※この提言コラムは2017年春から夏にかけてミドルエッジで連載した、作家・木原浩勝氏の大阪万博応援コラムを一本にまとめたものです※
~序章(プロローグ)~
読者の皆様はじめまして、ミドルエッジライターの木原浩勝です。
2017年1月27日、私はミドルエッジ代表の松ちゃんと、ライターのマツド・デラックスと渋谷の喫茶店で会っていました。それは予てより、私が1970年大阪万博の熱狂と興奮をどこかで書き綴りたいと思いしたためていた草稿を披露した打ち合わせでした。
そして今回、2017年4月19日の打ち合わせ時点で2025年の大阪万博構想がさっぱり現実味を帯びていないことに心配した私と、ミドルエッジ代表の松ちゃんと、ライターのマツド・デラックスの三人は下北沢のカラオケ店で「万博好きやん(scan)研究所」を開設してみました。
なぜかって?それは、私がかつての大阪万博1970の盛り上がり……あの日本国民のお祭りとも言うべき熱狂や底力を直接目の当たりにした人間の一人だからです。
実は当時、父の会社が“富士グループパビリオン”の系列会社だったためにパビリオンの建設が他人事でなかったことが幸いして、山を切り開き土地を造り、会場が建設されていく大阪万博1970の様子をその時々に見てはワクワクする気持ちが長く続いていたのを憶えています。
そこはまさに現代なら自然環境破壊と言われかねない大工事が“21世紀の未来を創っている”現場だったのです。一緒になって遠目から見ていた人々も皆口々に「は~!これが21世紀が始まるっちゅうことかいな~……」と話していました。
やがて時は流れ、いまやその21世紀!しかも四半世紀を終えて場所も大阪で再び!……だというのになんでしょうこの静けさは!?そりゃその手前の2020年に東京オリンピックを控えているのだから仕方ないのかもしれません。
ですが開催地決定は2018年……なんと来年の11月なのです!それも相手は第1回目を開催したパリだというではありませんか?
つまり下手をすればオリンピックが始まる2年も前に万博はすでにパリに決まってしまうかもしれないのです。
そうなれば日本は2025年のパリ万博に建設されるであろう“日本館”をどうするのか?って心配をするだだけとなるのです。
大丈夫か?大阪万博!?熱意が足りない。足りなすぎる気がするぞ!
だから私は考えた!松ちゃん、マツド・デラックスとともに先ずは馬鹿げた熱を発生させるためにミドルエッジのコラムで「万博好きやん(scan)研究所」を開設し、そこから2025年大阪国際万国博覧会開催を応援してみよう!と。
それには47年前の大阪万博1970について、精緻な数値データを基に様々な側面から当時の雰囲気を再現して読者の皆様と分かち合い、あの当時の熱意と底力を奮い起こしてみてはどうだ!と考えた。
……が!遠い過去に遡るより前に先ずは近づく未来。迫りくる現実に目を向けよう!と思い第一章に2025年に開催が叫ばれている大阪万博2025がいったいどのような姿となるべきかを大胆に(勝手に!)予想してみたいと思ったのであります。
だっていきなり過去の大阪万博1970の話から始めたのでは“何のために?”という目標がはっきりしなくて応援がしにくいんだもん。
とはいえ2025年に開催されるかどうかも不明な「大阪万博2025」を、2020年の東京オリンピックが開かれる3年前の現在(2017年)から考えるのだから、笑い話し的に読んでいただきたい……。いや、あえていえばその前提だからこそ好き勝手な予想をしたい。
~第一章~
「そもそも」
私たちの世代、万博といえば1970年の大阪か1985年の筑波。若い人にとっては2005年の愛知、いずれも30年以上も前と12年前に開催されたものだが、どれも年代によって異なる夢(のようなもの)が詰まった博覧会だった。
なかでも万博といえば大阪。今から47年も前に開催されたこの博覧会は、開催地が大阪でありながら「日本万国博覧会」の名を冠されたアジアで初の国際博覧会である。
半年間の開催期間中に6,000万人以上、実に国民2人に1人以上が訪れた計算だったこの博覧会の規模と熱狂。
そして実現に至るまでの膨大な企画と計算、さらにはそれを支えた熱意と底力がこの日本にあった……。繰り返すように書いていると承知している。だがそれは現在を支える若い人たちの理解を超えているかもしれないほどのことだったからなのだ。
第一章より先のコラムは、1年間にわたり1970年の大阪万博を徹底的に(下らない視点で)読み解いて、2020年東京オリンピック閉幕後に大きく話題となるであろう(ただし2018年11月に大阪での万博開催が決定したらの話。この原稿の段階で日本側のヤル気はさっぱり不明)2025年の大阪万博に向けて、少しでも現実的に考えていただく役に立ちたいと、私たち「万博好きやん(scan)研究所」は考えている。
まっ、とりあえずは第一章として「万博好きやん(scan)研究所」が2017年時点で「2025年大阪万博の様々な姿」について、予想していきたいと思う。
もちろんここから先、私たちは2025年に大阪万博が開催される前提で話を進めるが、2025年の万博開催地がパリに決まったとしても「万博好きやん(scan)研究所」は何らの責を負わないものとしていただきたい。それは念を押したくなるくらい、2025年の大阪万博開催が危ういからだ。
いかに日本が熱望しようとオールジャパンの一枚岩で立ち向かったとしても、開催地の競争相手がパリではいくらなんでも分が悪い。絶望的に……といっても過言ではない。
なんといってもパリは1947年を最後に70年間も開催されていない上に、日本は2005年に愛知万博をやったところなのだから……。
「わかってる!?日本!!」と思いながら、とにかく二人の協力を得て、プロローグと参りましょう。
2025年大阪万博、その開催意義は……?
1964年東京オリンピック→6年後に1970年日本万国博覧会(大阪万博)
2020年東京オリンピック→5年後に2025年大阪万博?
東のオリンピック開催後に西の万博……こんな巨大な計画が二度も企画されるなんて偶然なわけはない。きっと今度の万博の計画には他に「何か」あるはず……。が、とりあえずここでは2025年大阪万博の開催意義を考える。
東京オリンピックは日本オリンピックではない、東京だ!……って、それはどこの国の都市で開かれようが例外なく当然の話なのだが、いずれにせよ東京に大きな経済効果が集中するはず……。では大阪(西日本)の経済の活性化はどうするのか?
おそらく単純な話で、東京オリンピック後に想定される日本の経済停滞に大阪万博2025をカンフル剤とする……というものではないだろうか?
そして大阪万博2025の跡地やインフラをなるべく再利用してカジノ構想へとつなげて更なる経済効果の安定化を図る……といった「何か」だ。
少なくとも1964~1970年の日本の立場や状況、台所事情と現在は大きく異なると考えるべきなのだろう。
ところで万博が本当にカンフル剤となったのか?
一例として、1970年当時の大阪で寿司店をやっていた友人の父親を挙げてみたい。
当時、友人の家は大阪市内の端っこで一件の小さな寿司店を開いていた。
オリンピック開催時はそうでもなかったのに、大阪万博開催が近づくにつれてお客は急増。
開催されてからはもう大爆発状態。やがてその店は押し寄せるお客をさばき切れず支店を次々と作り、大阪万博の閉幕時にはなんと7店舗にまで急拡大を遂げていた。
ところが、大阪万博終了と同時にお客は潮が引くかのように一気に減り、2年もせずに全店閉店に追い込まれて一家は離散となったのである。
それまで真面目に寿司を握っていたオヤジさんは店など人任せにしてしまい、(あまりにも短期間で、しかも何をやっても儲かったのだ……)万博の宴の最中に遊び人になってしまい、アルコール依存症となり寿司も握れなくなっていたのだ。
その結末はさておき、1970年に開催される前から急激に伸び始めて大阪万博の半年間にピークを迎えた経済効果は、小さな寿司店にさえそれほどのインパクトを与えたのだ。
それはデザイン事務所から広告関係、街の商店に至るまで……。
もちろん効果は一時的でない方がいいに決まっている。
だとすれば短期の東のオリンピック、半年間の西の万博。そこから長期的に日本初のカジノのアンテナショップ的オープンという連続する構想が立ち上がるのも無理はない。
そして出来るだけ大きく長く続く消費と生産。さらには流通による経済的活性化、来日外国人からの外貨獲得。
これがオリンピック閉幕後に訪れるであろう不景気、さらに進んでいるであろう少子化と確実に進む高齢化で税金の問題を抱えた日本の対策……いや開催意義ではないだろうか?とにかく1970年とは少々意味が違うのは明らかだといえる。
ちょっと外貨獲得の可能性を見てみよう
1970年の日本人口は1億466万5千人。1970年の万博開催期間3月15日~9月13日(183日間)に会場を訪れた人々は延べ6,421万8,770人。内、外国人は約170万人。(この時代はまだ成田空港が開港していないにも関わらず)
この年、日本は海外への出国日本人数よりも訪日外国人数が上回った
ところが1970年以降、訪日外国人数が出国日本人数を上回ったのは実に45年後の2015年、ついこの間なのである。
「最近、外国の人をよく見かけるようになったね」などといっても……
1970年より本当に凄くなったのはたったの2年前だったのだ。
この効果を考えて現在の大阪市近圏を見れば空港が関西・伊丹・神戸と三つも集中しているのだから海外からの玄関口としては申し分ない。国際と名の付く博覧会は是が非でも日本で、大阪で開催していただきたい。(こりゃ大阪万博とカジノ構想がセットになるわけだ)
ここまで何度”大阪”と書いてきたか分からないが、経済的活性化は何も大阪に限った事ではない。
隣接する兵庫県・京都府・奈良県・和歌山県にとっては直接的な大問題なのだ
えっ?それってどれくらい大きい問題なのですか?……
ここでもう一つ、大阪万博1970の開催地となった大阪府吹田市の当時の人口を例にして、万博がいかに大きなイベントであったかを感じていただきたい。
1960年代に千里ニュータウン開発と、それに伴う大阪市内からの鉄道網の整備で人口が急増した吹田市。吹田市ホームページによると、1960年に116,765人だった人口が1970年には259,619人となっている。(10年間で人口が142,854人増……、たった10年間で倍以上の人口増加ってだけでも凄い)
一方、大阪万博1970の一日当たり平均来場者数はおよそ350,922人。ただでさえ人口急増で活況を呈していたであろう吹田市に、毎日その総人口の1.35倍に当たる人々が“万博来場者”として半年間、訪れ続けていたのだ。
例えるなら大阪市のベッドタウン吹田市に、毎日毎日「甲子園球場を7.4回埋め尽くす」人波が押し寄せていたということだ
しかもその内、外国人来場者が一日当たり約9,300人。
いいですか?吹田市が10年かけて増やした総人口の倍以上の人数が、たったの一日に来場したんです。
それも183日間!
