尾崎豊「ダンスホール」の題材となった“未解決事件”とは?
尾崎豊の初期の名曲「ダンスホール」。1982年に行われたCBSソニーのオーディションで初披露された楽曲で、1985年のセカンドアルバム「回帰線」に収録されています。また、尾崎が生前最後のステージで生涯最後に歌った楽曲としても有名です。尾崎の人生の節目に歌われてきた「ダンスホール」ですが、80年代前半に発生した“とある未解決事件”を題材にしているのを、皆さんご存知でしょうか?

デビュー前に録音された貴重な音源。
「ダンスホール」の題材となった「新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件」
皆さんは1982年に発生した「新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件」を覚えていますでしょうか。同年6月6日、歌舞伎町のディスコや喫茶店などで遊んでいた女子中学生2人が男に声をかけられ、内1人が殺害された強盗殺人事件です。

ナンパが強盗殺人に!
友人同士であった女子中学生は、男と飲食を共にした後、男の車に乗り千葉までドライブに出かけました。その後、女子中学生の一人が車内で居眠りをしてしまい、目を覚ましたところ友人が見当たりません。この状況を不審に思った彼女が車を降りると、突然男に首を絞められ失神してしまいました。そして次に目が覚めたときには、友人は首とアキレス腱を切られ殺害されていたのです。
事件により「サーファーディスコ」ブームが終焉へ。
この事件は、被害者が10代前半の中学生であったことから当時大きく報道され、ディスコが10代の若者の非行の温床になっているとして問題視されました。その結果、80年代前半のサーファーディスコブームは終焉を迎え、80年代後半のユーロビートブームへと変遷していきます。
事件は未解決のまま、時効を迎える。
犯人が被害者と行動を共にしていたことから犯人像は明確であり、歌舞伎町のディスコやゲームセンターなどに捜査員が派遣され大規模な捜査が行われたものの、犯人は特定できず。その後捜査は拡大され、犯行現場近くの暴走族なども捜査の対象になったのですが、それでも犯人逮捕には結びつきませんでした。結局この事件は、未解決のまま公訴時効を迎えました。
尾崎豊は「ダンスホール」にどんなメッセージを託したのか?
80年代の世相を反映した未解決事件となった「新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件」ですが、尾崎豊は「ダンスホール」でこの事件について何を伝えたかったのでしょうか。歌詞の一部を引用してみたいと思います。
尾崎は歌詞の中で、ダンスホールで踊る少女を「仔猫」と表現。また、飲酒・喫煙といった精一杯の背伸びをしながら夜の街を彷徨う少女の危うさを、その繊細な感性で描写しています。少女たちはダンスホールで踊ることで本当に幸せなのか?そんな彼女たちの日常の空虚さに、警鐘を鳴らしているようにも聞こえますね。
昭和の若者文化をけん引した「ダンスホール」
話は逸れますが、そもそも「ダンスホール」って何でしょうか?ダンスホールとは、その名の通りダンスを楽しむための場所・店のことであり、大正~昭和にかけての社交ダンスの流行とともに、全国各地で営業していました。

しかし、その後の社交ダンス人口の減少に伴いダンスホールは徐々に減少。1996年には映画「Shall we ダンス?」がヒットし、再びダンスホールに注目が集まったのですが、映画のロケ地となった大阪・梅田のダンスホール「ワールド」も現在は閉館に。2019年現在、ダンスホールは数えるほどしか営業していません。

既に過去の文化となってしまったダンスホールですが、なぜ尾崎豊は曲名を「ディスコ」「サーファーディスコ」などではなく「ダンスホール」としたのでしょうか?そのあたりも検証してみると面白いと思います!
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