覆面レスラーの活躍とその正体とは!

覆面レスラーってとにかく華があってカッコイイですよねぇ!
私はプロレスの玄人ではないので気のせいかもしれませんが、覆面レスラーの技って派手で鮮やかなものが多い気がします!
今回はそんな覆面レスラーと、ちょっと野暮ですがその正体にも触れてみたいと思います。
さっそく見ていきましょう(^^)/
初代タイガーマスク
元々はテレビアニメであった「タイガーマスク二世」のタイアップとして誕生したのですが、物凄い人気となりプロレスラーとしての立場を確立し、現在に至るまで引き継がれている誰もが知ってるマスクマンですね。

1981年に新日本プロレス蔵前国技館大会でデビューした初代タイガーマスク。
原作者である梶原一騎さんからは、コーナーポスト最上段に軽々と飛び乗れるプロレスラーを起用する事などの注文があったといいます。
初代タイガーマスクはアニメキャラをモチーフとしているので、正式にはタイガーマスク2世ではあるものの、実際にはタイガーマスクで呼ばれています。
佐山聡

佐山聡さんこそが初代タイガーマスクであることは皆さんもご存じの通りであり、空前のプロレスブームと社会現象を起こしましたね!
しかし、人気絶頂期に突如として新日本へ契約の解除を一方的に申し入れ、マスクを脱いで正体を明らかにし引退しました。
その後、UWFへの参戦や修斗を創設、現在は掣圏真陰流を創始しています。
二代目タイガーマスク
二代目タイガーマスクは初代タイガーマスクが引退した翌年の1984年の全日本プロレス田園コロシアム大会でデビューしました。

人気絶頂だったタイガーマスクが引退したことで悲しんだファンも多かったのではないかと思いますが、この二代目タイガーマスクがリングに立った時は感極まったのではないでしょうか?
初代タイガーマスク同様、豊富な技で相手を圧倒した姿は印象深かったと思います。
しかし、1990年の東京体育館大会で、試合中に突如としてパートナーに自身のマスクの紐を外すよう指示し、自らの手でマスクを脱ぎ捨てて試合を続行します。正体を明かして戦う姿はアニメ「タイガーマスク二世」と同じ結末でした。
三沢光晴

二代目タイガーマスクの正体は、皆様もご存じの通り三沢光晴さんでした。
全日本プロレスのトップレスラーとして活躍された後、2000年にプロレスリング・ノアを旗揚げし日本のプロレス界を大いに盛り上げて下さいました。
2009年、試合中のバックドロップで頭部を強打したことによる頸髄離断。46歳没。
リングの上で亡くなった生粋のプロレスラーでした。
ザ・グレート・サスケ
ザ・グレート・サスケはウルティモ・ドラゴン、スペル・デルフィンと並びジャパニーズ・ルチャの立役者の1人といわれています。
メキシカンスタイルのルチャ・リブレは見応えがありましたね!

歌舞伎の隈取りをモチーフとしたマスクを着用しており、普段は赤い隈取りだがヒール転向時は青い隈取りのマスクを着用しSASUKEと名乗っていました。
難易度の高い空中技を次々にこなす世界レベルのルチャドールであったことでも有名で、その華麗な技に魅了された方も多いのではないでしょうか?
村川政徳

プロレス以外では岩手県議会議員も務めた村川政徳さん。
議員の時もマスクを外さないことから、物議を醸しましたよね!
個人的にはちゃんと仕事してくれるなら、別に良いのでは?と思ってました(笑)
みちのくプロレス株式会社の代表取締役社長も務めた村川政徳さんは、メキシコ修行中に知り合った方と国際結婚しており、家族間ではスペイン語でも話しているとか。
現在もみちのくプロレスでザ・グレート・サスケとして活躍されています。
ハヤブサ
ハヤブサは1991年に大仁田厚さん主催のFMWの入団テストに合格し、プロレスラーとしてデビューを果たしました。

デビュー後に海外遠征に出発してメキシコのWWAを中心に活動していたのですが、一時帰国して第1回スーパーJカップに出場した際、獣神サンダー・ライガーとの試合で強烈なインパクトを残し、トップレスラーへと駆け上がりました。
FMWで大仁田厚さんとの引退試合を務めた後、全日本プロレスに参戦。大活躍を見せました。
江崎英治
2001年の後楽園ホールでの試合中にラ・ブファドーラという技の失敗で頚椎を損傷の重傷を負ってしまいます。
その後、歩行困難の中歌手としても活動するなど、精力的な活動をされていたのですが、2016年にくも膜下出血により死去。享年47。
ヘビー級の時にも数々の高難易度な飛び技を使いこなし、俗にいわれるインディー団体出身レスラーらしくデスマッチもこなす希有な存在であったと、高い評価を得ていた方でした。
獣神サンダー・ライガー
獣神サンダー・ライガーは新日本プロレス所属の覆面レスラーです。
出身地は永井豪宅もしくは広島県広島市となっており、通称「世界の獣神」。

