一方で、アニメーション映画作品としては1956年に発足した東映動画が劇場用アニメ―ション映画の製作を開始し、1958年10月22日に日本初のカラー長編アニメーション映画「白蛇伝」を公開しました。監督は藪下泰司(「演出」名義)。
この経緯には2019年の連続テレビ小説「なつぞら」の内容もシンクロしてきますが、戦時中の長篇アニメーション映画「桃太郎の海鷲」などでは長編アニメーション映画制作のシステムが確立されておらず、スタッフ達はアメリカなどのアニメーション研究からアニメーター養成、アニメ用撮影機材の開発などまで着手しながら2年がかりで作りあげていった作品でした。
この映画の制作に携わったスタッフはその後の日本アニメ界を牽引する役割を担っていきました。また宮崎駿は、この映画を観た経験がアニメ界に入るきっかけの一つとなったと話しています。
1963年、日本初の本格的連続テレビアニメ「鉄腕アトム」
日本初としては1958年にカラーアニメーション作品も登場したものの、当時の映像業界ではアニメーション制作には長い期間と制作費がかかるというのが常識で、本格的なアニメーション番組を制作するテレビ局は現れず「ポパイ」など海外から輸入されたアニメーション作品が放送されていました。
1961年に虫プロダクションを発足させた手塚治虫は、1963年に日本初の本格的連続テレビアニメ「鉄腕アトム」を製作開始しました。
日本のテレビアニメシリーズの祖「鉄腕アトム」
東映動画でアニメーション制作する道があったものの、長編作品をベースとする同社に馴染まなかったことから自らのアニメ制作会社を立ち上げることとなった手塚治虫は、1960年当時のアニメ制作技法とは異なり立絵紙芝居や切り絵アニメーション、古い30年代の部分アニメなどの技法を組み合わせて止め絵、引き絵、口パク、バンクなどを多用、カメラによって絵を動かしセルの動画とはまったく別のより古いアニメーション原理を採用しました。
この時の価格が業界での標準となったため、現在に至るまでアニメ業界は低予算に苦しめられることとなるものの、このときの手塚治虫の考えが、この後に日本で数多くのアニメーション作品が生み出される土壌を整えたといってもよいでしょう。