かぐや姫
1970年 - 南こうせつ、森進一郎、大島三平の3人で『南高節とかぐや姫』(第1期かぐや姫)としてデビュー。
1971年 - 高校の後輩だった伊勢とカレッジフォークグループ「シュリークス」を脱退したばかりの山田と共に『南こうせつとかぐや姫』(第2期かぐや姫)を結成。
1973年9月 - シングル「神田川」を発売。深夜放送のリスナーから支持を得て、シングルカットされたこの曲は、最終的に160万枚を売り上げる自己最大のヒット曲となる。
1975年4月12日 - 東京神田共立講堂で行われた解散コンサートを最後に1976年解散。
1975年8月2日~3日 -12時間のオールナイトコンサート「つま恋コンサート」を行い、 再結成。
(その後、2006年まで解散、再結成を繰り返す。)
2006年9月23日 - 吉田拓郎の呼びかけで再結成、静岡県掛川市で「吉田拓郎 & かぐや姫 Concert in つま恋 2006」を行う。
2013年 - 山田を除いた南と伊勢の二人で「ひめ風」としてコンサートを行う。
メンバー

南こうせつ(ボーカル・ギター) 1949年2月13日(70歳)現在、大分県杵築市在住。妻はエッセイストの南いくよ(南育代)。
伊勢正三(ボーカル・ギター) 1951年11月13日(67歳)2013年、南こうせつと新しいユニット「ひめ風」を結成。
山田パンダ(ボーカル・ベース)1945年5月13日(73歳)別名に山田つぐと。
旧メンバー
森進一郎
大島三平
シュガー・ベイブ(SUGAR BABE)
1972年発売の自主制作盤「ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY」の制作メンバーにより、1973年に結成されたインディーズ・バンド。
当時はまだ珍しかった、メジャー7thや分数コードなどのコード・プログレッションを多用するほか、コーラス・ワークに重点を置いた音作りで、他のバンドと比較して音の響きの美しさで群を抜いていた。
バンドの構造的宿命から1976年に解散したが、中心メンバーの山下達郎や大貫妙子らのその後の活動によって、シュガー・ベイブはシティ・ポップの嚆矢となり、1990年代以降のJ-POPの前史としても認知されるに至った。
メンバー
山下達郎(ボーカル・ギター・キーボード・コーラス) 1953年2月4日(66歳)音楽作りに対する拘りと独自の制作姿勢から「音の職人」とも称さる。(結成 – 1976年)
大貫妙子(ボーカル・キーボード・コーラス) 1953年11月28日(65歳)愛称は「ター坊」(結成 – 1976年)
村松邦男(ボーカル・ギター・コーラス)1952年3月17日(67歳)解散後はアレンジャーとしての活動を中心(結成 – 1976年)
寺尾次郎(ベース・コーラス)2018年6月6日、胃癌のため死去。(62歳没)(1975年 – 1976年)
上原裕(ドラムス) 1953年12月14日(65歳)2002年には伊藤とココナツ・バンクを再始動させた。(1975年 – 1976年)
旧メンバー
鰐川己久男(ベース・コーラス)
(結成 – 1975年)
野口明彦(ドラムス) 1953年3月6日(66歳)1998年 岩田浩史とドラムとギターだけのユニットBrush&Picks(ブラッシュ&ピックス 通称「ブラピ」)を結成。
(結成 – 1975年)
伊藤銀次(ギター) 1950年12月24日(68歳)1989年2月 - 1990年3月にはイカ天で審査員もつとめた。(1975年)
ちゃんちゃこ
京都府出身の2人。2人は中学生時代にバンドを組み音楽活動を開始する。
1974年12月20日、日本フォノグラム(後のマーキュリー・ミュージックエンタテインメント → 現在のユニバーサルミュージック)から『空飛ぶ鯨』をリリースしデビュー。
翌1975年には第17回日本レコード大賞編曲賞、新宿音楽祭銅賞、東京音楽祭新人賞を受賞。
1976年9月に6枚目のシングル『振り向いたメロディー』発売後に突然の解散。
2014年、結成40周年を記念し、全アルバムの初CD化・記念ライブの開催・40周年ページの開設が行われると発表された。
メンバー