30年間という長きに渡り活躍されたトップレスラーの獣神サンダー・ライガー。
あくまでも正体は不明という設定でしたが、雑誌の取材に対して「素顔時代の自分があるから、その後のライガーがあるわけだし、専門誌に“獣神ライガーに生まれ変わります”って素顔で永井豪先生と一緒の写真が掲載されたこともありますからね。本名だって知られてるじゃないですか。隠すものは何もありませんよ」と語っています。
尚、モチーフとなったのは永井豪さんの原作漫画「獣神ライガー」であり、タイガーマスク同様タイアップとして登場しました。
2020年1月の東京ドーム大会にて引退する予定の獣神サンダー・ライガー。
有終の美を飾って欲しいですね(^^)/
山田恵一

170cmとプロレスラーの中では小柄だった山田恵一さんは、高校卒業後に身長制限の無いメキシコに渡りました。そこで出会ったグラン浜田さんを通じて山本小鉄さんを紹介してもらった上で新日本プロレス入団を許可されました。
新日本プロレスで活躍した後、イギリスに渡ります。そして消息を絶ったことになっています。
獣神サンダー・ライガー自身も「山田は死んだ。リヴァプールの風になった」と語ってました。
当時、体格的に恵まれていない獣神サンダー・ライガー(山田恵一)が、ジュニアヘビー級でもヘビー級に通用するパワーを兼ね備えていたことは驚異的なことでした。
小柄な選手がスピードと多彩な技で大きい選手を圧倒する姿には興奮しました。
ウルティモ・ドラゴン
ウルティモ・ドラゴンは日本だけでなくアメリカとメキシコでも名が通っている覆面レスラーです。
得意技の1つ「ラ・ケブラーダ」はアメリカプロレス界では「アサイ・ムーンサルト」と呼ばれている程です。

ウルティモ・ドラゴンはメキシコ仕込みのルチャリブレ殺法を数多く日本に紹介しているジャパニーズ・ルチャの立役者の1人です。
日本式スープレックスやカンフーをモチーフとした蹴りも多用するのが特徴的な選手です。
1998年に試合にて負傷した左肘関節のためにアメリカで手術を受けるたのですが失敗してしまい、神経を損傷。後遺症が残ったそうです。
現在はメキシコを拠点に置きながらも日本を始め各世界で活躍しています。
浅井嘉浩

ウルティモ・ドラゴンの正体は浅井嘉浩さんであり、獣神サンダー・ライガーの山田恵一さんと同じ様にプロレスラーとしては小柄な方です。
高校卒業後に新日本プロレスの入門テストを受けた浅井嘉浩さんは、体力テストはクリアするも実際の身長は170cmしかないのにもかかわらず、履歴書に178cmと身長を記入していたことがばれて体が小さいことを理由に不合格となっています。
しかし、その熱意から道場に通うことを山本小鉄さんから許され、「小鉄の内弟子」として練習に励みます。そしてメキシコに渡り覆面レスラー「ウルティモ・ドラゴン」に変身しました。
世界中で活躍する日本を代表するプロレスラーですね!
エル・サムライ
エル・サムライは1986年にデビューした日本の覆面レスラーです。
メキシコに遠征し、エル・サムライとなりました。

エル・サムライは受身の達人であり、グラウンドでの技術もすばやい攻防もでき、投げ技まで得意としており、さらにメキシコで習得したラフファイトまである万能タイプのレスラーです。
二度に渡るマスク剥ぎにもあったエル・サムライ。
長州力さんに怒られる姿は「哀愁の漂い方が中間管理職レベル」と評され、ワールドプロレスリングでは哀愁のマスクマンと呼ばれる姿もなかなか良い味を出してますよね。
松田納
専修大学北上高等学校でレスリング部に所属していた松田納さんは、インターハイや国体に出場するなど活躍し、卒業後新日本プロレスに入門しました。
入門からたったの3か月でデビュー戦を行っているところが、プロレスラーとしての素養が十分にあったのだと思われます。
柔軟な体で現在まで怪我による欠場が殆どなく、ルチャ・リブレのエッセンスを積極的に取り入れたファイトスタイルです。
打、投、極に加えて飛び技、丸め込み技、ラフファイトまでこなすオールマイティな松田納さん。
これからもエル・サムライとして活躍し続けて欲しいですね!
スペル・デルフィン
スペル・デルフィンは1989年にデビューした日本の覆面レスラーです。
ウルティモ・ドラゴン、ザ・グレート・サスケと並びジャパニーズ・ルチャの立役者の1人と言われています。

