清原和博  愛と笑いと涙の巨人時代

清原和博 愛と笑いと涙の巨人時代

ドラフト会議で裏切られたと感じた巨人への移籍。 合理的でクールな関東の最強球団を関西系の番長が盛り上げた。


あるとき清原は外国人選手が緑色の薬を飲んでいるのをみた。
それがグリーニーだった。
グリーニーは、疲れがとれ、集中力が高まるという興奮剤で、大リーグでは2006年から、プロ野球では2007年に禁止薬物に指定された。
清原が外国人選手に勧められ始めた頃は、まだ禁止されていなかった。
巨人には、松井秀喜、ロベルト・ペタジーニ、ドミンゴ・マルティネスなど超大型スラッガーがいて、清原はホームランの飛距離で負けたくなかった。

度重なるケガ

1999年、オープン戦で阪神タイガースの藪恵壹投手からデッドボールを受けて、左手甲を骨折。
清原は基本的に故意ではないデッドボールに怒ることはなかった。
投手が攻めた結果、デッドボールになった場合は、仕方ないと思っていたし、謝罪を受けても
「気にしないでいい」
と伝えた。
しかし1997年に藪にデッドボールを受けたときは、3本指を立てて
「3度目やぞ」
とマウンドへにじり寄り、1998年にも右手親指に受け、両軍選手が乱闘寸前のもみ合いとなった。
このときのデッドボールは5回目だが、結局、藪からはトータル6回当てられた。
このケガから復帰して間もなく、6月の広島戦でホームにスライディングしてキャッチャーと激突し右膝が反対に曲がった。
右膝側副靭帯断裂という重症を負い、このシーズンの出場試合数は86、打率2割3分6厘、本塁打数は13本とプロ入り以来初めて20本を切った。
2000年、キャンプ中に肉離れを起こし、プロ入り初めての2軍スタート。
渡邉恒雄オーナーは
「(清原が1軍にいないことで)勝利要因が増えたな」
と発言。
しかし7月7日、清原は代打で出場。
復帰初打席でスリーランホームランを放った。
その後も代打専門だったが、夏にはレギュラーに復帰。
「清原、がんばれ!」
何度も倒れても必ず立ち上がる清原に対しファンは声援を送った。

逆転サヨナラホームラン

「代打、清原」
長嶋茂雄監督が告げるとスタンドから割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
清原はピンチに強い。
ファンの期待や声援が大きければ大きいほど力を発揮しそれに応える。
ファンの声援が清原に力を与え、清原はそれに感謝した。
例えば、9回裏、2死満塁。
点差は3点。
他のバッターならいざ知らず、この場面で清原がすべきことは、満塁逆転サヨナラホームランか三振しかない。
そして絶体絶命のピンチを1本の大きなホームランが逆転させるのをみて観客は思う。
「人生捨てたもんじゃない!」
「あきらめたなアカン!」
実際、清原は、通算でサヨナラホームランを12本打った。
これはプロ野球1位の記録で、2位は野村克也の11本、王貞治は8本で4位、長嶋茂雄は7本で6位である。
そして2000年の日本シリーズは長嶋茂雄率いる巨人と王貞治監督の福岡ダイエーホークスのON対決となり、清原は7回目の日本一を味わった。
このシーズンは、75試合に出場し打率:.296、ホームラン:16本。
そしてモデルの木村亜希と結婚。
また禁煙に踏み切った。

番長

プロ野球において巨人は輝いている。
年俸も強さも特出している。
試合にもキャンプにも、多くのファンと報道陣がかけつける。
そして選手は街を歩けば声を掛けられる。
西武時代に普通に合コンしていた清原もそうはいかなくなった。
しかも巨人の選手は常に巨人らしさを求められる。
球団行事に出席するときは必ずジャケットにネクタイ。
茶髪やヒゲはダメ。
応援のボイコット騒ぎも巨人でなければ起こらなかったかもしれない。
そんな中で清原は、村田真一、元木大介、広澤克実など1軍選手の数名と「清原軍団」を形成。
練習中に背後からカンチョーを見舞い、「紳士たれ」な巨人軍の秩序を豪快に乱した。
そしてのびのびと野球をした。
清原は
「番長」
と呼ばれ、絶大、熱烈な人気を得た。

