【神の後継者】1990年代にデビューした「ネクスト・ジョーダン(Next Jordan)」のその後を追った

【神の後継者】1990年代にデビューした「ネクスト・ジョーダン(Next Jordan)」のその後を追った

NBAで”神”と呼ばれ、引退した現在でもその名前を付したシューズやアパレルなどが人気を集めているマイケル・ジョーダン。ジョーダン引退後、「ネクスト・ジョーダン(Next Jordan)」と呼ばれる将来有望な選手が現れた。そんな「ネクスト・ジョーダン(Next Jordan)」と呼ばれた選手たちのその後を追った。


1990年代前半は、NBAの最盛期とも言える時代だった。
そんな時代を担ったのは、バスケットボールの”神”である存在「マイケル・ジョーダン」。

バルセロナ五輪へのドリームチームの参加やジョーダンが所属したシカゴブルズによる2度の三連覇などもあり、NBAは世界的にも非常に盛り上がることとなる。そんなジョーダンも父の死などがあり、1994年に1度目の引退をし、野球への挑戦を試みる。
 その後、NBAに復帰したジョーダンも1998年に2度目の引退をする。NBAは、ロックアウトも発生し、1998-99シーズンが大幅に縮小されるという事態となり、NBAの人気が下降気味となってしまう。

そんな1990年代後半、ジョーダンの後継者が待ち望まれた時代に様々な将来有望な選手が「ネクスト・ジョーダン」候補に挙げられ、あらゆる点をジョーダンと比較された。そんな「ネクスト・ジョーダン」と呼ばれた選手たちのその後を取り上げたい。

「ネクスト・ジョーダン(Next Jordan)」と呼ばれるには

まず、ジョーダンにプレイスタイルが似ている事が挙げられる。
ポジションは、シューティングガードやスモールフォワードが多く、センタープレーヤーで活躍したシャキール・オニールやティム・ダンカンが挙げられることは無い。
またダンクが得意(ダンクコンテストで評価される)やジャンプ力などの身体能力も求められることが多く、アクロバティックなプレイが得意な選手が多い。

大事な条件としては、クラッチシュートやリーダーシップなどチームを勝たせることを求められるため、弱いチームで優勝経験が少ない選手などは評価が低くなってしまう傾向が強い。

90年代にデビューし、 「ネクスト・ジョーダン(Next Jordan)」と呼ばれた選手たち

ハロルド・マイナー(ベビー・ジョーダンの悲劇)

ハロルド・マイナー(Harold David Miner)

Remember Harold Miner aka Baby Jordan - Ballislife.com

92年のドラフトで12番目にマイアミ・ヒート指名されたのが、ハロルド・マイナーだった。

高校生の時に、その並外れた衝撃的なダンク能力から、マイケル・ジョーダンに例えて「ベイビー・ジョーダン」とのニックネームがついた。
南カルフォルニア大学(USC)で活躍し、大学でプレイした最終学年にスポーツ・イラストレイテッド誌の年間最優秀大学バスケットボール選手に選ばれているほどの才能で、アーリーエントリーを宣言しNBAの道へ進む。

1993年と1995年の2度に渡りNBAスラムダンクコンテストで優勝しているが、シーズンでは周囲の期待に応えるような活躍は出来ず、1996年のシーズン以降はNBAでプレイできていない。NBAでは、僅か4シーズンしかその姿を見られなかった。

2011年の時点で、マイナーはラスベガスに住んでおり、不動産投資などで生活をしているとインタビューで答えている。同じ2011年にPAC-12(パシフィック12カンファレンス)の名誉殿堂入りを果たし、南カルフォルニア大学(USC)での引退式に参加をしている。

ハロルド・マイナーにとって、「ベビー・ジョーダン」と呼ばれたことが最悪の事態だったと大学のコーチは述べている。

アンファニー・ハーダウェイ(ペニー&シャックのコンビよもう一度)

アンファニー・ハーダウェイ(Penny Hardaway)

