決して地方からは生まれないだろうという音楽があります。現在であれば可能ですが、1979年であれば絶対に無理。そう、80年代に入り一世を風靡するテクノポップもそのひとつです。
YMOことイエロー・マジック・オーケストラが1979年9月25日に発売した「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」。それまでに耳にしたことがことがない、全く新しい音楽として多くの人に受け入れられました。
Yellow Magic Orchestra
ブレイクしたのは松山千春の「起承転結」より遅かったとはいえ、発売は2ヶ月早いんです。1979年ですよ。それでこのクオリティ。メンバー3人とも既に経験、実力ともに十分だったとはいえ凄すぎます。しかもまだYMOとしてはセカンド・アルバムなんですからねぇ。
シングルカットされたのは、「TECHNOPOLIS(テクノポリス)」と「RYDEEN(雷電/ライディーン)」。作曲者はそれぞれ坂本龍一、高橋ユキヒロですが、細野晴臣のプロデュースが光りまくっています。
ライディーン
そ、それにしても、このシングルのジャケットは!テクノポップのイメージでしょうか?どう捉えたらいいのか分からなかったのでしょう。混乱した感じがこのジャケットに現れているようです。
アルバムにはシングルにはなっていませんが、「BEHIND THE MASK (ビハインド・ザ・マスク) 」という、後にマイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンなどもカバーした名曲が収録されています。
Reflections
寺尾聰といえば、当時は役者のイメージが強かったのではないかと思います。なんと言っても石原軍団でしたからね。しかし、キャリアのはじまりは「この手のひらに愛を」の大ヒットで知られるザ・サベージのベーシスト。そうなんです。もともとミュージシャンなんです。
その寺尾聰が1981年4月5日に発売した初のソロ・アルバム「Reflections(リフレクションズ)」、それが驚異的なヒットとなる4枚目のミリオンセラーです。
寺尾聰
「大都会」や「西部警察」といった人気テレビ番組に出演していましたから既に認知度は高かった。とは言え、このアルバムは役者が片手間に音楽やってますといった感じではなく、きっちりプロデュースされ素晴らしい完成度を誇っています。
何より先行し大ヒットした「ルビーの指環」、「SHADOW CITY」。「出航 SASURAI」という3曲のシングルを収録しているところが高ポイントです。
とりわけ「ルビーの指環」ですね。
ルビーの指輪
松本隆による都会的な詩が女心を鷲掴みにしました。そして寺尾聰による曲。これがまた何とも覚えやすいものでした。ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」をなんとなく彷彿させるイントロは、一度聴いたら耳から離れません。
う~ん、これぞシティポップ。都会というか、東京、横浜方面の音楽というイメージですね。YMOとは全くタイプの違う音楽ですが、これもやはり当時としては東京からでないと生まれなかったと思います。
さぁ、この4枚。タイプはどれも違いますが、今聴き返してみてもその素晴らしさは不滅です。日本のポップスを確立したアルバムといっても良いでしょう。
以降CD時代へと突入し、ミリオンセラーとなるアルバムが多数出てくることになります。