「キヨ、もう出番はない」
「キヨ、残り試合は若手でいくから、もう出番はない」
そう堀内恒夫監督にいわれ、まだシーズン中だというのに清原はロッカールームの荷物をまとめた。
そして左膝半月板除去の手術を受けるためという名目で2軍降格。
この時点での成績は打率:.212、打点:52、ホームラン:30本だった。
2軍に落ちて間もなく、清原に知らない番号から電話があった。
「おう、わしや」
「はっ?
誰ですか?」
「わしや、わし。
仰木や」
これまで清原は仰木彬に挨拶はしたことはあったが、話をしたことはなかった。
「お前、オリックスバッファローズに来てくれんか?」
「ちょっと待ってくださいよ」
「いっぺん考えてみてくれや」
仰木は、その後もたびたび東京の清原を訪ねた。
「キヨ、わし東京に来たんや。
ちょっと会えるか?」
「キヨ、朝飯食ったか?」
「キヨ、昼飯食ったか?」
本人だけでなく大阪の岸和田の実家も訪ねた。
清原の両親が不在だったため、数時間、土産の虎屋の紙袋をもって立って帰宅を待った。
「息子さんを私に預けてください」
清原は直接会って断るために大阪へ行った。
「とにかく飲もう」
仰木は上機嫌でビールをすすめた。
「あの仰木さん」
「今回のお話なんですけど・・」
いつ誤りの言葉を出そうかうかがっている清原に
「うん?
そういえばこの前、奥さんに会ったわ。
噂以上にきれいな人やなあ」
「アレ、氷が切れそうや」
「悪い、ちょっとトイレ」
と巧みにかわした。
ことごとくタイミングを外された清原が、いよいよ意を決して身を固くすると、仰木は自分の座布団を外して手をついて頭を下げた。
「キヨ、頼む。
わしに力を貸してくれ」
「仰木さんの気持ちはありがたく持って帰らせていただきます」
清原も頭を下げた。
2005年8月29日、手術を翌日に控えた清原は、清武英利球団代表から呼び出された。
場所は、球団事務所ではなく都内ホテル。
しかも裏口から入って地下通路を通って部屋まで案内された。
部屋に入ると
「来季、君とは契約しないから。
で、なんかある?」
「いえ、結構です」
話しは1分で終わった。
清原は神宮外苑の並木道に車を停めて泣いた。
清原だけでなく、他球団で華々しい成績を上げた何人もの選手が破格の報酬で巨人に入った。
そして少しでも調子が落とすと、待っているのは大きなバッシングと球団の冷たい対応である。
巨人は野球少年の夢。
しかしその裏には冷酷な計算に支配された冷たい人たちがあった。
FA宣言したり、他球団から戦力外になったり選手に触手をのばす巨人。
悲劇が繰り返される。
10月1日、巨人は清原と契約を更新しないことを発表。
報道陣に配られたのはA4の紙1枚。
「自由契約とすることを決めました」
などと記したわずか2行の簡単なものだった。