更に言うならば吹田市の面積36.09㎢に対して、大阪万博1970の会場面積は3.3㎢。つまり市全体のわずか9.1%に当たる土地に、市の総人口の1.35倍に当たる人々が訪れていた半年間。
……このおそるべきとも言える活況、想像出来ますか?
万博来場者はもちろん大阪と大阪万博だけを楽しんだ訳ではないでしょう。近隣で食事もすれば宿泊もしたでしょうし、万博以外の観光やショッピングも楽しんだはず。更には万博の準備期間に近隣圏で働いた人々の数をも加えて考えたら、それはやはり隣接地域に莫大な経済効果をもたらしたであろうことが容易に想像出来るのです。
どうです?大きな問題なんですよ!大阪万博2025!!
もちろんこの数字が47年も前のモノだとは分かっている。
しかし、たとえ来場者数がこの半分であったとしてもオリンピックをはるかに凌ぐ数字なのだ。
当研究所所員一同(3人)は8年後の大阪に再びこんな活況が生まれたら……と、皆さんと共に考えてワクワクしたいのです!
開催地がパリになったら一体どうなるのやら……
さて、次回のコラムでは大阪万博2025を「テーマ」から考えてみましょう!
万博が掲げるテーマ、そこから読み取れる危惧
1970年の大阪万博のテーマは「人類の進歩と調和」
2025年の大阪万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」
見ての通り1970年には「人類」が、2025年には「社会」がテーマに刻まれている。
1970年のテーマに「人間」ではなく「人類」という大ゲサとも思える言葉がサラッと使われている点は、1957年にソ連が(当時はソビエト社会主義共和国連邦って国があったのですよ。現ロシアと書くのはカンタンですが)打ち上げに成功した人工衛星スプートニク1号から始まり、アメリカ合衆国のアポロ計画成功あたりまでの報道が無関係ではない。
加熱する宇宙開発の報道に「人類」という文言の使用は不可欠であったからだ。
おそらくそれを実感したピークは1969年に人類が初の月面着陸を実現した時だろう。
当時の様々なニュース媒体に「人類初」が喧伝されていたために「人類」という言葉は今よりずっと身近なモノであり、未来を示す言葉でもあったのだ。
さて2025年。こちらは「社会」だそうだ。これは万国博覧会らしい言葉なのだろうか?
2025年は、(というよりも2017年時点においても)地球という惑星を一つとして認識することが出来ても、もはや「人類」を一括りでは考えにくい時代なのかもしれない。
世界の国々、民族の誰もが個人レベルで世界中に自らの考えや主張の受発信を自在に行えるようになった現代。
そんな時代にもはや「人類」的な意味は一つに括れず、むしろ「地球」に対しての何らかのテーマに置き換えた方がふさわしいような気がする。もっとも単純に「地球」で括ったら万博でなく環境博になってしまうような気もする……。
まあ……それで2025万博のテーマが人類を取り巻く「社会」になったのかもしれない……「社会」と「万博」……。
どうもしっくりとなじまない。
そもそも今の、いや未来における万国を博覧する「万国博覧会」とはなんだろう?
大雑把に言うと「博覧会」の博覧とは、何らかのテーマに沿って物品や資料を集めて展示・陳列して見せる催しのことだ。
この点だけを考えると、1970年の日本には冠に国際と付けて開催できるほど巨大な展示会場など無かったのだから、新しい会場まで造って博覧会を開くことに大きな意味を見出しやすかったわけだ。
現在なら同じ役割りをこなす幕張メッセやビッグサイト(国際展示場)があるっちゃある。
だから単に万国博覧会と名の付いた“巨大な展示会が無いだけ”と言ってもいいような気がする。
現在の視点で考えても陳列せずに単に知るだけならインターネットで出来るし、見るだけならGoogle Earthで世界の隅々まで見ることが出来るのに、私たちは一体何を博覧するのだろうか?
ほんの少し前なら軍事衛星でしか見ることが出来なかった画像を、個人個人が掌で見ることが可能だなんて誰が想像したであろうか!?
そう、現代はすでに一種の未来そのものなのだ!
見たいものはすぐに、どこからでも掌で見ることが出来る、伝えることが出来るインターネットによって広がった世界。
だとしたら今、見ることの出来ないモノや世界とは何だろう?
おそらくそれを「社会」を通して見せてくれるのが大阪万博2025。
しかし、やはり万博で見せてもらえる「社会」ってなんだろうと思います……。「社会」って具体的には分かりにくい。
一方で2025年の大阪万博が掲げる「未来社会をデザインする」という“未来”とはなんでしょうか?
「万博好きやん(scan)研究所」としては8年後に描かれる(予定の)未来は「果たして大丈夫か?」と2025年の万博に向けて予想したい。そりゃもう開催される8年後だって随分と未来なのに、そこでは更なる未来を見せてくれるっていうのだから心配にもなるってもんです。しかしどうなるのか分からない心配ばかりするくらいなら、勝手にこちらで未来を予想くらいしてみてもバチは当たらないだろう。先ずは……
「未来は誰のための未来?」「その未来に期待するのは誰?」
おそらくここが大阪万博2025の手掛かりになりそうな気がする。(だって万博における「社会」ってよくわからないんだもん)
なぜそんな“万博のテーマ”が引っかかるのか?その話の前にちょっとここで“人口”から考えてみよう。
未来はよく分からなくても、人口はその推移によってある程度正確に捉えることが出来るからだ。
【1970年】
日本国人口:1億466万5千人
65歳以上:731万人(7.0%)
【2025年(予測)】
日本国人口:1億2,065万9千人
65歳以上:3,657万3千人(30.3%) 総務庁統計局「国勢調査」および「推計人口」より
数値の比較では1970~2025年の55年間で日本の総人口はおよそ1,600万人増えてはいるものの、65歳以上人口が731万人からおよそ3,000万人近くも増加するらしい。
これは人口対比にして実に4.3倍。
いうならば、8年後の2025年の国民のおよそ3人に1人が高齢者という社会がやってくるということなのだ。(もはや65歳を高齢者とは呼べない時代かもしれない)
万博のテーマが引っかかる要因がここにある。
2025年の万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」!!
未来にも日本という国はもちろん残っているし、その後も在り続けるだろう。
だがしかし、いささか暴論かもしれないが「日本人」は沈没しようとしている時代の幕開けなのではないだろうか?
では、出生率が低下の一途を辿って行く国の開催する万博とは、いったい誰のモノなのだろうか?
ここでもう一度書いておく。
「いのち輝く」は子供や若者のためにありそうな言葉だが、その若者たちには3人に1人の高齢者を支える未来社会しか待っていない現実がある。
誤解を恐れずいえば、
8年後の万博が描くその先の未来社会とは、さらに増加する高齢者にとっての社会としか思えないのである。
ならば我々「万博好きやん(scan)研究所」は、2025年の大阪万博が掲げるテーマ「未来社会」を表現する「万博会場」とはどんな会場になるのか?その予想に目を向けざるを得ないだろう。
「2025年にデザインされる未来社会」の前に、2017年の視点で予想する「2025年」の形……。
うわっ!今回はえらく短い!?
いえいえ違います。この第2回目は読んでいる皆さんに考えていただきたい回だったのです。
万博の明るく、楽しいイメージが、メインテーマをほんの少し現実的にとらえただけでこんなにも“重く”感じる万博なのだと理解していただいた方がこの先ずっとわかりやすくなるはず……と考えてのことです。
さて、次回の第3回目は、万博2025の空想風景……つまりどんな会場になるのか?ってお話しです。
大阪万博2025の空想全景
2017年4月19日の現時点で「2025年国際博覧会検討会」(こちらは本物)は、来場者数2,800万人から3,000万人を見込んでいる2025年の大阪万博。
この数字は1970年の大阪万博の半数に当たる。
65歳以上人口が30%を上回る時代に、よもや1970年のように若い人々の来場を中心に据えた会場計画である訳はないだろう。
3,000万人の30%なら計算上900万人の来場者が65歳以上だ。よく考えていただきたい。場所は“夢州”と呼ばれる海上に浮かぶ人工島だ。陽射しは強く、塩を含んだ強い海風が吹く。(雨の日だってあるわけだし)しかも出来るだけ長時間楽しんでいただきたい。これに会場が応える設計デザインが成されていなければ、その場かあるいはその後万博がきっかけとなって健康を害してしまう可能性は若者だって極めて高い……と我々は思うのだ。
万博だけをひらすら楽しんでいただきたい。
ならば当然のように全パビリオンは移動性や安全性の面から考えて、バリアフリーになっているのは当たり前。
いや、それ以上の工夫を凝らして高齢者にやさしく、行きやすく、見やすく、過ごしやすく、疲れにくい会場である構想が前提でなければならないのだ!