'00 Penny Hardaway (95) - MyTEAM Diamond Card - 2KMTCentral

1990年代に最も「ネクスト・ジョーダン(Next Jordan)」と呼ばれた選手かも知れないのが、マジックやサンズで活躍したアンファニー・ハーダウェイだろう。

大学生時代の1992年にバルセロナ五輪に参加するドリームチームの練習相手として選ばれた学生選抜の1人として参加し、マジック・ジョンソンから高い評価を得ている。
1993年のドラフトで全体の1巡目1位として、ゴールデンステイトウォーリアーズに指名されるが、その日のうちにオーランド・マジックにトレードされ、シャキール・オニールとコンビを組むこととなる。

ネクスト・ジョーダンとして特に注目を集めるようになったのは、1994-95のシーズンのプレイオフ2回戦で対戦したマイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズに勝利したことが大きい。結果、このシーズンはNBAファイナルでロケッツに敗れるが、創立6年目のチームに夢を抱かせるには大きな出来事だった。
ペニー・ハーダウェイ自身も1994年~1997年までのシーズンがキャリアハイの成績を収めており、オニールとのコンビでいつ優勝してもおかしくないチームと思われていた。しかし、1996-97シーズンを迎えるときにはオニールはレイカーズに移籍してしまう。ハーダウェイ自身も膝のケガのため、23試合欠場しており、ここからネクスト・ジョーダンに思わしい活躍は少なくなっていく。

1999-2000のシーズンにフェニックス・サンズに移籍。ジェイソン・キッドとハーダウェイとのコンビは「バックコート2000」と呼ばれ、非常に期待されたが思うような活躍が出来なくなっていく。

結局、フェニックス・サンズでも優勝リングには届かず、2003–04年シーズン途中にニューヨーク・ニックスへ放出された。その後は、控えの選手として過ごし、2007年にマイアミ・ヒートと契約。オニールと再びチームメイトとなったが、19試合を過ぎ、5勝14敗と大きく低迷していたところで解雇されてしまい、NBAの選手としてのキャリアはここが最後となってしまう。

オニールとのコンビや新時代を夢想させるプレイが人気を呼び、常にジョーダンとの比較をされたペニー・ハーダウェイ。“シャック&ペニー”が続いていたら、全盛期のシカゴ・ブルズを超えられていたかもしれません。

ペニー・ハーダウェイは、16年間のキャリアで1億2000万ドル以上を稼ぎ、メンフィスのダウンタウンに理髪店と美容室を所有し、マイアミを拠点とする芝生事業を営んでいます。またメンフィス・グリズリーズの小口オーナーも務めている。

2018年から自身の母校であるメンフィス大のヘッドコーチ(HC)に就任している。

グラント・ヒル(怪我の多かったスーパーエリート)

グラント・ヒル(Grant Henry Hill)

Grant Hill Basketball Card (Orlando Magic) 2007 Fleer Ultra #135 at Amazon's Sports Collectibles Store

大学時代、いや高校時代からスーパースターだったグラント・ヒル。
NCAAの名門デューク大学に進学すると1991年と1992年の2年連続NCAAトーナメントでチームは優勝。1994年も準優勝を果たした。

デューク大学を卒業後、1994年のドラフト1巡目3位でデトロイト・ピストンズに指名され入団する。ルーキーイヤーからスーパースターの扱いに負けない活躍をし、新人王を獲得、さらにはオールスターのファン投票で新人ながら1位という破格のデビュー年となった。

翌1996年のオールスターでも復帰したマイケル・ジョーダンを抑えてファン投票1位となっており、オールNBAファーストチームに選ばれるなど人気実力ともネクスト・ジョーダンと呼ばれるにふさわしい選手となっていく。

しかし、ピストンズ時代はプレイオフには進出するものの優勝までは遠く、トレードを希望していたグラント・ヒルは、2000年にオーランド・マジックへと移籍する。しかし、移籍4試合目で足首を骨折してしまい、この骨折以降足首の故障に悩まされ続け、プレイも輝きが少なくなっていってしまう。

2003年にグラント・ヒルは命にかかわるメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)感染症にかかり、その後回復までに6か月かかりました。 グラント・ヒルは、MRSAの意識と予防のための提唱者以来となっている非営利団体(ストップMRSA)のための公共広告に登場している。

