伊藤敏博とは

伊藤敏博さんは高校卒業後に日本国有鉄道金沢鉄道管理局(現・JR西日本金沢支社)に就職しました。北陸本線(現・えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン)親不知駅運輸係、富山車掌区列車掛を経て同車掌区車掌として勤務している中、「サヨナラ模様」を作曲しコンテストで優勝します。

新潟にある親不知駅
親不知駅 - Wikipedia
デビュー後もシンガー・ソングライターとして活動する傍ら、JRでの勤務は続けていたので「車掌さん歌手」「シンガーソング車掌」として話題を呼びました。
のちに富山県射水市に居を構えて活動に専念し、現在も北陸地方を拠点に活動を続けています。
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ヒット曲「サヨナラ模様」
「サヨナラ模様」は1981年8月に発売された伊藤敏博さんのセカンドシングルです。

JR在職中にこの曲で1981年5月に開催された「第21回ヤマハポピュラーソングコンテストつま恋本選会」において、グランプリを獲得しました。累計70万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
「歌う車掌さん」としての認知度の高さから、当時の歌番組で放送される時、伊藤敏博さんは富山県内の国鉄車両基地・及びプラットホームで、電車や駅構内などをバックに中継放送で歌唱披露する事が殆どだったといいます。
現在も歌い続けてらっしゃる曲であり、きっとこれからも歌い続けていく曲なのだと思います。
歌詞について

イントロからAメロBメロと寒々しくも物悲しい曲調である、なんだか心が重くなる印象を受けるこの曲。
しかし、サビが素晴らしい!
"だから ねぇねぇねぇねぇ 抱いてよ"
ここは随分キャッチーに作曲されているなぁと感心しました。
これはウケますよね!
コンサートで聴いたら、年齢問わず手拍子をしてしまうサビだと思います。
「サヨナラ模様」の楽曲に携わった人達
編曲:大村雅朗
若くして亡くなった大村雅朗(おおむら まさあき)さんはバクという愛称で呼ばれており、数多くのヒット曲に携わりました。
八神純子さん「みずいろの雨」の編曲で一躍注目を浴び、山口百恵さんの「謝肉祭」、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」、吉川晃司さんの「モニカ」、大沢誉志幸さんの「そして僕は途方に暮れる」、渡辺美里さんの「My Revolution」など、名曲の編曲を手がけました。
1983年の松田聖子さんの「SWEET MEMORIES」で第25回日本レコード大賞の編曲賞を受賞されました。
1997年に亡くなられています。享年46。

ヒット曲「サヨナラ模様」を聴き直してみて
伊藤敏博さんの大ヒット曲「サヨナラ模様」はいかがだったでしょうか?
サビに関しては今でも通用するキャッチーなものだったと思います。

この曲がヒットしたのは1981年ですから、今から既に38年くらい前ということになりますよね。
40年近く歌い続けてきた曲には、沢山の思い入れがあるのだと思います。
伊藤敏博さんは2003年にも新しいシングルを発売されています。また、2019年も10月には京都と東京でライブを行う予定となっています。今後も精力的に活動を続けていかれるのではないでしょうか。
末永く歌い続けて頂きたいですね!
最後までお読み頂きありがとうございました。