決してバリアフリーを軽く甘く考えていただきたくない。
大ゲサだと思うなら一度車イスを使う立場で周囲をよく見回して欲しい。驚くほどバリアフリーになどなってはいないのだ。もしバリアフリー案が採用されていない万博に出掛けた場合の介護をされるみなさんの負担を考えるとゾッとする。
それほど会場は広く建物は多いのだ。3人に1人が65歳以上だと分かっているのに会場のあちこちで設計的な不親切や、使い勝手の悪さが目立ったら大変なことが発信されると想定していただきたい。
インターネットが普及しきった後の万博とあれば風評こそ鍵。
何を発信されるのか想像すらつかない8年後の世の中のはずだ。少しでもマイナスに捉えられないためにも、これでもか!というくらい高齢者対応の観点を会場全体の建築コンセプトの基本中の基本とすべきであろう。
だからこそ移動一つ取ったって甘く見てはいけない。
それを裏付けている……かもしれないデータを書いておく。
通商産業省が発行した『日本万国博覧会政府出典報告』に”日本館の反響調査”が記載されていて、その中に日本館に来場した日本人1,000人に対して行われた年齢別の調査結果がある。
これによると10代は18.5%、20代は22.4%、30代は23.1%、40代は7.4%、50代以上は4.3%となっていた。
娯楽が今ほど手軽で多くもない時代、おそらく足腰が弱っているとは思えない40代、50代以上のこの落ち込んだ来場者数は一体何を意味するのであろうか?
日本で開催された万博の”日本館の数字”であるのだから、迂闊に見過ごしてはいけないデータであると思う。
ここで可能性の一つとして考えられるのが「人混み」である。
どこもかしこも人、人、人……自由に動けない、好きな場所に辿り着けない……この窮屈、閉塞ともいえる会場環境がこの数字の落ち込みに表れているのではないだろうか?
これは一種の”ままならない移動”と同質であると思える。
65歳以上が30%を超えるであろうと予想される大阪万博2025でこの”同質”がひとたび発生すれば……そう、移動しにくい、不便だ、動けなかった……などと声が上がれば、その風評は瞬く間にネットを駆け巡り、到底目標の来場者数を満たすことは難しいであろうと考えられるのだ。
この前提を踏まえて、「万博好きやん(scan)研究所」は2025年の大阪万博全景を「地上」「地下・上空」の観点から予想してみたいと思う。(勝手に)
「万博好きやん(scan)研究所」が考える、大阪万博2025会場-地上編-
1、全てのパビリオンはバリアフリーで、高低差による問題を無くしていただきたい
2、パビリオンは全て杖や車イスの来場者の安全はもちろん、素早い緊急対応が出来ることが望ましい
これらは65歳以上が7.0%だった1970年の大阪万博ではおそらく優先事項にならなかった観点。
1970年は「未来を感じる」的に動く歩道がありはしたものの、(故障多し)2025年には来場客の年齢層や車イス利用の観点で広めの通路はもちろん「動く歩道」いや、車イス対応の移動ベルト、リフター、エスカレーター、大型エレベーター、補助動力付きスロープが必須となる可能性が高い。
高低差移動は高齢者にとって大敵なのだ。もちろんそれは世界各国から来て下さる方々の目に映る日本の高齢者はもちろん障害者への対応意識に繋がるのだから、とっても重要なのである。
つまりは場内の至る所に高齢者対応の標準設計思想がはっきりと反映されていなければならないということだ。
確保すべき予算は1970年に比して高まることは間違いない。
ただし、私たちは65歳以上の多数の来場者の皆さんが車イスや杖を必要としていると考えているのではない。
2025年の日本は、この先さらに増える高年齢の方々が暮らしやすい未来型都市のデザインを分かっている国なのだ。
というアピールを海外に向けて発信しておきたいからだ。
他の国だって時間の問題で、やがてはやってくる世界なのだから「高齢者ケアの先進国」の未来をここで見て、感じていただきたいのだ。
次にメインとなる「パビリオン」。
従来の万博では、来場者が会場内のパビリオンを自由に見て回ったのは当り前の話。
しかしながら、高齢者の増加を加味して導線の確保を考えると、1970年のような広大な会場内にユニークなパビリオンが林立する光景はあるにしても、来場者を一旦最上部にエスカレーター、エレベーター、リフターで運んでしまい、スロープやエスカレーターを使って降りながら見て回る想定が効率的かもしれない。
降りながら見終わったら出口というわけだ。もちろんそれは介護する方への負担を少しでも減らすことに繋がるはずだし入場者の通行もスムーズとなる。
しかし、会場全体の共有部分や日本関連のパビリオンだけが対応しても意味がない。
海外の全パビリオンがこれに倣っていただかなくては、来場者の行く先が片寄ってしまうからだ。(例えば車イスの方は車イスに優しいパビリオンに集中する)
車イスのお客様が単に設備だけの理由で国内パビリオンの博覧で1日が終わったら“万国”の名が泣くってもんです。
とはいえ来たるべき2025年の日本が高齢者大国になっているとは知らない海外の国々が、いざパビリオンの建設を考えた途端、その費用は、想定を軽く上回るはずだと予想する。
重要事項であるが故に、そのケアをしっかりやって開催地決定会議の際には不利ととられないようにプレゼンしていただきたい。
さて1970年は山を切り開いた会場内をフル活用して、様々な導線で来場者を楽しませてくれた大阪万博。
それに対して2025年は「上に上げて、下に誘導する」発想で多くのパビリオンが設計される可能性を現実的に考えて「超安く」仕上げるとすれば、“巨大な総合ビルディング形式”を採用して国別のフロアを設置し、各階(各国)を観覧して回る万博というのも悪くはないかもしれない。
現実的に考えれば「万国博覧会インテリジェントビル」のなかに各階各国が出展する形の万博もそんなにバカバカしい姿ではないのだ。
当然パビリオンは万博の華なのだから全てにおいて望んでいるわけではない。ただ単に合同的なパビリオンは(小さな国など)1970年にもあったのだから案として初めてというわけではない。
しかし!我々だってわかっている!魅力的な万博は様々な形のパビリオンが林立しているべきなのだ!
誰だってパビリオンの少ない万博ってどうなんだ?と言うに決まっている。
あくまでも開催地・日本の人口に対する年齢的背景という事情があるのだから“案として有り”としておきたいのだ。
万国博覧会である以上、当然多くの諸外国に参加していただいて初めて成立する。それが独立したパビリオンであるなら、その設計思想に組み込むべき高齢者対応を、日本が諸外国にお願いして回って、了解してもらうのはかなり大変なことではある。
さらに、出来ることなら予算の少ない小さな国にも数多く参加していただいて、史上最大の参加国万博までを視野に入れていただきたいので、いかに大変であっても参加体制を整えて「世界初の人類社会の未来型万博」を実現させるというのもまた一つの型であると思うのだ。(日本のテーマがテーマなんだし)
会場全ての構成において65歳以上の来場者を想定し、高齢者対応という通常以上の予算をかけて設計しなくてはならないパビリオン。そもそも国民の1/3が65歳以上の国の万博に出展したいと思う国がどれ程あるのかがわからないだけに心配でならない。
それでも来たるべき日本を理解した上でなんとか各国に出展していただきたい!
各国共、未来型高齢者・障害者対応設計・建築のまたとないデモンストレーションになるんですから……。
だとすれば、万博開催決定会議を成功させる上ではこんなプレゼンテーションも想定されるかもしれない。
「会場のパビリオンは貴国のデザインに合わせて日本が基本設計の対応をいたしますから出展していただけませんか?」と。
とにかく、大阪人(関西人)のツッコミはキビシイ。「こんなパビリオンの少ない万博は万博ちゃうで!」などと言われては大変なので多種多様なパビリオンの出展が理想的であることは念を押しておきたい。(あくまで開催地として大阪に決まれば)
次回、第4回目は「映像なんかじゃ驚かない!」予想はさらにややこしくなるよーに続く。
「映像なんかじゃ驚かない!」
民族、風俗、習慣、環境、宗教、食事、観光・・・・・・。
いくらインターネットが普及したとしても、体感しなければわからない・伝わらないものの方が多い。
おそらく2025年は見て回る展示物型式主体から、ほとんどがVR(ヴァーチャルリアリティ)を中心とした体感主体や実物可動主体型の展示へと移行しているはずだ。
2017年の現在だって、単に映像ならプロジェクションマッピングであろうと16Kモニターを使っていかに美しかろうと、リアルであろうとデカかろうと、立体だろうとVRだろうとさほど驚かない時代なんです。
単に経験が無いだけでその存在や基本概念は知られているのだから驚きが小さいといった方がいいのかもしれないが、とにかくバーチャルはバーチャルだ。
2025年の万博は「展示物を見る」・「バーチャルという仮想体験」だけではおよそ長期間は成り立たず、会場や各パビリオンで「本物を体感してもらう」「来場した証を手に入れる」ことこそが、来場者の満足度を高めることに繋がるのだろうと予想する。(一例として70年にも“来場スタンプ”なるものがありました。おそらく日本初の広域スタンプラリーでしょう。私は集めるのに必死になった経験あり)
【来場スタンプとは】
そもそも来場スタンプは大阪万博1970会場内のパビリオンをはじめ随所に来場記念用として設置され自由に押せたものでした。その数実に92個!
