ずうとるびが大人気アイドルグループだったってホント!?

「ずうとるび」について
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現在、山田隆夫さんは、日本テレビの長寿番組「笑点」で座布団運びをしていますが、『ずうとるび』結成する経緯は8、山田隆夫さんが笑点の「ちびっ子大喜利」で座布団10枚を獲得ことで、デビューのキッカケになります。
1974年2月にレコード(当時はCDではない!)デビューは『透明人間』という曲でこれは、山田隆夫さんの作詞・作曲といことで、その才能が開花したデビューということですね。
ずうとるびがデビューした1970年~の時代は、多くのバンドやアーティストが60年代から世界的大人気のビートルズの影響を多大に受けていたり、70年代に入ってからは、ビートルズと同じくイギリス出身のアイドルバンドのベイ・シティ・ローラーズの影響を受けたバンドなども登場します。
そんな中で、ずうとるびはどちらかというと、アイドル性とコミカル性がミックスされた雰囲気のグループでした。
その分、音楽性が高くカリスマ性のあるグループというよりは、筆者個人的には、親しみやすさで人気になったグループという印象がありました。
ずうとるびの大ヒット曲
ずうとるびがリリースしたシングル曲は全部で20作品で、その中で3作目のシングル「みかん色の恋」の大ヒットで一気にアイドルグループにのし上がります!
そして、ずうとるびとして一番の売れた曲は、4作目のシングル「恋があぶない」!ミドルエイジ世代では口ずさむことが出来る方もいるのではないでしょうか。
ずうとるびでブームの怖さを知ったエピソード
ずうとるび:山田隆夫(1974~1977年)
本名:山田 隆夫(やまだ たかお)
生年月日:1956年8月23日(63歳)
出生地:東京都江東区深川
血液型:A型
ずうとるび結成のキカッケをつくり、リーダーとなっています。
山田隆夫の現在
ずうとるび: 江藤博利(1974年~1982年)
本名:江藤博利
生年月日:1958年9月5日
出身地:宮崎県都城市
血液型:B型
リードギター&リードボーカル担当
結成当時、メンバー最年少の位置で、メンバー内一番の人気を誇っていました。
『ずうとるびのジョージ・ハリスン』の異名もありました。
江藤博利の現在
ずうとるび:新井康弘(1974年~1982年)
本名:新井康弘
生年月日:1956年12月5日
出身地:神奈川県川崎市高津区育ち
血液型A型
ドラム&ボーカル担当。
ずうとるびの勝ドをしながら、初めて俳優として出演したのがその後も語り継がれるドラマ「岸辺のアルバム」に出演しています。
弟は子役から俳優で活躍していた新井つねひろさんですが、現在は公務員になられたという情報があります。
山田隆夫脱退後にはずうとるびのリーダーになっています。
解散後の新井さんは俳優として順風満帆に活動しているイメージがありますが、俳優としての代表作は1999年~2009年にTBS系で放送された「大好き!五つ子」で、一家の大黒柱で森尾由美さんが奥さん役を演じていました。
新井康弘の現在
ずうとるび:今村良樹(1974年~1982年)
本名:今村良樹
生年月日:1957年9月19日
出身地:東京都目黒区上目黒
血液型:A型
ベース&リードボーカル担当
ベースは左ききで弾いていたのでビートルズのポールマッカートニーの様?とイメージがありました。
もともと漫画家志望だった様です。1972年、劇団ひまわり入団するという経歴があります。ずうとるびが最終的に解散することになったのは、今村さんがアメリカ留学を決め、芸能活動休止ということになったのが理由です。
帰国してからは、テレビなどの放送作家として人気番組にも携わり、活躍しています。順風満帆だった放送作家としての道でしたが、その後の活動はこちら!
◆2009年~プロ紙芝居師兼プロデューサー
◆2012年 心理回想士の資格を取得、回想士として活動
今村良樹の現在
ずうとるび:池田善彦(1977年10月~1982年)
本名:池田善彦
生年月日:1959年02月10日
1977年4月、山田隆夫が結婚を理由としてずうとるびを脱退した後にオーディションにより選ばれて加入したのが、池田善彦です。
池田さんは、顔立ちもアイドルと申し分ない雰囲気で、当時、注目もされました。ずうとるび解散まで1982年までメンバーとして活動しています。
解散後も芸能界で俳優としても活動していますが、現在は、芸能界を引退しています。引退した時に新宿にパブをオープンさせていたようですが、現在は中野でBarの経営をしています。
池田善彦の現在
ずうとるびの元メンバーの5人の皆さんのプロフィールと、現在を探ってみましたが、芸能界から引退して他の仕事をされているというのは、池田善彦さんだけですが、その池田さんも、江藤さんとだけは?いまだに交流があるようですね。
そして、気になるのは結婚をキッカケに脱退したと言われている山田さんですが、もう少し、その理由を探ってみたいと思います。
ずうとるびで山田隆夫さんが脱退した理由
山田隆夫さんがずうとるびを脱退したのは、ずうとるび活動から3年ほどたった1977年4月でした。理由は結婚という事でしたが、その裏でささやかれていたのは、他のメンバーとの方向性の違い、そして不仲説でした。
脱退は山田隆夫さん側からの申し出だったということですが、それを裏付けたのが、日本テレビ系で放送されていたバラエティ番組『壮絶バトル!花の芸能界』で山田さん自身が、ずうとるび脱退理由を明らかにしています。
山田さがんずうとるびの中で描いていた「モンキーズ(1965年~1971年(再結成前)に活躍したアメリカのポップスグループ)」の様なグループと、他のメンバーが目指すビートルズの様なロックバンドという思いにずれが生じ、喧嘩も絶えなかったとのことでした。
そして、その後、山田さんは一回目の結婚もしています。
山田隆夫の元奥さんはアイドルだった!
1974年に活動開始したずうとるび。リーダーだった山田隆夫さんが1977年に脱退し、池田善彦さんが加入します。そして1982年に解散という事になりますが、5人のメンバーの中でその後、強運に人生を歩んでいるのは誰なのか...次の項で見ていきましょう。
ずうとるびメンバーのその後の人生で強運と思われるのは?
ずうとるび脱退、解散後にはそれぞれがそれぞれの活動をしているという事ですが、その後に「強運」と言われているのは...?
間違いなく、山田隆夫さんではないでしょうか。その理由は?実は山田隆夫さん、笑点の座布団運びとしてだけではなくすごい強運の持ち主だったんです。
そして、山田隆夫さんが強運と思われるエピソードを2つご紹介します。なるほど~と頷きたくもある事実です。
不動産業で大金の強運
命拾いの強運
まとめ
ミドルエイジ世代には記憶になるグループとして、ずうとるびをについて当時~現在に至るまで、まとめてみました。
当時は語られなかったが、その後になにかのテレビの場面で今だから言えるという事で放送されることもあります。
当時はまだ子供だった筆者もずうとるびの山田君と江藤君の仲がよくないの?と思っていた記憶も執筆しながら思い出してきました。
現在もこれからも、それぞれがそれぞれの舞台で活躍されていますようにと当時を知る者の一人として思っています。