70年代より話題となった、人質事件における「ストックホルム症候群」
皆さんは「ストックホルム症候群」という単語を一度は聞いたことはあるかと思います。「人質事件などの被害者が、犯人に対して協力的な振る舞いをする」といった行動が該当し、1973年にストックホルムで発生した、ノルマルム広場強盗事件という立てこもりにおいて「人質が犯人が寝ている間に警察に銃を向ける」といった不可解な行動が見られたことから、一躍注目を集めました。

ストックホルム症候群が発生する背景ですが「被害者が犯人との間に繋がりを築くことで、それが生存戦略に繋がる」という点が指摘されています。同症候群が認められる事件は、実に8%にも及ぶとのこと。また「症候群」とあるものの、臨床的にはこれは病気ではなく、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の一種として扱われ治療を受けることもあります。

「ストックホルム症候群」が認められた実例って?
では、実際にストックホルム症候群が認められた、過去に発生した有名な事件をいくつかご紹介したいと思います。以下の通り、「誘拐」「人質」といった要素が同症候群にとって重要であることがわかります。
よど号ハイジャック事件(1970年)
1970年に発生した、日本初のハイジャック事件として有名な「よど号ハイジャック事件」。前例のない緊張感の中、人質となった乗客は「北帰行」を歌ったり、飛行機を降りる際に「頑張って下さい」と犯人に声を掛けるなど、犯人と人質との間に奇妙な連帯感が存在したと言われています。
パトリシア・ハースト事件(1974年)
1974年にアメリカで発生した「パトリシア・ハースト誘拐事件」。この事件で誘拐されたパトリシア・ハーストは、彼女を誘拐した左翼過激派シンバイオニーズ解放軍(SLA)に加入、さらにSLAのメンバーとともに銀行を襲撃するなど犯罪の加害者となってしまいました。パトリシアはその後逮捕され、服役しています。

三菱銀行人質事件(1979年)
1979年に日本を震撼させた「三菱銀行人質事件」においても、見張り役の銀行員が犯人に必要以上に協力し、警官に「入るな」と指示したり、犯人に「警官がいる」と告げ口するなどの行動が見られたと言われています。

福島悪魔払い殺人事件(1995年)
1995年に発生した「福島悪魔払い殺人事件」。福島で祈祷師をしていた江藤幸子が「キツネが憑いている」とした信者に「悪魔払い」と称した暴行を加え死亡させた事件です。この事件では、江藤の暴行の被害に遭った信者も加害者として暴行に加わっており、後に逮捕されています。

1996年のペルー大使公邸占拠事件で注目された「リマ症候群」!!
このように、世界中の様々な事件において被害者に見られるストックホルム症候群ですが、一方で犯罪加害者についても「被害者に同情的な態度を取る」といった現象が報告されています。これは「リマ症候群」と呼ばれ、1996年に発生した「ペルー大使公邸占拠事件」で注目されました。

ペルー大使公邸占拠事件とはフジモリ政権下のペルーで発生した人質事件で、1996年12月から1997年4月まで、政府と左翼ゲリラ(MRTA)との攻防が繰り広げられました。人質の数は600名にも及び、監禁生活が長期化する中でMRTAは人質に同情し、解決途中の段階で数百人単位の人質が解放されています。
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犯罪の被害に遭う、または犯罪を犯すという特殊な心理状況下に置かれたときに生じる「ストックホルム症候群」及び「リマ症候群」。犯罪に関わらないに越したことはないのですが「人間は通常ではない環境に置かれると、通常ではない言動を起こしてしまう」という事実だけでも把握しておけば、有事の際に役に立つかもしれませんね。
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