会場は甲子園球場の約83個分の広さがありましたから、1甲子園球場に対して1.11スタンプ……およそ1個のスタンプということになります。
会場移動にモノレールや動く歩道もありましたが、その場所が外周部や中央の一部だったのでスタンプ集めにはほぼ役に立たず、ひたすら徒歩で集めなければならなかったものです。スタンプは概ね辿り着いたパビリオンに入場して出口手前で押すことになっていましたから、そのハードルの高さ故にこれまで存在は広く知られていたもののフルコンプリートの紹介はおろか、長い間総数さえよくわからない……などと言われ続けてきました。
まったくの来場者用記念スタンプとしての役割だけで一応作ったけど、「その先は集めたい人だけで考えてね!」的な大阪万博1970のスタンプは、まさに日本のスタンプラリーの元祖にして最大規模であったといえるのではないでしょうか?
「来場者に本当の体感を!」
それは食を味わったり、民族衣装に袖を通すことであったり、1970年では「お祭り広場」でやっていた民族舞踊やパビリオン前外でやっていた楽団演奏など色々ありましたが、さらなる民俗行事の疑似体験。
さらに通関さえ通せるのならその国の土を踏んだり持ち込んだ空気で風を感じたりすることだ……。
いかがだろうか?基本的に「展示」しか出来なかった1970年とたいして変わらないと言われればそれまでだ。
でも様々なモノが大量空輸しやすく、空港が3つもあるのだから1970年とは規模が違うのだ!アイデアがゼロベースの現在なのだから、全く何も分からない2025年なのだから、世界の社会観をちゃんと見て感じてとらえたいではないか。
もちろんパビリオンの建物そのものに求められる個性を軽んじているわけではない。しかし博覧以上に、その国を体感したいではないか!インターネットでは味わえないのだから。
「外観で国は分からないが館内で国を感じる!」2025年の万博の形が見えてこないだろうか
そして、日本ではいまや一つの産業となったキャラクター・コラボレーションのグッズや持ち帰れるノベルティなど、体感型パビリオンには「手に出来るモノ」を多数用意すればこそ来場者を望めるのではないだろうか?幸い8年後、2025年の日本のお客様はこのサービスがよくわかっている方でいっぱいなのだから。(もちろんそれは莫大な量になるとは思うがそう簡単に集めることが出来るモノでも困るし、何よりデザイナー広告、生産、印刷……様々な業界が売り上げを望めるのだ)
加えて、パビリオンでは各国自慢の美味しい食材(食材が重なるとは思いますが)で作られた、それぞれ異なる味覚を楽しませてくれる料理に(店は小さくても)舌鼓を打ち、気に入れば(その場で食べられなくても)メニューからその場でネット注文。翌日には自宅へデリバリー。
美しい民族衣装に袖を通し、気に入った服をその場でネット注文。翌日には自宅へデリバリー。
心ときめく民俗行事を疑似体験したなら、その国への旅行をネット予約。後日改めてその国を旅行訪問……、いわば体験型旅行パンフレットだ。1970年代に比べて海外はずっと近いのだからあとは「行きたい!」と思うきっかけを用意するだけだと思うのだがいかがだろう?
おそらくパビリオンが提供するプレゼンテーション、デモンストレーションの質が異なっているはずの2025年。
これが全てだと言いたいわけではないが、「パビリオンの中に売店があるのか」「売店そのものがパビリオンなのか」、そんな万国博覧グッズ展示会という巨大ショッピングモールに、文化・風俗・伝統・習慣をミックスするかのような絵姿は欲しい。
なぜ?って
「日本の万博に来ていただければ、次は日本があなたの国に出掛けて行きます!」
につながるからだ。
大阪万博1970の来場者数は延べ6,000万人(国民のおよそ2人に1人)と書いた。それは莫大なリピーターによって成立する数だ。
現在でも幕張メッセやビッグサイトでもやれるような展示や“大きな見本市”くらいではリピーターを望むことはおろか、
半年にも及ぶ開催期間をどう持たせるかさえ問題
だからこその苦肉の策ともいえるのが前述の話。
そう、やることが仮に同じなら、もっと高いクオリティともっともっと巨大な、複雑で雑多な見本市にするのだって有りだと思う。
どんなにその場で珍しくともその場で撮影されて、その場で世界発信されるのだからこそ、いささか古典的ともいえる考えをモーレツ的に大規模に展開し、しかも品を次々と替えて乗り越えたいのだ。
ただし現在のアメリカを参考とするなら、ショッピングモール型式(集中型小売店と呼ぶべきか)はやがてピンチに立たされている可能性が高い。しかし、8年後の2025年の日本ならギリギリまだ大丈夫ではないか?……と付け加えておきたい。
諸外国誘致のセールストークはズバリこれだ。
「是非出展して貴国を持ってきて下さい!さらに貴国の有力企業にとっては世界にアピールできる絶好のプレゼンテーションチャンスです。参加を促して下さい!!」
当然日本の万博に限ったセールストークではない。というかフランスのパリだって当然やるだろうってことばかりを書いているのは承知している。しかし、海外へのプレゼンよりも国内企業のパビリオン誘致の方がもっと大変になるのでここは軽く流しておいていただきたい。
なぜ日本開催で日本企業のパビリオン誘致が大変なのか?それは「高齢者大国」だからですよ。
ここまで熱心に読んで下さった方なら御承知の通り、47年前の1970年は様々な企業が競うように独自のパビリオンを出展しています。
では2025年は、果たしてどんな企業がパビリオンを出展させたいと思うのだろうか?
現在隆盛を誇る巨大メーカーに、2025年時点でパビリオンを出すメリットはあるのだろうか?
だってテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だ。
進歩の具合がちっともわからない「人類」ならともかく世の中の進歩は早い。
1970年では家庭どころか個人の掌にコンピューターがやってくるなんて誰も想像だにしていなかったのだから……未来は分からないことだらけだ。
ともするとAIもロボットも、2025年には日常生活(お金持ちの)に溶け込んだ世の中となっているかもしれない。
さらにいえば高齢者大国なのだから、労働力不足を補うためにむしろ企業製品として溶け込んでいるべきかもしれない。いやいや生活や社会をデザインするならば、ファイナンシャルプランニングやライフプランニング企業に出展していただくほうがテーマ性にふさわしいのではないだろうか?パビリオン内に申込や商談ブースが併設される可能性すら否めないだろう。
あぁ、やはり企業の話であればあるほど幕張メッセやビッグサイトでなんとかなるから、わざわざ万博である必要を感じなくなる。
そう!つまりここが国内企業パビリオン出展のネックだと思うのだ。
だとすれば高齢者大国として国内で出展すべきは「段差はもちろん天候、悪路だってヘッチャラの最新型車イス」や「多機能ステッキ」、さらにはベッドやおむつ、肌着など、来るべき世界的な超高齢化社会のニーズに応えられるノウハウや戦略を持った企業・・・・・・もしくは、これらのジャンルへの参入を担う企業である可能性が高い。
高齢者大国はすなわち長寿大国であり、健康大国、医療大国なのだ。
海外に見せたい、伝えたい、感じていただきたいモノが山ほどあるはずの2025年なのだ。
体感型であればこそ、国内企業はより出展してチャンスをアピールしていただきたい!
いずれにせよ開催期間「半年間」の万国博覧会に出展し続けるには、ここでも体感型に結び付けた創意工夫が不可欠なのだ……。
なんとしても映像・画像だけではわからないという点で頑張っていただきたい。(開催が決まっての話だが)
もう一度書いておきたいが、我々は65歳以上が3人に1人だからと言って2025年に車イスや杖を持った人が急増したりすると言いたいわけではない。しかし、その万博の後3年、5年、10年先の日本はどうなるのだろうか?と考えるにつけ高齢者に対する産業やテクノロジーまで視野に入れるとともに、保険産業まで一応は考えるべきだと思うのだ。
万博の謳う「未来社会」とは必ずしも「未来福祉」や「未来介護」の姿を含んではいないだろう。とはいえ世界中の人々が集い国民も多く集まる中で、全く触れなくて良いのかどうかが2017年の現在は不明のままだ。
だからこそ書いておきたかったのだ。
大ゲサな話ではない。開催国を競う相手はフランスだ。
テーマで謳っているのだから自国の現状、未来をデザインしないわけにはいかない。その上でフランスに勝たねばならないのだ。
高齢者対応を甘く見ると「日本は自分たちのテーマが分かっていない」、「日本は日本が分かっていない」などと言われて負ける可能性が高いからだ。
話を戻してまとめよう。移動に優しいいくつかの総合ビルディング型、その場で食事、買い物を可能としたショッピングモール型のハード構成と、体感展示主体型と記念品・グッズ購買型で来場者を満足させるソフト構成。さらに日本政府・企業には「高齢者が輝く未来社会」にマッチしたパビリオンの出展を各国に求めるべきであろう。(ように思う)
ここでまた視点をちょっと変えてみたい。次は駐車場だ!!(なんでこうも話が散らばるのだろう……)
2025年の日本は、かなりの電気自動車(EV=エレクトリックビークル)が普及している社会の可能性が高い。
大阪万博の駐車場には当然、充電用電源がフル装備で備わっていなければならない。さらに高齢者にやさしい駐車場であることは言うまでもない。
ならばこれまでの広大な平地にある駐車場が当たり前とした概念は捨てるべきであると提唱しておきたい。
つまり駐車場は広々としていて駐車台数のみを気にしている時代ではなくなっているといいたいのだ。先に述べた駐車と充電の両方を満たす必要もそうだがさらなる問題が……ここでまた高齢者大国問題を考慮する必要があると思うからだ。
平地の広大な駐車場の端から長い距離を高齢者に歩かせては会場に着いた時点で体力がなくなってしまう可能性が高い。(会場に続くモノレールの駅までとしても)
ましてや天候だってある。海上の人口島ならば風だって強い日も少なくはない。
となれば2025年の未来型駐車場もこれまた「立体型」が然るべき型ではないだろうか?
