でようやくこのトンネルから抜け出すことになります。

サザンオールスターズ
発売当時は、なんか古臭い曲だなぁと思ったものでしたが、それだけ馴染みやすかったということでしょう。
売上枚数「年間ベスト10」の第8位。この後のシングルは「匂艶 THE NIGHT CLUB」「Ya Ya (あの時代を忘れない)」「ボディ・スペシャル II」と問答無用の名曲が続いて聞くわけです。
第7位 ハイティーン・ブギ
そして第7位は、またまたマッチ!60.7万枚を売り上げた「ハイティーン・ブギ」です。

近藤真彦
またまた松本隆と筒美京平のコンビかと思いきや、作詞は松本隆ですが、作曲は山下達郎なんです。松田聖子等の成功例が増えたからでしょうか、ニューミュージック系のアーティスト達がアイドルというか、歌謡界に抜擢されることが多くなってきましたね。
「ハイティーン・ブギ」は、牧野和子原作の同名の漫画を映画化した際の主題歌です。これ、そもそも漫画が良く出来ているんですよね。そこに目を付けたジャニーズ事務所は流石です。で、映画はと言えば、主人公は当然マッチ。主人公のイメージ違うなぁという声も聞かれましたが、まぁ、それはそれです。あ、たのきんトリオ出てますよ。
第6位 悪女
中島みゆきの数ある名曲の中でもずば抜けた名曲!と声を大にして言いたい「悪女」。第6位ですねぇ。62.4万枚の売り上げです。
良い曲は大ヒットして少しでも多くの人に末永く聴いてもらいたい。いや、逆か。良い曲だから大ヒットして誰でも知っているというとですね。いつまでも忘れてほしくない、永遠の名曲です。

中島みゆき
誰が言ったのか失念してしまいましたが、「曲が良くないとヒットしない。しかし、歌詞が良くないと大ヒットにならない」。「悪女」は、まさしくそんな感じですよね。この歌詞は素晴らし過ぎる。
残念なのは当時の映像がナイってことです。テレビに出てなかったからですねぇ。。。
第5位 北酒場
当時のヒットメーカーは、松本隆や筒美京平だけではありません。作詞:なかにし礼に作曲:中村泰士。この2人も演歌方面で持てる力を遺憾なく発揮していました!細川たかし「北酒場」もそうした曲のひとつ。「心のこり」「矢切の渡し」と並んで、細川たかしの代名詞と言っても良い曲ですね。

細川たかし
軽快な曲です。細川たかしが歌っているので演歌のイメージですが、曲自体は歌詞を変えるとマッチなんかにも合いそうな感じがします。そのくらいポップ。大ヒットも納得です。
「北酒場」は、第24回日本レコード大賞・大賞。第11回 FNS歌謡祭・最優秀視聴者賞。第15回全日本有線放送大賞・大賞。第15回 日本有線大賞・大賞などなど日本の賞という賞を総なめにしました!
第4位 心の色
歌手に俳優にと大活躍している中村雅俊。代表曲というと「ふれあい」、「俺たちの旅」、「いつか街で会ったなら」、それに「恋人も濡れる街角」。どれも良い曲ですが、「心の色」を忘れてもらっては困ります。え?忘れてない?そうですか。それは大変失礼いたしました。私はすっかり記憶から抜け落ちておりました。

中村雅俊
いや、これは、忘れるなんてとんでもない。改めて聴いてみると、すごく良い曲ではないですか!
夜中にひとりで聴きたくなる感じですね。それもアルバムで聴きたい。つまり中村雅俊をたくさん聴きたくなる。中村雅俊の歌い方というか、声質には独特の優しさがありますからねぇ。これにやられてしまいます。夜中にひとりだと特に。
第3位 聖母たちのララバイ
「聖母たちのララバイ」を聴くと、反射的に日本テレビの2時間ドラマ「火曜サスペンス劇場」が脳裏をよぎる。リアルタイムでこの曲を聴いていた方は皆そうではないでしょうか?!タイアップ大成功でしたね。岩崎宏美です。

岩崎宏美
おぉ、ジャケットかわいいですね。
ところで、「聖母たちのララバイ」の作曲者は木森敏之。実は先の「心の色」も彼の作です。木森敏之は1980年代前半にヒットメーカー(作曲)として大活躍したんです。にしては余り知られていないのでは?と思われる方もおられるでしょうね。それはですね、病に倒れ1988年4月に40歳という若さで死去してしまったからなんです。残念ですね。
第2位 セーラー服と機関銃
さぁ。第2位です。薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」。薬師丸ひろ子が主演した同名映画の主題歌です。「カイカン」ってヤツですね。

薬師丸ひろ子
来生たかおによる曲も素晴らしいですが、このヒットはですねぇ、何よりも当時の薬師丸ひろ子人気がもの凄かったんです。
ホントに良い曲。しかし、違和感はありませんが、若い女の子が歌うような曲って感じではないですよね?大人っぽいといいますか、ヘンな言い方ですが、しっかりした曲ですもんね。軽く歌いこなせているのは、若いとはいえ薬師丸ひろ子が女優だからかもしれません。
第1位 待つわ
1982年、唯一100万枚を突破した あみん の「待つわ」が、堂々の売上枚数「年間ベスト10」の第1位です。「待つわ」は、第23回ポプコンのグランプリ受賞曲。作詞、作曲はもちろんメンバーの岡村孝子です。

あみん
どこか懐かしい曲に意外な出だしの歌詞。多くの女性が共感したんですねぇ。もちろんファンには隣に住むキレイなお姉さん的な2人に憧れた男性も多かったかと思います。
あみん は、シングル4枚とオリジナルアルバム2枚をリリースして翌年には解散してしまいます。その後、岡村孝子はソロとなり、「OLの教祖」などと言われるほど若い女性の間で人気を集めました。
演歌やら、フォークやら、1982年もなかなか多彩な楽曲が売れましたねぇ。薬師丸ひろ子もカワイイですが、やはり1982年は近藤真彦、マッチの年だったと言ってもいいんじゃないでしょうか?!では、1983年はと言うと?それはまたの機会に。