アトランタ・ホークスでは、故障がちとなったシーズンもあり、優勝には届かず、フリーエージェントとなった2007年オフにフェニックス・サンズへと移籍。移籍後もまずますの成績は残すが、チームはプレイオフ進出止まる。2012年にロサンゼルス・クリッパーズへ移籍するが、開幕から怪我で長期離脱、僅か29試合の出場となってしまう。2013年6月1日、現役引退を発表した。

2018年3月31日、バスケットボール殿堂入りが発表された。
引退後はTNTとNBA TVの解説者として活動。2015年4月にはアトランタ・ホークスの株を購入し、共同オーナーに就任している。

ジェリー・スタックハウス(大学の後輩でもある後継者候補)

ジェリー・スタックハウス(Jerry Darnell Stackhouse)

'13 Jerry Stackhouse (92) - MyTEAM Amethyst Card - 2KMTCentral

ジェリー・スタックハウスも上記の選手たちと同じように高校時代から非常に活躍しており、ースカロライナ州で年間最優秀選手となっている。バスケットの名門であるノースカロライナ大学に進学後も全米最優秀チーム賞および全ACC賞を受賞し、1995年のNBAドラフトの第1ラウンドで、フィラデルフィア76ersによる1巡目3位で指名された。

ジョーダンと同じ、ノースカロライナ大学でプレーし、ジョーダンと同じくドラフトで3位になり、身長も同じ6'6(198cm)、プレイしている外見も同じように見えたため、スタックハウスは早い時期から 「ネクスト・ジョーダン(Next Jordan)」 として宣伝されていた。

ルーキーイヤーから活躍し、チームのスタープレイヤーとなるが、1996年のNBAドラフトでシクサーズにアレン・アイバーソンか加入する。スタックハウスとアイバーソンのコンビに期待が寄せられるが、プレイスタイルが似ている2人の共存は難しく、スタックハウスは97-98シーズンの途中にピストンズへトレードされてしまう。

ピストンズへの移籍2年目からスターターの位置を確保したスタックハウスは、得点能力をいかんなく発揮し、00-01シーズンにはリーグ2位となる29.8得点を記録している。2002–03シーズンには、ワシントン・ウィザーズに移籍しており、引退間近のジョーダンと同じチームでプレイしている。

2004年のオフになって、スタックハウスはダラス・マーベリックスに移籍した。ダーク・ノビツキーら豊富なタレントが揃う中、シックスマンとしてプレーし、2006年のNBAファイナルにも出場。マイアミ・ヒートにマーベリックスは敗れてチャンピオンリングを獲得することはできなかった。

その後、ミルウォーキー・バックス(2010)、マイアミ・ヒート(2010)、アトランタ・ホークス(2011-12)、ブルックリン・ネッツ(2012-13)と移籍するが、思ったような成績を残せず、2013年のシカゴ・ブルズへの敗退後に引退を発表した。

引退後は、2013年にFoxSportsのアナリストとして、解説に参加。
2015年からは、コーチとしてのキャリアを積んでおり、トロント・ラプターズのアシスタントコートを務めていた。
2016年は、ラプターズの下部チームであるラプターズ905のヘッドコーチを務めて、2016-17のDリーグ(NBAの下部リーグ)で優勝ヘッドコーチとなっている。
2018-19シーズンは、メンフィス・グリズリーズのアシスタントコーチを務めたが、2019年からは
ヴァンダービルト大学バスケットボールチームのヘッドコーチに任命された。

コービー・ブライアント(”神”が唯一認めた男)

コービー・ブライアント

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言わずと知れた「ネクスト・ジョーダン」筆頭。そして、ジョーダン自身が唯一認めたのが、コービー・ブライアントである。
シャキール・オニールとのコンビで達成したスリーピート(三連覇)、恩師フィル・ジャクソンとの関係性、オニールとの不仲からのコンビ解消、独り立ちし覚醒した2連覇など、コービーを語りつくすのは難しい。