会場近くに併設された、地下から地上までのいわゆる高層型駐車場だ。土地の多い人口島であるメリットを生かしてはいないと思うが、後々解体される可能性が高い運命のパビリオンに対して、跡地を何に使うにしても独立した島に電源を配備した駐車場は必要だ。
高齢者には駐車場から天候に関係なくフラットな通路を通ってモノレールに乗り換え、会場にスムーズインしていただきたいと考える程に、軽く考えてはいけない建築物といえよう。
どんなもんですかね?「万博好きやん(scan)研究所」が考えた、大阪万博2025会場-地上編-は?
異論は当然あるとは思うが、ここは一つ想像ってことで許していただきたい。しかし、まあなんだか東京・丸の内のような高層ビルや、あるいは超巨大ショッピングモールの中にパビリオンがあるおかしな万博全景だ。
でも、そうまでして我々「万博好きやん(scan)研究所」は2025年に大阪で万博を開催して欲しいし、1970年の大阪万博とは異なる機能的な地上の景色を見たいのだ。
1970年、日本の底力が大阪万博に集結したその熱量。これから一年を通してお伝えする前に2025年を予想するならば、かくもおかしな前提が必要となるのだ。だって空想や想像はタダですからね。
これを企画にするなら予算だのスケジュールだのまで計算しなきゃいけないのだから、遊ぶのならこの段階でやらないと……。
然るべき立場の方々が本気で取り組んで日本国民を巻き込んだオールジャパンで戦ったとしても、2025年の開催どころか2018年の11月に開かれるパリとの開催地争いさえ危うい訳なんだから。せめてこの想像上の取り組みくらいは本気で(まぁ……出来る限りで)と考えるのがこの第一章というわけなのだ。くどいようだがフランスのパリはそれほど手強いということをくれぐれも忘れないでいただきたい。
本当に下手をすると東京オリンピック開催の2年も前に日本での万博は消えて無くなるのだ。
さて次回の第5回目は、大阪万博1970には考えられなかった2025の“型”を想像したい。
本コラムの第一章もいよいよ半分を越える。ここからが勝負だ!
「万博好きやん(scan)研究所」が考えた、大阪万博2025会場-地下・上空編-
この項で、我々はこう主張しておきたい。
「カジノ構想とセットで考えるのなら、勝負は地下だ!大阪万博2025」
ただしこの両立を現実的に考えるのなら、もう一度「大阪都構想」の再投票をやって府民・市民に問い直すべきではないか……とは思う。
万博とカジノ。この巨大な二本の構築すべき企画の土台が同じ場所なのに府と市に分かれているなんてバカバカしいと思うから……ってことなのだが、とりあえずこれ以上は触れないこととする。
念を押しておきたいが、我々はカジノ構想にも都構想にも思うところも含むところも何もない。
全てはフランスに勝つための、さらには想像力の全てを大阪万博2025に使いたいのだ……と考えているが故なのだ。
さて1970年、来場者を迎える場所のほとんどには開場時間と閉場時間が存在していた……。
もちろんそれは万博会場にも……いや、当たり前の話しなのはわかっていますって。
昼間は来場者で溢れていた場内も閉場後には清掃、花壇のメンテナンス、電球の取り換え、飲食物の搬送など夜に働く皆さんはさぞ大変だったであろうことは想像に難くない。
そしてこれらは2025年にも等しく発生する業務である。
一方、カジノ構想とセットで考えられている(セットでなかったとしても)2025年の大阪万博では「いつでも24時間稼働にシフト出来る体制」を最初から考慮した会場設計が極めて合理的であろうと思う。(後付けでは大変だから)
ラスベガス、マカオ……。いずれのカジノ都市も「眠らない街」であることは周知の事実。
もしカジノを前提とするならば、2025年の大阪万博にその構想を基本的に埋め込んでおくことに問題はないだろう。(くどいようだが、後付けにすると再構築が必要となる点が多い)
2025年に想定される来場客層を考慮した地上設計に対して、カジノ構想をセットとする大阪万博の設計に必要な概念、それは地下を都市的に作り上げることによる有効活用ではないだろうか。
さて常に来場者で賑わう地上の風景、一方何度でも繰り返すが65歳以上人口への対応。(当然障害者のみなさんも含んでいます)
その会場地下には1970年の万博にだってあった救護センターを越える規模の救護、そして介護センターの設置が不可欠だ。
しかし、2025年のこれら施設は果たしてパビリオンのように地上に作ることに意味はあるのだろうか?
考えれば考えるほどに身動きひとつ出来ないほど人々で湧きかえる中を救急車が走ったり、担架を持った救急隊員がすぐに駆けつけてこれる訳はないのだから、特に地上である必要は無いように思える。つまり普通の都市機能とは別の救急搬送システムが必要だと感じるのだ。
8年後の日本は若くはなく、若い者は強くはないはず……だからこそここはしっかりと考えてみたい。
そこで24時間対応を視野に入れた2025年の会場は来場者とは別の導線が必要だと提言したい。
普通に考えてもスタッフ移動・物資搬入、緊急搬送だって一般のお客様と同じ地上ルートを使うわけにはいかない。
その上巨大都市に匹敵する上下水道に、光ファイバーなどを通す共同溝が必要だとわかっている。
もちろん共同溝には莫大な電力供給を必要とする会場やモノレール、動く歩道や各種昇降機。さらに大量のパソコンやケータイなどの充電コンセント、EV対応駐車場の電源も考慮すべきなのだから高圧巨大ケーブルを何本も通さなければならない。
その各電力ポイントの近くには変電システム……いや、非常時のために自家発電システムだって必要だ。
いわば作業導線(ワークライン)とライフラインの必要性だ。
2025年の大阪万博はまさに「搬送対応型人工島」「一点集中電力消費型人工島」を兼ねそなえた都市が突如出現することを大ゲサと言われるほど考えて欲しいのだ。
さてここまで全ての必要性を前提とし、
来場者以外の全ての導線(もはや交通網と呼ぶべきかもしれない)と必要な施設を「地下」に設けるべきである。つまり地下施設都市構想だ。
それが、2025年の大阪万博にとってあるべき姿だと、私たち「万博好きやん(scan)研究所」は提唱したい。
この巨大地下建造物は同時に、想定されるべき地震の際に地盤安定の基礎とすることも付け加えておきたい。なんといっても足元は元々海だったのだ。瀬戸大橋の橋脚のように海水を取り除いて露わになった海底をさらに掘り進めて海底岩盤上に作られたわけではない普通の埋め立て地なのだから安心要素として欲しいのだ。(この地震に対しての話はまた別に書きたい)
万博会場予定地となっている夢州は埋め立て地なのだから、どう考えても巨大地震の際に“液状化現象”の恐れがある。阪神淡路大震災の時に神戸ポートアイランドが液状化現象を起こしたことを忘れてはならない。
当然のことながら地下ルートは沿岸の病院施設などと直結する姿が望ましく、また地下施設の構造も多層化してEV地下ルートもハイウェイ構想であれば尚好ましい。
地上でお客様が倒れた際、どこかの扉が開いて地下から救急隊員がかけつけ、地下で待機するEVに乗せて直接地下救護センターへ。そして重症の場合はそこから地下ルートを抜けて橋を渡り、湾岸にある病院へと搬送されるのだ。
また、搬送が地下なら会場入り口付近地下には物資集積センターも地下に設置すべきだろう。
橋を渡ってやって来たガソリン車はそこから無人搬入コンテナEVに積荷を移して地下ハイウェイを活用して会場地下の各種地下倉庫に輸送するのだ。
これは可能な限り地上のパビリオンにバックヤードの(冷蔵庫など)面積を取らないという発想。
つまりパビリオンの地下にバックヤードも集積させるということだ。
冷凍・冷蔵を倉庫的になるべくまとめて管理してパビリオンのオーダールームに応じて地下で自動搬送してもらえれば、面積・電力・人員も最小で済むのではないだろうか?
もちろん「行きは物資、帰りは廃棄物」といった効率的な運用で集積センターの規模を可能な限り小さく収めることも大切な視点だろう。
外からの搬入を無人化できれば物資をスキャンしやすくモニターしやすい。侵入者や異物混入などの早期発見が可能となり、テロ対策に効果を上げるはずだ。
この来場者の目に見えない部分にこそ、日本の管理・輸送システム技術が発揮されるべきだといっても過言ではない。
もちろん、このシステムそのものが海外に売れる“商品”でもあるし、これがそのまま後のカジノ構想に転用出来るとすれば、お金がかかっても有効な投資となるように設計すべきだ。
私たちはこの地下に整備すべき巨大な流通センターが地上と同規模以上の予算を要するのではないかと予想している。しかし後々の再利用を考えるのならドカンと行こう!(せっかく海を埋めたのにまた掘り返すの?なんて言わないの!堀り返した土で横にもう一丁島を作ろうぜ!!くらいの気持ちで行きましょう。空想はタダなんですから)
一方、視点を上空に向けてみよう。いや、空は重要なんですよ!