メキシコで活動していた頃は漫画『THE MOMOTAROH』をモチーフにした覆面レスラー「モモタロウ」をモチーフとした覆面レスラーとして活躍していました。
帰国後は著作権の関係があり使用出来なくなりましたが、作者のにわのまことさんは喜んでいたとか(^^)/
大阪プロレス、沖縄プロレス、海鮮プロレスなどを旗揚げし、現在も活躍中です。
脇田洋人
プロレス入り前にはサンボを経験している脇田洋人さんは、きっと筋が良かったのだろうなぁと思います。
ユニバーサル時代の初期には前座として「モンキーマジック・ワキタ」のリングネームの時がありました。
大阪府和泉市議会議員でもある脇田洋人さんの奥様はタレントの早坂好恵さん。大変お綺麗な方ですね。
ちなみに、脇田洋人さんのお父様は土地家屋調査士で、若い頃から測量現場の仕事なども手伝っていたそうですよ。
多方面で活躍されている脇田洋人さん。
これからの活躍も期待したいですね(^^)/
ウルトラマンロビン
ウルトラマンロビンは1990年にデビューした日本の覆面レスラーです。
プロレス界唯一の円谷プロダクション公認の覆面レスラーとして活躍されています。

ニックネームは宇宙銀河騎士、そして出身地はM78星雲光の国なんですよね!
円谷プロダクションからの名称使用の基本条件は「試合には絶対負けるなと言いたいが汚い試合、卑怯な事はしないでほしい」という内容でした。
尚、ロビンと名付けられた理由は、デビューがイギリスだった為にイギリスの伝説的な英雄ロビン・フットからとったそうです。
円谷プロダクションの経営体制変更により2012年にウルトラマンロビンの版権切れ問題が発生します。そこで話し合いがもたれ、版権の絡む宇宙人と怪獣の登場を封印することでウルトラマンロビンとしての活動は継続される方向に落ち着いたそうです。
尾内淳
尾内淳さんは身長が低いことから新日本プロレスと全日本プロレスに入門を断られてしまいました。
そこで、ジャパン女子プロレスでスタッフをして働いていたのですが、同じく身長が低いウルティモ・ドラゴンのデビューに刺激を受けてイギリスへ渡りました。
尾内淳さんの公式の身長は165cmなので、確かにかなりの小柄な選手だということが判ります。
それでも諦めずにプロレスラーとして活躍されている尾内淳さんを、これからも応援したいですね!
スーパー・ストロング・マシン
スーパー・ストロング・マシンはもともと将軍KYワカマツに操られる設定であったストロング・マシンから派生した日本の覆面レスラーです。

ストロング・マシンの頃はマシン軍団の活動が主だったのですが、スーパー・ストロング・マシンとなってからはマシン軍団から離れて活動する様になっていました。
「お前平田だろ!」は有名ですよね(笑) それに対して、スーパー・ストロング・マシンは「誰が平田だ」と返していましたね(^^)/
尚、永田裕志さんが率いる青義軍に加入してからは、マスクの色をメタリックブルーに改めていました。
2014年以後は試合に出場することがなく、引退試合は行わずにリングを去りました。
平田淳嗣

プロレスラーになる前は柔道やボディビルで身体を鍛えていたといいます。
ここ一番で使用するフィニッシュ・ホールドの「魔神風車固め」はカッコよかったですよね!
平田淳嗣さん派手なテクニックや大技は無いが、大きく頑丈な体躯と長いキャリアを生かした人気のあるプロレスラーでした。
パワーの平田として知られ、海外でも日本でも活躍されました。
「こんなしょっぱい試合ですいません!」なんて名言も残されていましたね。
2018年に引退。40年近いキャリアに幕を下ろしました。
10人の覆面レスラーを振り返ってみて
覆面レスラーの活躍と素顔はいかがだったでしょうか?
皆さんカッコよかったですよねぇ(^^)/
まとめてみて思ったのは、結構小柄な方が多かったなぁと思います。
そして、やはりメキシコのルチャ・リブレの遺伝子が多く見受けられたと改めて判りました。
確かにメキシコは覆面レスラーのメッカの様なところがありますからね。
それにしても皆さん、大活躍だったなぁと思います。
人を楽しませる力がある上に、強さまで兼ね揃えているプロレスラーは、やっぱり素敵ですよね!
これからもプロレスラーは皆に愛される存在であって欲しいですね。
最後までお読み頂き、ありがとうございました(^^)/