あかんかったらオレがいうたる

2001年7月18日の阪神戦で桑田は2ヵ月ぶりに先発した。
しかし阪神打線にめった打ちにされて、6回で降板させられた。
試合後、ホテルに帰ると清原は桑田の部屋を訪ねた。
桑田はユニフォーム姿のままベッドに座り込みうなだれていた。
(こいつやめる気やな)
「とりあえず着替えろよ」
「うん」
しかし桑田はなかなか着替えようとしない。
「お前、まさか変なこと考えてんちゃうか?」
「いやあ・・・」
「お前がやめるときはオレが打席に立つ。
それでお前の球があかんかったらオレがいうたる。
あんな阪神に打たれたくらいで結果を出すな。
そんな格好しとらんで、はよ風呂入れ」
翌年、桑田は復活し、4年ぶりの2桁勝利、15年ぶりの最優秀防御率のタイトルを獲った。
清原もこのシーズンは、巨人との5年契約の最終年で前年度までの成績から更新が危ぶまれていたが、開幕から大きなケガをすることなく打ち続けた。
特にチャンスに打ち、最後まで打点王を争った。
打率.298、29本塁打、121打点の好成績で年棒アップと4年契約を勝ち取った。

vs 松坂大輔

2002年は、故障のため出場試合は55試合だけだった。
しかし日本シリーズ第1戦で、松坂大輔から150mの特大ツーランホームランを、第3戦で、張誌家から同点ホームランを打った。
そしてチームは、4勝0敗のストレート勝ちで日本一に輝いた。

堀内恒夫監督

2003年、松井秀喜がヤンキースに移籍し、清原は原辰徳監督に指名され4番に復帰した。
それもシーズン後半にはやがてロベルト・ペタジーニに奪われ、5番になった。
結局114試合に出場し、打率.290、26本塁打。
10月には初めて内視鏡を膝に入れて半月板を除去する手術を受けた。
しかし心は折れていなかった。
「膝の故障を完全に治して4番の座を取り戻す」
巨人は3位に終わり、原辰徳は監督を辞任した。
そして2004年、巨人は、新監督に堀内恒夫が就任。
そしてタフィ・ローズと小久保裕紀を獲得。
清原、江藤智、ペタジーニと合わせて、かつて他球団で4番を打った打者を4人もそろえた「史上最強打線」を形成。
そして
チーム本塁打:259本
打点:719
長打率:.483
出塁率:.339
という成績を残した。
しかし投手陣は打たれ、チーム防御率はリーグ最下位。
3位でシーズンを終えた。
またこの年の3月4日、長嶋茂雄が脳梗塞で倒れ入院した。
清原も8月にデッドボールで右手の指を骨折し戦列を離れ、打率2割2分、打点27、ホームランは12本だった。
安打数23本中、12本がホームランという奇妙な成績だった。
かつて巨人軍のエースで、態度がデカくて口が悪く
「悪太郎」
と呼ばれた堀内は、清原とうまくいかなかった。
監督就任早々から報道陣に
「清原を『番長』と呼ぶな」
と訴えた。
しかし清原人気は一向に衰えず、各メディアも「番長」のニックネームを使い続けた。
2人の確執の発端は1998年、札幌円山球場でのことだった。
雨天下の練習で選手にランニングを命じたコーチ陣はベンチ裏で弁当を食べていた。
それを知った清原がコーチ室にどなり込み、当時ヘッドコーチだった堀内に文句をいった。
すると一緒にいた川相昌弘が堀内に殴られた。
堀内は監督になると清原を2軍からスタートさせ、清原軍団の解散を目指した。
しかしそうした試みは失敗し、清原との軋轢を深め、両者の関係は修復不可能なまでになってしまった。

悔しい思いをピアスに

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