「お色気医事漫談」で人気を博したケーシー高峰さん死去。
白衣姿と黒板をトレードマークとした“お色気医事漫談”で人気を博した、タレントのケーシー高峰さんが肺気腫のため福島県いわき市内の病院で死去しました。85歳でした。
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医事漫談の創始者「ケーシー高峰」とは?
ケーシーさんは1934年、山形県生まれ。母方が医師の家系であり、本人も日本大学医学部に進学し医師を志したものの、芸の世界に憧れ、同大学の芸術学部に進学。大学卒業後は本格的に芸人への道を歩み、大空はるか(青空はるお)と下ネタ専門の漫才コンビ「大空はるか・かなた」を結成しました。

1968年、ケーシー高峰を名乗り始める。
1968年、漫才コンビ時代に培った下ネタに磨きをかけるため漫談家に転身。同時に「ケーシー高峰」と名乗り始めました。「ケーシー」は医師が主人公のドラマ「ベン・ケーシー」、「高峰」は女優・高峰秀子から取ったとのこと。

「おいろけ寄席」でお茶の間の人気者に!
漫才コンビ時代も人気のあったケーシーさんですが、転身後は「大正テレビ寄席」「おいろけ寄席」などの番組に出演。「グラッチェ」など怪しげな単語の多用とお得意の下ネタを駆使し、当時爆発的な人気となりました。
映画で「ヤブ医者」役も好演!
テレビ番組で破竹の勢いで活躍を続けたケーシーさんですが、その一方でピンク映画で「ヤブ医者」役などを好演。コメディリリーフの名脇役として、存在感をアピールしていました。
「医事漫談」というジャンルを確立!
上述の華やかな芸歴の中で、ケーシーさんは「白衣」「黒縁メガネ」「黒板(またはホワイトボード)」「聴診器」を用いて下ネタを交えた漫談を披露する“医事漫談”のスタイルを確立。唯一無二の芸風として、昭和~平成期のお笑いを代表する存在となったのです。
晩年は肺を患い、舌がんにより舌の一部を切除する手術も行っていたというケーシーさん。そんな自身の病気でさえ、笑いのネタにする時もあったとのこと。漫談家としての生涯を全うしたその人生は、これからも多くの人に語り継がれていくことでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。
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