恋人に殺害された悲劇の女優「菊容子」をご存知ですか?
皆さんは「菊容子」という女優をご存知でしょうか?50年代から70年代にかけて活躍した女優で、ドラマ「好き!すき!!魔女先生」のヒロイン役やNHK「連想ゲーム」のレギュラー回答者などで著名でした。そして人気絶頂期の1975年、恋人に殺害され文字通り“悲劇のヒロイン”となった人物です。

子役から芸能生活をスタート。
菊容子は1950年、神奈川県横浜市生まれ。幼少期よりモデル活動を行い、1959年に映画「城ヶ島の雨」で子役としてデビューしました。また、芸能活動と並行して若柳流の舞踊を習っており、15歳で名取となっています。

学園ドラマ「でっかい青春」にレギュラー出演!
そして1968年、菊は竜雷太主演の学園ドラマ「でっかい青春」に女生徒役でレギュラー出演。これが本格的な女優デビューとなりました。その後も「信子とおばあちゃん」「遠山の金さん捕物帳」といったドラマ・映画に出演し、女優として頭角を現していきます。

「好き!すき!!魔女先生」でヒロイン役に抜擢!

そして1971年、TBS系ドラマ「好き!すき!!魔女先生」のヒロイン・月ひかる役に抜擢され、菊の人気は頂点に達します。さらに、1972年からはNHKのクイズ番組「連想ゲーム」でもレギュラー回答者となり、お茶の間にその知名度は浸透していきました。
女優・タレントとして大成するも、私生活では…
順風満帆の芸能生活を送っていた菊ですが、私生活では1974年頃から俳優・藤沢陽二郎と交際していました。ただ藤沢は当時無名に近い俳優であり、「仮面ライダー」でヤモゲラスを演じるなどしていたものの収入は少なかったと言います。一方の菊はドラマなどでのブレイクにより、当時の金額で月収100万円以上と言われていました。この二人の格差が、後に悲劇を呼ぶこととなります。

一目瞭然の収入格差があったものの、菊は藤沢の真面目な性格に惹かれ真剣な交際を続けていました。一方の藤沢も菊との結婚を望み、俳優としての活動を続けていたものの一向に売れない状態が続きます。それを見かねた菊の父親は、当然ながら娘の藤沢との結婚を望んでいませんでした。

そして、更に芸能活動が多忙となっていく菊と一向に売れない藤沢との間で、すれ違いが生じ始めます。そんな中、藤沢の心に「菊が他の男と浮気をしているのでは?」という疑念が生まれ、菊の仕事現場に半ばストーカー的に押し掛けるなど、精神不安定な言動を取るようになりました。

そんな状況の中、菊は藤沢との交際に疑問を持ち始めるようになりました。そして1975年4月29日、藤沢が菊の住むマンションによりを戻そうと話し合いに訪れた時に悲劇が起こります。藤沢が部屋を訪れた際、菊は電話をしていたのですが、その内容に「指輪が欲しい」「明日、9時に起こしてね」という発言があった事から、浮気相手との電話だと藤沢は決めつけました。そして、激高した藤沢は菊を絞殺してしまったのです。

菊を絞殺してしまった藤沢。殺害後、小田原市の箱根ターンパイク内の橋の欄干に車を衝突させ自殺を図ったものの、死にきれず逮捕となりました。有名女優が殺されるという前代未聞の事態に、当時のマスコミは事件を大きく報道。ワイドショーなどは事件一色となりました。
「浮気」は藤沢の勘違いだった。
殺害のきっかけとなった「電話」ですが、これは菊が父親と電話をしていただけでした。「指輪が欲しい」は「自分が結婚するときは(母の形見である)指輪が欲しい」という意味であり、「明日、9時に起こしてね」は仕事で朝起きるためにモーニングコールをお願いしていただけだったのです。菊は浮気などはしておらず、すべてが藤沢の勘違いから生まれた悲劇でした。

警察からこのことを知らされた際、藤沢はその場で泣き崩れたと言います。冷静さを失い、最愛の人を信じてあげることが出来なかった過ちは、生涯にわたって彼の心に刻み付けられたことでしょう。現在の彼の消息は不明ですが、贖罪の念を忘れないでもらいたいものです。
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