ネクスト・ジョーダンにふさわしい活躍で、ジョーダン本人も2012年に「自分の引退後のプレイヤーの中で、自分と比較されるにふさわしい選手はコービーだけだ。」と語っている。 さらにジョーダンは「自身の全盛期にマッチアップをしてみたい相手は誰ですか?」との問いに「ジェリー・ウエスト、エルジン・ベイラー、レブロン、ウェイド、メロ………誰にも負ける気はしない。コービー以外には。彼は私の動きを全て盗んだからね。」と答えている。

コービーが制作を手掛けた映像作品「Dear Basketball」が第90回アカデミー賞で最優秀短編アニメ賞に選出されている。「Dear Basketball」は、永久欠番セレモニーが行なわれた際に、ステイプルズ・センターで放映されたアニメーション作品。

また投資しているスポーツドリンク「BodyArmour」の株価も上昇を続けており、最初に投資した600万ドルは既に2億ドルにもなっているとも言われており、ビジネスマンとしても一流なところを見せている。

ビンス・カーター(ダンクだけならジョーダンを超えた?)

ビンス・カーター

'00 Vince Carter (92) - MyTEAM Amethyst Card - 2KMTCentral

ビンス・カーターはNBA記録21シーズンを果たした5人のプレーヤーのうちの1人で、 彼は史上最大のダンカーと広く見なされている。

カーターもジョーダンと同じく名門ノースカロライナ大学に進学し、ファイナルフォー敗退後、アーリーエントリーを宣言し、1998年のドラフト会議で1巡目5位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名されるが、即座にジェイミソンと交換でトロント・ラプターズに移籍。

2000年のNBAオールスターゲームにファン投票で最多投票を獲得し先発選手として出場し、スラムダンクコンテストでも驚異的なパフォーマンスを披露し優勝している。 "Vinsanity" 、 "Air Canada" 、 "Half-Man、Half-Amazing"などのニックネームで呼ばれていた。

彼の3シーズン目である2000 - 01年、カーターは1試合平均27.6ポイントを記録し、 オールNBAセカンドチームを編成し、 2001年のNBAオールスターゲームのスターターとして出場、ラプターズはまた、当時のフランチャイズ記録47勝でレギュラーシーズン終える。

しかし、その次のシーズン(2001-2002)から膝のケガに悩まされ続けることとなる。2001年にニュージャージー・ネッツへと移籍。当時リーグ最高峰のポイントガードであったジェイソン・キッドとのコンビで勝利を重ねていくが、プレーオフ進出に留まる。

その後、オーランドマジック(2009年 - 2010年)、フェニックスサンズ(2010–2011)、ダラスマーベリックス(2011年 - 2014年)、メンフィスグリズリーズ(2014–2017)、サクラメントキングス(2017–2018)とチームを渡り歩き、現在はアトランタホークス(2018年 -)で現役選手として活躍している。

ショーン・メナードによる「The Carter Effect」と題された60分のヴィンス・カータードキュメンタリーは、カナダのバスケットボールシーンにおけるカーターの影響について2017年トロント国際映画祭で上映されている。

ビンス・カーターは、来シーズンも22年目のキャリアを現役で迎えようとしている。

「ネクスト・ジョーダン(Next Jordan)」と呼ばれて

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ビンス・カーターは「ネクスト・ジョーダン」と呼ばれることを嫌がり、マイケル・ジョーダンにはなりたくないとはっきり答えている。
コービー・ブライアントは、マイケル・ジョーダン二世ではなくてコービー・ブライアント一世になりたいんだとも言っている。

マーケティングの観点から求められ続けた「ネクスト・ジョーダン」も死語となっており、グーグルでの「ネクスト、マイケル・ジョーダン」を検索された数は、2013年初めにレブロン・ジェームズが2度目のチャンピオンを獲得したことによる急上昇を除いて、あまり検索されていない。

現在のスーパースターである、ステフィン・カリーは「スティーブ・ナッシュに憧れていた。」と語っている。

それでも、G.O.A.T.(“Greatest Of All Time”)の一番手である、マイケル・ジョーダンの姿を誰かに重ねたくなるのがファン心理なのかもしれません。

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