
元気になる毒蝮三太夫語録
元気になる毒蝮三太夫語録 | 山中 伊知郎 |本 | 通販 | Amazon
「ババア、そんな汚い顔でよく外を歩けるなぁ」
「ジジイ、まだくたばってないのか?」
そんな暴言連発でも許される唯一の人”毒蝮三太夫”
今の時代では、即炎上となりそうなところだが、この人が発すると独特な芸名とも相まって何故か暴言も許してしまう。
言われた方も言っている本人もジジイだし、ババアである年なのだが、そんなことを忘れさせるような空気感が毎週ラジオでは繰り広げられている。現在の芸能界における生き証人でもある「毒蝮三太夫」がくたばる前に掘り下げてみたい。
ウルトラマンのアラシ隊員として活躍!
大工の息子として大阪に生まれた毒蝮三太夫。
生後すぐに東京に転居。中学校では、生徒会の副会長に選ばれたり、卒業生代表として落語を披露したりと当時から人気者であった。
子役として中学1年の時に舞台でデビュー。高校卒業まで児童劇団に所属し、役者となるきっかけとなっている。その後、進学した日本大学芸術学部では、劇団を立ち上げ、石原慎太郎原作の舞台などを演じている。このころに劇団仲間の知り合いであった立川談志と友人関係となった。
俳優として活動を始めた1960年代は、本名の「石井伊吉」で活動。1966年に始まった「ウルトラマン」に科学特捜隊のアラシ隊員として出演し、当時の子供たちに名前が広まるきっかけとなった。
なんとウルトラセブンにもフルハシ隊員として出演!

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アラシ隊員としてウルトラマンに出演した翌年に、今度はウルトラ警備隊のフルハシ隊員として出演した。ほぼ同様の役であるが、作品を超えた起用に当時の子ども達も驚いたはず。
本人は、インタビューで『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の両方に起用された理由について、「輝いてるって言うのと同時にね、丈夫で安いんですよ(笑)。病気をしないんです」と答えている。
芸名『毒蝮三太夫』の誕生

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1967年当時にテレビ番組「笑点」の司会者立川談志に誘われて、笑点の2代目座布団運びとして出演することになったが、ウルトラマンにも出演していたこともあってウルトラマンを放映していたTBSに苦情がきてしまった。
そのため、「笑点」出演時は芸名を使用することとなり、談志を中心とした笑点出演メンバーから怪獣風の名前や毒を付けろなどといわれ、1968年12月15日の放映分から「毒蝮三太夫」として出演することとなった。
その後も立川談志との交流は続き、談志の所属事務所だった「談志プロダクション」の社長に就任し、「まむしプロダクション」に改称し、芸能プロダクションを経営することに。
だが、立川談志が笑点を降りたときには、毒蝮三太夫も一緒に降板した。
ラジオでの毒舌が人気となり今でも続く長寿番組へ
笑点の降板から半年ほど経った時に運命とも言えるラジオ局からのオファーが来る。それが長寿番組となるTBSラジオでの『毒蝮三太夫のミュージックプレゼント』であった。
当初は大人しく番組を進めていたそうだが、無理したり猫被っていてはと思ったのか、本当の自分を出し「おい、ジジイ!」や「まだくたばらねえのか、バアさん」などと本音を語りだしたところが人気となり50年も続く長寿番組となっていった。
今でもラジオの公開放送が来ると、どこから聞きつけてきたのかお客さんが集まってくる。放送終了しても集まってくれた方に独演会をする毒蝮三太夫であった。
いつまでも長生きでラジオを続けて欲しい。
毒蝮三太夫ホームページ