80年代に発生した「未解決事件」の数々!
日本社会を震撼させる大事件の数々。その大半は警察の尽力により解決するのですが、中には未解決で公訴時効を迎えてしまうものもあります。この記事では、80年代に発生した未解決事件をいくつかご紹介したいと思います。

新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件
1981年3月から6月にかけて発生した、新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件。新宿のラブホテルで3人の女性が次々と殺害され、遺体からは覚せい剤が検出されました。当時はラブホテルに防犯カメラがなく、捜査は難航。1996年にどの事件も公訴時効を迎えました。この事件を教訓に、歌舞伎町だけでなく各地の繁華街で防犯カメラの設置が進められました。

新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件
1982年6月に発生した、新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件。ゲームセンターでナンパしてきた男に女子中学生が殺害されるというショッキングな事件で、前述の新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件と併せて、「歌舞伎町は怖い街」というイメージが広まりました。また、当時未成年が出入りしていたディスコにも行政指導が入り、ディスコブームが一旦沈静化することとなりました。

プリンセス・ドウ殺害事件
1982年7月、アメリカ・ニュージャージー州で発生したプリンセス・ドウ殺害事件。被害者である10代と思われる女性は35年以上経過した現在も身元不明のままであり、犯人も検挙に至っていません。この事件を教訓にアメリカでは、身元不明の犯罪被害者について、国家レベルでデータベース化することとなりました。

グリコ・森永事件
1984年から1985年にかけて発生した、昭和を象徴する未解決事件であるグリコ・森永事件。「かい人21面相」や「キツネ目の男」に、当時の日本は震撼させられました。2000年にすべての事件の公訴時効が成立しています。
パラコート連続毒殺事件
1985年4月から11月にかけて発生した、パラコート連続毒殺事件。1977年に発生した青酸コーラ無差別殺人事件と類似の事件であり、日本各地で農薬入りのジュースが自動販売機などに置かれ、それを飲んだ被害者が相次いで亡くなりました。最終的に死者が10名を超える大惨事となり、飲料メーカーは瓶容器をプルトップ方式に改良するなどの対応に追われました。当時は防犯カメラがなかったため、どの事件も未解決に終わりました。
赤報隊事件
1987年から1990年にかけて発生した赤報隊事件。「赤報隊」を名乗る人物が朝日新聞の東京本社、阪神支局、名古屋本社社員寮などを襲撃し、阪神支局の襲撃では記者が犠牲となりました。2003年にすべての事件で公訴時効が成立し、未解決となりました。

マックス・ヘッドルーム事件
1987年11月にアメリカで発生したマックス・ヘッドルーム事件。シカゴ一帯で何者かによるテレビ放送の「電波ジャック」が行われ、イギリスの音楽番組でバーチャル司会者として登場したCGキャラクター「マックス・ヘッドルーム」を模したマスクにサングラスをかけた人物が登場しました。結局犯人は不明のまま、30年以上経過した今も未解決となっています。
電波ジャック時の映像はこちらです!
近藤真彦母親遺骨盗難事件
1987年に発生した近藤真彦母親遺骨盗難事件。1986年11月に近藤の母、美恵子さんが交通事故で他界。その翌年、近藤が日本レコード大賞を受賞する際に、母の遺骨が墓から盗まれ「返してほしければ受賞を辞退しろ」と脅迫される事件が発生しました。マスコミに事件を公表したのは翌1988年だったため、レコ大の審査に影響はなかったのですが、事件から30年以上経過した現在も遺骨は近藤の元に戻っていません。

名古屋妊婦切り裂き殺人事件
最後にご紹介するのは、1988年3月に発生した名古屋妊婦切り裂き殺人事件。名古屋市のアパートで当時27歳の臨月の女性が殺害されたのですが、その猟奇的な殺害方法に世間は震撼しました。女性は腹を切り裂かれて胎児が取り出され、更にその腹に電話の受話器とミッキーマウスのキーホルダーが詰め込まれていたのです。犯人像として、医療関係者説など様々な説が挙がったのですが、どれも核心に迫ることなく2003年に公訴時効が成立、未解決となりました。

未解決事件を更に詳しく知りたい方はこちらで!
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