だって全天候に対応すること、これはもはや当然といってもよい配慮だと思いません?
遠く海外からやって来て雨でしたって……ちょっと悲しい。(簡単に言ってますが、これを会場全体で対応するってことがどれ程ドエライことなことなのかは充分わかっています)
しかし、雨だけでも客足は鈍るっていうのに風、強風の心配があるんです。とくに海上の人工島であることから海からの風雨への対応は、来場者の数はもとより満足度を大きく左右する要素なのだからやはり考えなければいかんのです!(それに内地型のパリに負けないためのプレゼン要素として海上型の弱点は封じておきたい)
それじゃあ会場は東京ドームのような屋根や幕をすっぽり被せた全天候対応型?
いやいや、ドーム型はともかくとして周りが海だからこそ青空は欲しい。
それに私たちが空想する万博会場の全景がもっとも美しく映えるのは会場外から見た夜景だと思っているからだ。
はるか遠くのー♪水平線♪(およそ4.5km先から視認できる)またたき光るー♪未来都市♪(いわば水上都市008だ!!)
更に挙げるなら、好天の日に輝く太陽光が降り注ぐことは「いのちの輝き」を想起させるのだから絶対に必要だ!!
もちろんUV(紫外線)カットが出来てある程度の温度、湿度だってコントロール下に置きたい。海上型会場での長時間滞在への対応を我々はナメてはいけないのだ!
これらを総合して、我々「万博好きやん(scan)研究所」としては、会場の上空はガラスを思わせる強力な透明新素材ですっぽり包んで来場客が全天候下で等しく楽しめるようにしていただきたい……と、願っている。
そう、1851年にロンドン万博に出現した“クリスタルパレス”の会場全体版だ。(クリスタルフルカバーバージョン。ただしあちこちの開閉コントロールが可能なことも忘れてはならない。適度な風だって必要なのだ。もちろんドーム型であってもかまわない)
なお我々研究所はいくつかのビルがクリスタルから頭を出すことは強度上からも認める。(ビルを柱として利用出来るからなのは言うまでもない)
この透明パネルを支えるであろう網の目のような支柱の数々は会場監視モニター用カメラのレールとして利用できるはずだ。
2025年の舞台は海上都市。煌びやかで世界の誰も見たことのない景観を造っていただきたい。
これらがパリに対して不利な点をカバーして有利なプレゼンポイントになれば最高だ。
だってフランスの万博はその第一回目から屋根付きの会場を常に意識しているのだから、見過ごせない点であると言っておきたい。
次回の第6回は、大阪万博2025の「会場内」を空想してみたいと思う。
「大阪万博2025」の空想会場内!
私たちはここまで大阪万博2025の空想全景を「地上」「地下・上空」とそれぞれに空想してきた。
地上のあちこちには、高層ビルディング型パビリオン(全てのパビリオンという意味ではない)と立体型駐車場。地下は都市的に作られ救護や介護センターに巨大な物流システムやライフラインのインフラが構築され、様々なEVが正面衝突することなく活躍できるハイウェイ構想。そして上空は青空の見える開閉可能機能を有する全天候型のクリスタルパレス化。
さらにモノレールやロープウェイ。人の移動にライドや「動く歩道」も当然ありまくる。(大阪万博1970ですでにやっていることなんか書いたら空想力がもったいないのでここまで省略してきたに過ぎない)
これではまるでアニメの描く未来都市・・・・・・近未来SFコラムのようになってきたが笑い飛ばされる応援コラムであることも目的の一つなのでもう少しお付き合い下さるとありがたい。
さて、前回は全景を予想したので今回は会場内。訪れる人々がどのように万博を楽しむのか。2025年の会場内を空想してみたい。
先に、2025年の万博は体感型あるいは収集的消費による万国博覧グッズ販売の展開を予想した。(安直なのは百も承知。しかしキャラクターは必要だし、様々な商品とのコラボレーションはもっと必要だ)
いずれにしても多種多様な体験を通じて、その場で気軽に越境ECを楽しむ来場者の姿……。
これら一連の流れは、「キャッシュレス」かつ可能な限り「手ぶら型」となるのが、(会場内での手荷物追加を極力減らしたいと言った方が正確かもしれない)私たち研究所の理想とするところだ。
つまりハンドバッグ以外の「手荷物不要型万博」だ!
身動き出来ないほどの人の波の中をガラガラ引っ張って回るキャリーケースなんか邪魔で危ないに決まっている!
お客様を極力この手荷物から解放して差し上げるのが、大阪万博2025の願いでありたい!
だとすれば、宅配便のような配送受け付けブースが場内の至る所に点在しそうな感は免れないが、そんなのはつまらない。(海外の人は利用しにくいし会場風景には合わない)
そうではなく、入場したときの手荷物以外一切モノを手にせずに会場を後にするケースをポピュラーとしたいのだ。
そこで提唱したいのが来場者個々人の購買データを一括管理して、出口や駐車場で受け取ったり、翌日自宅に配送されるシステムだ。しかもその場での現金決済をしない。和製英語で言うならば「キャリーオーバーレスシステム」だ!
2017年時点のFintech熱が2025年にどのような形で花開いているのかは分からないし、ビットコインがメジャー通貨単位になっている可能性だって現時点では不明であるが、会場内で気軽に購買を楽しむ来場者が、いちいち自動販売機や各店先で現金決済を行う姿は想像したくはない。
しかもこれらは行列、通行妨害の減少になるし、防犯にも役立つだろう。
さらに言えばこうでもしないと高齢者に手荷物が増える。さすれば「早く帰ろう」に直結すること間違いなしだからだ。
入場後わずか2時間で「もう帰ろう」となるような事態があってはならない!
さて、この問題に本気で取り組むならもう一つ大事なシステムの構築が必要だ。
それが「オートクロークシステム」だ。
会場入り口で必要なモノだけを入れたハンドバッグ以外の荷物をボックスに入れて保管するのだ。
その際、重量記録を取っておいて、持ち主側と照合して、預けているうちに無くなった・・・・・・などという事態を回避したい。(この照合システムは後ほど)
もちろんコスプレイヤーさんなどの手荷物は別ルートを設けなければならないから先の会場内搬送システムを利用して目的地まで運搬だ。
お預かりした手荷物ボックスは高度に管理され、帰るために出口に近づくとセンサーで自動的に窓口に運ばれていて素早く受け取れて、帰りの混雑の緩和となるようにしたい。
保管場所もシステム管理も移送システムも大変なのはわかっている。
しかし、1970年の大阪万博にはほとんどなかった車輪付きキャリーケースは、人混みの中でのトラブルやケガの元になることは明白なのだ。
このシステムを海外に売り込むつもりで是非実現させていただきたい。
だってこれはテロの防止に大いに役立つシステムなのだし、基本となるベースは成田空港の手荷物のカーゴ預かりにあるのだから不可能というほどのことはない。
多くの人でごった返す中で次々と増える手荷物は、疲労、トラブルの元凶間違いなし。
そこへ若者やツーリストのキャリーバッグは、ともすれば凶器になりかねない。
これに対応してこそ「未来社会型万博」ではないだろうか?
「オートクロークシステム」と入り口のボディチェックがあれば、武器や爆発物の会場持ち込みはほとんど水際で防止できるのだから、対フランスのためにも必要なシステムだ。
ところで読者の皆様に先に救護や介護の重要性を提唱したことをご記憶だろうか?ここからさらに飛躍したい。
そのキーワードは「迷子」だ。
もちろん1970年とは違う意味合いの「迷子」。すなわち「大人の迷子」を予想したいのだ。
これは会場内の地理に迷うことのみでなく、急な体調不良や不測の事態で同伴者と逸れる可能性を含めている。
「スーパーハイテク迷子対策」は驚くほど重要だ!
当時を体験している人ならば憶えているかもしれないが、1970年の大阪万博には子供用に「迷子ワッペン」があった。
私たちが考える2025年の大阪万博はそんな単純なモノではない!
