わずか2ヶ月で終わった!「宇野内閣」って覚えてますか?
皆さんは平成最初の内閣「宇野内閣」を覚えていますでしょうか?リクルート事件や消費税導入などのゴタゴタで竹下内閣が崩壊し、ピンチヒッターとして担ぎ上げられた宇野宗佑を総理大臣とした内閣で、「わずか2ヶ月の短命で終わった」事でも有名です。この記事では、宇野内閣の顛末および宇野宗佑のその後について書いてみたいと思います。
こちらが平成最初の総理大臣「宇野総理」

1989年6月、宇野内閣が発足。
宇野内閣が発足したのは1989年6月のこと。上述のリクルート事件などにより竹下登首相が退陣、さらにポスト竹下と呼ばれていた「政界のプリンス」こと安倍晋太郎らも、同事件により身動きが取れない状態となっていました。そんな中、リクルート事件と関係性が薄いということで後継の総理に選ばれたのが、竹下内閣で外相を務めていた宇野宗佑です。

元外相の経験を生かした政権運営!
そして6月3日、宇野内閣は発足しました。当時の宇野は知名度が低かったものの、逆にそれが当時の政権に求められていた「クリーンさ」に繋がりました。また、内閣発足翌日の6月4日に中国で発生した天安門事件や、7月に行われた第15回先進国首脳会議(サミット)での対応など、外相出身の強みを生かした政権運営を行い、概ね好評を得ていました。しかし…
愛人問題が発覚!内閣は急速に崩壊へ。
「クリーンな内閣」として一見順調に見えた宇野内閣ですが、思わぬところから問題が発生しました。それは宇野の「女性問題」です。「サンデー毎日」によりすっぱ抜かれたこのスキャンダルは瞬く間に炎上し、7月に控えていた参議院議員選挙を直撃しました。
こちらはテレビ出演に応じた元愛人の方。
参院選で惨敗!辞任を余儀なくされる。
7月に行われた参議院議員選挙では、当時3点セットと呼ばれていた「リクルート」「消費税」「牛肉オレンジの輸入自由化」に加え、宇野の女性問題も加わり自民党に大逆風が吹き荒れました。その結果、自民党は改選議席の69議席から36議席と、マイナス30議席以上の壊滅的敗北を喫し、宇野は敗北の責任を取り辞任することとなったのです。こうして、宇野内閣はわずか「69日間」という短命内閣に終わりました。また、辞任会見で発した「明鏡止水の心境であります」という言葉は、流行語にもなっています。
宇野内閣の閣僚にはどんな人がいたの?
69日間という日本の政治史上4番目に短い内閣となった宇野内閣ですが、その閣僚にはどのような人物がいたのでしょうか?実はミドル世代馴染みの顔ぶれが散見されます。ここで何人かご紹介したいと思います。
小泉純一郎
後に総理大臣となった小泉純一郎は、宇野内閣では厚生大臣でした。宇野内閣発足当時の年齢は47歳。

塩川正十郎
「塩爺」として親しまれ、第一次小泉内閣では財務大臣に就任した塩川正十郎は内閣官房長官でした。 宇野内閣発足当時の年齢は67歳。

山崎拓
加藤紘一、小泉純一郎と並ぶYKKの一角として存在感を示すことになる山崎拓は防衛庁長官でした。宇野内閣発足当時の年齢は52歳。

退陣後、宇野宗佑の動向は?
2ヶ月あまりで辞任に追い込まれた宇野ですが、その後は自民党の最高顧問に就任。そして1996年に政界を引退しました。また、同時期に出身地である滋賀県守山市から名誉市民として表彰されています。

1998年に死去。
1998年になると、宇野は体調を崩し滋賀の病院に入院。肺がんと判明し、同年5月19日に75歳で死去しました。平成の総理大臣として最初に死去した人物となります。「女性問題」のイメージが先行し、総理大臣としては短命に終わった宇野ですが、田中角栄内閣以降さまざまな閣僚を歴任した華々しい実績の持ち主であることは確かです。今後は政治学の研究者によって、政治家としての再評価が行われていくことでしょう。
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