昭和末期の怪事件「お笑い芸人・佐々木つとむ殺害事件」とは?
皆さんは「佐々木つとむ」というタレントを覚えていますでしょうか?70年代から80年代にかけて一世を風靡したお笑い芸人で、特にモノマネを得意とし「元祖ものまね四天王」とも呼ばれていました。タレント・神奈月の師匠でもあります。この記事では、そんな彼が殺害された「佐々木つとむ殺害事件」に焦点を当てたいと思います。

「元祖ものまね四天王」として活躍した佐々木つとむ。
佐々木つとむは1947年、兵庫県神戸市生まれ。10代の頃より演芸番組に出演し、若干17歳で浅草松竹演芸場の司会に抜擢されました。その後、渥美清や田中角栄といった著名人のモノマネで一世を風靡。70年代のモノマネ界の頂点に君臨する存在として、はたけんじ、団しん也、堺すすむと共に「元祖ものまね四天王」と呼ばれていました。

ロッキード麻雀などで一世を風靡!
彼のモノマネ芸で特に人気だったのが、田中角栄、大平正芳らの声を一人4役でこなす「ロッキード麻雀」や、渥美清を真似た「それを言っちゃ~オシマイよ」のセリフ。当時のモノマネ番組に欠かせぬ存在として人気を博していました。

順風満帆の芸人生活。一方、私生活では…
芸人として順風満帆の人生を歩んでいた佐々木つとむ。一方で、私生活ではギャンブル依存症として知られていました。ギャラをその日のうちにギャンブルで使い切ってしまうこともしばしばで、ポーカーで1000万円を超える借金も抱えていたと言われています。

妻子と別居。そして別の女性と同棲を始めるも…
上述の行き過ぎたギャンブル依存のためか、佐々木は1987年4月頃に妻子と別居。そして間もなく、別の女性と同棲を始めました。下着の輸入販売業をしていたというその女性は、高級車を乗り回すなど羽振りが良く、佐々木の借金の一部を肩代わりしていたそうなのですが、佐々木からの金銭の要求が徐々にエスカレート、関係は嫌悪になっていったと言われています。

1987年9月、惨劇が起こる!!
1987年9月4日、佐々木つとむと連絡を取れないことに不審に思った所属事務所の社長が、佐々木の自宅を訪ねたところ、血の海の中で毛布をかぶった佐々木の遺体を発見。その現場には、「あの世で二人でやり直そう」という女性のメモが残されていました。警察は速やかに女性を指名手配し、行方を捜索することに。

当時のワイドショーはこのセンセーショナルな事件を大きく報道。そして事件発覚から2日後の9月6日、青森で女性の水死体が発見され、本人と確認。加害女性の自殺という形で、この事件は幕を下ろすこととなりました。

当時の報道はこちら!
稲川淳二の怪談話の定番ネタに!
被害者、加害者ともに亡くなるという後味の悪い結果となった佐々木つとむ殺害事件ですが、実はこの事件は、稲川淳二の怪談話のネタの題材にもなっています。

気になる怪談の内容ですが、大川興業に所属していた「ピグモン勝田」という芸人が、事件現場となったマンションを格安な家賃で借りて住み始めたところ、心霊現象に悩まされた挙げ句、興行先で事故死したというもの。果たしてどこまで本当なんでしょう?ただの金銭トラブルではなく、男女の愛憎劇も背景にあると思われる事件だけに、心霊現象との関連が気になるところですね。
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