「超高性能」「超小型にて軽量」しかも「完全防水」のウェアラブル端末を入場口で貸し出す。(年齢や体型など各パターンに応じて機能最適化が為されていることはもちろんのことだ)
表示モニターにはチケットや決済機能も備わっており、GPSはもちろん、バイタルチェック機能も備えたものだ。(当然ながら超々高度のセキュリティ管理システムあってのことというのは言うまでもない)
これによって来場客は会場内で自由に物品を購入し、自分の現在位置情報はもちろん、はぐれた家族の位置、会場内イベント情報、高齢者(もしくは希望者)体調危機管理まで(熱中症の予防など)を網羅するのだ。
ここまで無関係に思われていたかもしれないが、
実はこれらをAIスピーカーでの作動を基本としてチケットレス・キャッシュレス・手ぶら・配送・迷子・登録人物サーチ・言語翻訳(言語別対応)・会場情報・位置・体調アラーム・救護要請・手荷物預かり証(重量記録)・万歩計・交通情報・テロへのセキュリティ対策)までを2025年の大阪万博内で一本線にしたいのだ。
会場システムが白紙でも、実機が未完成でも、このAIスピーカー搭載型ウェアラブル端末のデモンストレーションバージョンを使って(もちろんスクリーン投影はパソコン画面で対応)、来年11月の開催地決定会議でプレゼンしたらきっとウケると思う。
もちろん高齢者大国の長期開催国際イベントなればこその「未来社会デザイン」のためだ。
そもそもパビリオンのハード面はどこの国が建設したって似たようなものが出来るのです。機能特化した何らかのシステムを作らなければ他国との差別化は難しいのだ。
これには、もしかすると会場入り口でウェアラブル端末を貸し出すパターンと他所で購入するパターン、個人の所有端末に「万博アプリ」をインストールして事前に対応するパターン、更には海外からの渡航客には空港で「EXPOsimカード」を配布して対応するパターンなど、来場客の想定ケースに応じたきめ細かい対応が有効となるのだろう。
まだ見ぬ2020年東京オリンピックの「お・も・て・な・し」をはるかに超える細やかな配慮というわけだ。
一つの会場に万国の人々が長期間に渡って集中するイベントに対応する「未来型システム博覧会」になったらいいなぁ……という日本的とも言えるサービスの空想なのだがいかがだろうか?
そもそもが高齢者大国だ。体調危機管理のためのバイタルチェック機能は、会場内での不測の事態を未然に防ぐ点では大きく効力を上げる可能性を秘めている。
真夏の水分補給アドバイスはもちろん、映画「マイノリティー・リポート」のように体調の急変が予想される来場者のもとに速やかに救護スタッフが地下通路をEVで急行するなどできれば「いのち輝く未来社会のデザイン」を具現化してると言えないだろうか?
そう!会場内という“社会内”で個人に対応してこそ未来社会のモデルケースとなりうるのだ。
次回の第7回では、大阪での万博開催のために絶対必要な会場機能について書きたい。
えっ!? “絶対必要”って言い切るの?
はい、言い切ります。
パリに、世界に勝つためにはどうしても必要だと我々は提唱したいのです。ご期待下さい。
プレゼン最大の敵は「地震」だ!(という大阪の認知はあるのだろうか!?)
我々は地上、地下、上空まで書いてきたが、絶対に必要な“会場デザイン”テーマを一つ残している。
それが“地震”である。
2025年がどれほどの高齢者大国になるのかは当の日本人にさえ知られていないが、海外の人々に日本が地震大国であることはよく知られている。
2017年現在、西日本では巨大地震は発生していない。2025年までに発生するかどうかはもちろん不明だ。
しかし、開催都市決定が下される2018年11月に行われる最終プレゼンテーションにこの点を全く考慮してしない万博企画ならフランスはおろかどこの国と競っても敗れる可能性が極めて高い。
海外のほとんどの人は地震の体験がないために(あっても少ない)日本人よりはるかに地震を恐れているからだ。
プレゼンがどれほど上手くいったとしても、事がどんなに有利に運んだとしても、
最終的に説得力のある地震対策が入っていなければ、日本は……いや大阪は「3.11東日本大震災から何も学んでいない」……と100%ひっくり返される。
さて、我が「万博好きやん(scan)研究所」はどうしたいのか?というと、概ねすでに書いたことに対する機能の追加である。
-----で、まず地下。
地下を都市的に造り、救護・バックヤード・ハイウェイ・変電・自家発電を組み込んだことによって、ここを“シェルター”として存在意味のある場所としてのデザインを加えたい。
シェルターと言っても相手は“核”ではなく“津波”だ。
そもそも万博会場(予定地)となっている夢州は海を埋め立てて作られた人工島だ。ひとたび巨大地震が発生すれば避難誘導しようにも安全な場所などどこにもない。
そこで最も近く安全な場所として地下をデザインしておくという発想だ。
地下を都市的に作り上げていれば“液状化現象”も防げるはず……いやなんとしても防がなければ避難や誘導どころではない。
人混みの中で液状化が始まれば想像を絶する大パニックが一瞬にして発生することは間違いないからだ。海外のお客様にとって人工島で起こるそれはまさに“島の沈没”を思わせるに違いない。
また巨大な地震であればあるほど島へと架けられた橋(地下鉄などのトンネル)は、いかに見かけが無事でも安全の確認が出来るまで渡っていただくわけにはいかない……。
もちろんそんなに長く人々を会場内に放ったらかすわけにはいかない。
だとすれば尚のこと地下機能で対応するデザインしか“道はない”のだ。
それがどんなにバカバカしくSF的に思えようとも……。
まっ、とにかく普段は地上のあちこちに隠された秘密のドアから救護の人が現れて地下に待つEVに乗せて人知れず救護センターへと運ぶが、地震による津波発生の可能性の高い場合はサイレンや誘導アナウンスが流れ、建物のあちこちの壁が広く開いて地下へお客様を避難誘導していただきたい。(うわっ!なげやり的!)
来場者数もハンパないから受け入れ数は不明としておくが、ここに入れば会場が流されまたは土砂に埋もれても、人々の救助が終わるであろう10日ほどは大丈夫。(にする)
地下から緊急時に地上に出す空気取り入れ口を作っておけば食料・水は元々あるし毛布も含めて用意しておけばいい。電力だってある。(自家発電システムを有するとして)
地下緊急避難ではぐれて行方不明になっても端末の“迷子”機能ですぐに再会出来る。
当然、陸へと渡る橋(地下鉄などのトンネル)の無事が確認できたならすぐに離島していただく。(この確認に要する時間が不明なのも重要な点としておきたい)
とにかく我々的地下構想は、シェルターも兼ねさせたいのだ。
重ねて書く。もちろん、非現実的なアイデアだとわかっている。
ではそもそも地震大国日本で、南海地震が危惧されている中で、大阪港の人工島を万博会場予定地にしたのは国際博覧会開催地決定会議で優位に立てる現実的案だと思ってのことだったのだろうか?
いずれにせよ夢州である以上、地震・津波・液状化からのパニックを少しでも和らげる対策案を盛り込まねば開催地に選ばれるのは難しい。(……というか無理に近い)
----で、地上建築物。
そもそも総合ビル的なだけでなく耐震機能で建てられていなければならない。(そう書きたくなるくらい夢州は地面が不安。)つまりお客様にはビルを山に見立てて避難していただくというわけだ。
これらによって地上を歩く人やパビリオンの人々は地下へ、ビル近くの人や中の人には上へ逃げていただく。
さらに、地上建築物の3m以下の壁(しかも外れるとように作り、尚且つ1m四方に割れる)・街灯・長椅子などは全て強度がある浮力材でつくっておく。(浮力材っぽくならないように加工して)
つまり津波で流された場合は、手にした何かにつかまればいいのだ。
掴まえられる物は全て浮くように作ってあるのだから……ってことです。
会場のあちこちに圧縮空気で一気に膨らむゴムボートを秘かに装備しておく必要もあるだろう。
ところで海洋大国日本は優秀な深海探査ロボット“かいこう”を持っている。
この“かいこう”の活躍する深海でも浮力を失わない浮力材に使われているのが“マイクロバルーン”だ。(ガラスのようなもので作ったミクロの泡の粒……だと思ってください)
こいつを軽くて丈夫で当たっても怪我をしないような素材で固めたモノを会場の建材の一部に使っておけば、波に吞まれた人々の生存率はかなり上がるはずだ。
もちろん中が中空で丈夫な“ハニカム構造”で作られた建材も多用すると費用も安く済む。(お客様の生命に安いも何もないのだが……)
-----で上空。
空が見えた上で全天候対応型の会場がいいから“クリスタルパレス”化を提唱していたが、こいつの透明な部分も危ないガラスがダメなのは当然として、とにかく割れないか、割れても砂のように細かくなる新素材でお願いしたい。
丈夫で透明度が高く巻き取りロール型として開閉に使える素材でも良いかもしれない。
かつてフランスの万博会場はとにかく高いアーチ状で透明な屋根を(アーケードのように)造った建物が多かったので、ここは甘く考えないでいただきたい。
さらに全パビリオンのガラス(窓的なモノだけでなく)を思わせる部分も、(例えば鏡)地震に際して凶器と化す可能性を払拭しておきたいので、ここにも透明新素材をお願いする。(そんな都合のいい素材はあるのか?……だから新素材)
-----で海中。(いや海底)
これは会場外なので初めて書くが、万博会場となる夢洲の周辺海底にぐるりと高圧空気で一瞬にして海上に立ち上がる“バルン型防波林”を造っていただきたい。
なぜ?って、そりゃ話はカンタン。いざという時に可能な限り津波を防いでいただきたいからだ。(ただしそれも深度次第だ。深いと役に立たない)
いや、正確に言えば防ぎきるためではない。お客様がビルの上、地下のシェルターに避難していただくための時間を稼いでもらうのだ。
地震による津波の第一波くらいは出来る限りコイツで被害を弱めていただければ十分だ。
おそらく第二波の時は最初のダメージで防波機能が失われている可能性が高い。
津波を完全に防ぐための防波堤を造る……って案も人命尊重の観点から言えばそうあるべきだ……とは思う。
しかしそれには、分厚く高い(高さ20~30mは必要かも)防波堤にする必要がある。
ただこれでは万博会場の景観を損ねすぎてしまうと思うのだ。
海の上に四方を山のような高い壁で囲まれた要塞型万国博会場……って悲しい気がする。
だから(あくまで空想的には)会場にはこれまで書いてきた通りの避難システムを強化する案を押したい。
ということで、防波のシステムは普段海底に眠っていただく。
これで“高齢者大国”“地震大国”日本の“いのち輝く未来社会”会場をデザインしたことに多少はなるはずだ。
西日本の……、いや日本全体の経済活性化のために万博は大阪に欲しい。
カジノ構想に関係なく欲しい。
パリに敗れた場合の経済的損失は計り知れないほど大きいのだ。
……しかし……ここまで空想を広げてもまったくパリとの万博開催地争いに勝てる気がしない。
きっと政府側がオリンピックで忙しく、大阪府の万博認知や準備……果ては国際対性が見えてこないからだろう。
ひょっとすると大阪という土地の中で意志や行動が一つにまとまりにくいのかもしれないし、会場予定地夢州によほどの自信があるのかもしれない……しかし相手は新大統領を迎えたフランス。しかも第1回目の万博を開催し、国際性の高いテーマをかかげるであろうパリで、70年もやってない相手。さらにユーロ圏の中心地だからヨーロッパの数字は堅い。
その上フランスは“祖国”のために一つにまとまる能力にも似た国民性を持っている。
政治的に言えば党派会派など軽く超えて“パリで万博!”と一つになれるのだ。
国や国民のためにまとまる心を持つ上に、大統領選対策・テロ対策・ユーロ内対策など“対策のエキスパート”が政治以外にだって数多くいるフランス!