きたかたよしろう本名:北方義朗、1955年11月2日(64歳)きたかたは東京でアマチュア・バンド「ちゃんちゃこカンパニー」を活動中。
松村忠佳(まつむら ただよし 1955年12月3日(64歳)地元・京都を中心に『Swing Tee's』というバンドで活躍している。
愛奴(あいど)
1968年4月に当時高校生だった山崎貴生・町支寛二・高橋信彦の3人により、愛奴の前身となる「グルックス」が結成されるが、それぞれの大学進学とともに一旦は解散する。
その後、東京の大学に通っていたメンバー達が再び集まり、1972年4月に広島時代からの旧友である青山徹と浜田省吾の2人が加わり「愛奴」が結成。
1975年5月1日、シングル「二人の夏」とアルバム『愛奴』でCBSソニーからレコード・デビュー。
1976年12月にバンドは解散。
各メンバーはそれぞれの道を歩んでいたが、1985年7月27日〜28日「ONE LAST NIGHT in つま恋」で一夜限りの再結成。
メンバー
青山徹(G,Vo)1990年代半ば頃に音楽業界から引退している。
町支寛二(G,Vo)現在に至るまで浜田省吾のソロ活動をサポートし続けている。
山崎貴生(Per,Key,Vo)現在は「劉哲志」名義でボイスファクトリーを主宰しながら、町支のソロ・コンサートにゲスト参加したりしている。
高橋信彦(B)現在は浜田の所属事務所「ロード&スカイ」の社長を務めている。
浜田省吾 (Dr,Per,Vo) 1952年12月29日(66歳)1976年4月21日にソロ・デビュー。
岡本あつお(Dr)解散後は本名の「岡本郭男」名義でスペクトラムに参加後、AB'Sを結成。ドラマーとして活動している。
ガロ(GARO)
1970年3人グループとしてデビュー。
全員が生ギターとボーカルを担当するのが基本的な編成。
ガロという名前は、当時ザ・タイガースのマネージャーで三人の世話役でもあった中井國二氏が自分の子供にと考えていた「我朗」から名付けられた。
1973年に「学生街の喫茶店」、「君の誕生日」、「ロマンス」と立て続けにヒットを飛ばし一世を風靡した。
1976年に解散。
メンバー

堀内護(MARK)2014年12月9日に胃がんのために死去。65歳没。
日高富明(TOMMY)1986年9月20日に茅場町のマンションから転落死。(36歳没)
大野真澄(VOCAL)1949年10月23日(69歳)現在は、大野のみがソロ活動中。
グレープ
1969年、当時高校2年生のときに共通の友人の紹介で知り合った2人が1972年11月3日、デュオバンドを結成する。
ただし、実情は「とりあえず」二人だけでやるという結成であった。コンサートの開催を考えコンサートの興業団体に掛け合うが、いずれの団体とも話はつかず、結局はファースト・コンサートを自主開催することとなった。
解散時期については、1976年3月とする資料と、4月に解散コンサートを長崎県で行ったとする資料がある。
1991年に一時的に再結成した時には、解散から年月が経ってしまったことを示す洒落心から、「レーズン」の名を用いた。最近ではさだのコンサートに吉田政美がゲストとして招かれ、しばしば二人で歌を披露している。
メンバー

さだまさし(ボーカル・ギター・ヴァイオリン) 1952年4月10日(66歳)近年では小説家としても活動している。
吉田政美(ギター)1952年9月29日(66歳)プロデューサー職を経て、現在は管理部門に勤務している。
最後に・・・

いかがだったでしょうか?
何故だか1977年に解散したグループがいないので、1977年はとんでいます。
機会があれば1975ねん~もまとめてみたいと思います。
1978年~1979年に解散してしまった!!日本のバンド・グループ・ユニット!! - Middle Edge(ミドルエッジ)