北野井子プロフィール
【北野井子プロフィール】
名前:北野 井子
(きたの しょうこ)
生年月日:1982年10月5日(36歳)
出身地:東京都
職業:歌手・女優
北野井子のデビューは?
北野井子さんは、ビートたけしさんの長女として誕生します。
名前の井子(しょうこ)は、ビートたけしさんの知人である、美人ホステスにちなんでいるとのこと。
北野井子さんは3歳からピアノを習い、アメリカの高校に進学しました。
帰国後の1997年、ビートたけしさんが監督を務める映画
『HANA-BI』で女優デビュー。
同映画で北野井子さんは、冬の晴れた日に浜辺で一人凧を揚げる少女を演じます。
この当時、北野井子さんは『松田井子』名義で活動。
父ビートたけしさんがFRIDAY襲撃事件で前科がつき、娘の成長に良くない環境と判断した結果、
嫁の旧姓『松田』で活動するようになったとか。
そのため映画の上映中、北野井子さんの存在は、あまりクローズアップされませんでした。
歌手として華々しくデビュー
1998年6月3日、北野井子さんは
『Begin』で歌手デビュー。
同曲は、X JAPAN YOSHIKIさんプロデュースし、ミュージックビデオをビートたけしさんが手掛けています。
ビートたけしさんの娘として、華々しくデビューを飾った北野井子さん。
デビュー曲はテレビCMにも起用され、
13万枚のヒットを記録しました。
芸能活動を休止した北野井子!
北野井子さんはデビューしたものの、あまりメディアに登場することがありませんでした。
そのためか、1998年10月28日にリリースした
待望の2ndシングル『薔薇と緑』は、
デビュー作に比べて売り上げが大幅ダウン。
その後、目立った活動がないまま1999年1月に芸能活動を休止し、
北野井子さんは、アメリカへ留学しました。
留学を決めたのは宇多田ヒカルが原因?
華々しくデビューしたものの、2ndシングルの売り上げに伸び悩んだ北野井子さんは、
次の戦略を考えていたそうです。
そんな時、天才少女と称された宇多田ヒカルさんがデビューします。
1998年12月9日、
『Automatic/time will tell』でデビューした宇多田ヒカルさん。
当初は正体を隠していましたが、注目されるうち、
藤圭子さんの二世であることが判明し
天才少女と呼ばれるように。
作詞作曲も手掛ける宇多田ヒカルさんの才能に、大きな差を感じたのでしょうか。
宇多田ヒカルさんの登場に衝撃を受け、北野井子さんは
『歌手を諦めた』
とも言われています。
その後、1999年に北野井子さんはアメリカに留学しました。

帰国後の北野井子は?
アメリカから帰国した北野井子さん。
2004年に調理師の男性と結婚し、
同時に妊娠6ヶ月ということが明らかとなりました。
2005年3月9日、第一子となる長女を出産したものの、
離婚に至っています。
長女は北野井子さんが引き取りましたが、のちにビートたけしさんと養子縁組。
つまり戸籍の上で長女(娘)は、井子さんの妹になったわけです。

映画で芸能界に復帰!
北野井子さんは、2005年9月10日公開の映画
『有限会社ひきもどし』にて、初めて主役を演じました。
なんと北野井子さんは、同映画のオーディションを受け『主役を射止めた』ようです。
しかしこの時は、あまり話題になりませんでした。
芸能界に復帰した北野井子さんですが、その後、
芸能活動について一切の情報がありません。
ビートたけしさの離婚で北野井子の名前が浮上!
北野井子さんの父ビートたけしさんが、2019年6月14日に離婚したことが明らかとなりました。
この離婚の原因には『愛人』の存在が囁かれるように…。
愛人にのめり込んでいくビートたけしさんを、
一番に毛嫌いしたのが北野井子さん
と言われています。
報道によると北野井子さんは、父ビートたけしさんを
『気持ち悪い。顔も見たくない』
と拒絶し、絶縁状を渡したとか。
ただ一般的に考えて、父に愛人の存在が報じられ離婚となれば、娘は拒絶するでしょう。
この出来事により、
久しぶりに北野井子さんの情報が確認できました。
ビートたけしに長女・北野井子が渡した「親子絶縁状」の存在 | 女性自身
まとめ
北野井子さんについてまとめてみました。
父ビートたけしが手掛けたミュージックビデオでデビューした北野井子さん。
大物タレントの二世として注目を浴びましたが
芸能界での活動期間は短く、記録や写真がほとんど無い状態。
しかし皮肉なことに、父ビートたけしさんの離婚により
再び北野井子さんの名前があがりました。
ただ、芸能界から離れて15年以上が経過しており、今後も復帰することはなさそうですね。