これは現実なのだ!!どうする大阪!!
-----とはいえ我々はここで空想と分析で楽しむ形で応援したいだけなのだから……。(これでも応援しているのだ)
未来に対して具体的にやれることが何もない我々だから、せめてコラムで万博を楽しみたい。
……もちろん大阪万博2025ではない大阪万博1970の方を……。
次回は長かった第一章の最終回だ。
えーっ!?まだ書くことがあるの!?
あるんです。コラムとしてのとどめの一撃が……。
「8回続いた第1章も今回が最後!」
……が、さて本コラムを始めるにあたっては(8回もやっていて本筋にはまだ入っていないのだった)先ず、大雑把であったとしても2025年の予想を記しておきたかった……などと心配しながら書き続けた結果がここまでの長さとなった。
それは8年後の未来の2025年に開催されることを願う万博には、さらなる「未来社会デザインをする」という、いささか茫漠たるテーマを掲げていたからだ。
それで、2017年から8年後の「2025年という未来社会」に予想や空想というデザインを(一足先に)ほどこしてみたいと考えてしまうのは我が「万博好きやん(scan)研究所」としてはもう当然のことなのである。
それにしても……どうして“国際”万国博覧会のテーマに地方自治体のスローガンみたいな言葉を選んだのか外部の我々にはさっぱりわからない。このテーマに沿わざるを得なかったために思わぬ流れとなってしまった。
2017年の現在でさえ“ネット参加型”という企画計算も加えなければならないというのに、そこまで言及することすら出来なかったのは残念でならない。
ただ“ネット参加型”と書いた以上ここで少し触れておきたい点がある。
第4回目の「映像では驚かない」でVR(バーチャルリアリティ)についてほとんど書かなかったことをご記憶だろうか?
2017年現在の我々でさえVRを直接体験すれば、その現実的中身に驚くに決まっているが、VRそのものの存在は知っているので特に驚きはしないだろう……と予想するのだ。
そのVRが2025年の万博内やパビリオン内に登場したところで現在の延長線上なら、きっと「ここまで体感させてくれるのか!」のバージョンアップを味わえるくらいだ。
しかも何時間も大行列の末にやっと……。
ならば、“ネット参加型”のように万博会場の外で“VR参加型”もありなのではないかと思うのだ。つまり夢州外のあちこちに“エキスポステーション”なるモノを設け、ここにVRを設置して“万博会場内やパビリオンをVR体験”していただくのだ。(もちろん有料)
万博にVRではなく、VRで万博という場外万博体験システムを提唱しておきたい。
こちらの“身近なVR”ならきっと驚いてもらえるはずだ。
だって中身は行列や人混みの無い万博なんですから。
えぇ……いくらなんでも無理なことくらい承知していますよ。
さて、1970年の大阪万博には、未来をデザインするために高名なSF作家が多数参加した。(という)
2025年の大阪万博誘致アンバサダーにはダウンタウンが就任したが、今後どのようなジャンルで活躍する人々の参集が、2025年の大阪万博を表現し成功に導いていくのか楽しみにしたい。
相手はフランスのパリ。おまけに8年後は高齢者大国だし、そもそも地震大国だし、日本のロビー活動はいささか頼りない印象を持っていればこそ実現化を願ってやまない。
しかしこのままでは「開催したところで来場者は来ないかもしれない万博2025」なのだ!!
1970年には個人が対応していた様々なことが、2025年にはどこまで「会場が対応すべきこと」として判断されるのか?が問題視されるかもしれない。少なくともこの境界線を引き間違うと、瞬く間に失速する万博となるのではないかと我々は更なる心配をしている。
いや、ひょっとすると風評以前の話かもしれない。
ここまでのデータでもう少し詳しく考えてみよう。
面積 | 来場者 | |
1970年万博 | 330ha | 6,421万8,770人 |
2025年万博 | 160ha | 2,800万~3,000万人(見込み) |
会場面積が半分で来場者も半分に見込んでいるのだから、会場の来場者密度や混雑は1970年の万博とほぼ同じとなる。
一方……人口と年齢人口をもう一度見てみよう。
開催年 | 総人口 | 65歳以上人口(比率) |
1970年 | 1億466万5,000人 | 731万人(7.0%) |
2025年 | 1億2,065万9,000人 | 3,657万3,000人(30.3%) |
2025年の万博の来場者が見込みとはいえ3,000万人。
一方2025年の65歳以上の人口がおよそ3,657万人だから、単純計算で65歳以上の人口が見込まれた3,000万人の来場者数を657万人(21.9%)も上回る理屈だ。
我々も理屈は理屈だと承知している。しかし国民の総人口が1,600万人増えたところでその内30.3%が65歳以上という数字が出て来る万博開催国は世界中探しても日本だけだろうから多少の理屈に対する覚悟は必要だ。
来場者3,000万人のうち65歳以上が30.3%なら909万人もの人が高齢来場者だという覚悟を……。
ここでさらに大ゲサな飛躍をしたい。
1970年の万博の日本館年齢別来場者パーセンテージを例とすると(1,000人対象アンケート)50代以上の来場者はたったの4.3%だ。
2025年の万博がいかに3,000万人見込もうと65歳以上の3,657万人のみなさんに4.3%を当てはめたとしたなら157.25万人しか来場しない。
かつての日本館のデータの4.3%は“50歳以上”だからその上の65歳以上の来場者は実際のところもっと少ない……はずだ。
47年前の日本館の……それもたった1,000人のデータで万博全体の来場者数を予想するな!というおしかりは覚悟の上で我々は書いている。
しかし、“若く元気な日本”の時代でさえ65歳以上の人は少なすぎて50歳以上のデータに含められていての4.3%だ。(つまり50歳以上が3%、65歳以上が1.3%の可能性も無いとはいえない)
この65歳以上の年齢の人口が2025年の万博の見込み来場者数3,000万人より657万人も多いとなると、全面的に会場が高齢者に対応するシステムを作ってさえなお見込みを下方修正しなければならないかもしれないのだ。
我々はさらに加える。第3回で述べた日本館来場の40代のパーセンテージを見ると7.4%だから、50代以上を加えても1970年の万博でさえ11.7%しか訪れなかったことになる。
1970年の万博で日本館にたどりついたのは40歳代前の若い88.3%の人達だったわけだ。
2025年の万博ではこの40歳代までの若い層が減り、40代以上が莫大に増えているのだからデータ的にこの増えた年代は来ない、もしくはリピーターにならない可能性がメチャクチャ高い。
もう47年前の1970年とは事情が全く違っているのだ。もはや高齢者に「これでもか!」と疲れさせないための導線ケアやサービスが必要だとしか言えない。
もちろん理屈は理屈だが覚悟は覚悟。この未来予想を理解した上で会場コンセプトデザイン対応で戦わなければ相手がパリでなくても勝算は少ない。
全てはオールジャパンで勝つ!それには先ず敵を知り己を知ることなはずだ。
国際万博は日本の祭典!だからといって単に日本の中で騒いで認知を広めて待望を訴えたところで決定会議のプレゼンでは何の役にも立たない。(大丈夫?大阪?)
そこでとどめの提言!「基本的に高齢者は介護(サポート)を求めていると最初から計算すべし!」
我々がここまで書いてきたことの大半は大阪万博独自の個性ではない。
開催地に名乗りを挙げるならば当然に有しているべきただの日本の事情による“標準システム”なのだから。
大阪……いや日本の万博らしいことなどほとんど書かずに終わってしまった。
これでも我々は考え抜いて、我々なりのエールを送っているつもりなのだが……
まあいい。所詮はコラムで書かれた空想の未来として我々は笑われたかっただけなのだから。
だがしかし、決して忘れて欲しくはない。会場内に入った時点で、あまりの人の多さ、混雑から「疲れてしまう」人々が多数発生しているであろう未来であることを。
個人のことであっても会場のシステムは対応しなければならない。
国民の3人の1人が65歳を超えているのに「こんなことになるとは思わなかった」などという言葉は極力耳にしたくないのだ。
さて、最後に2025年の大阪万博がカジノ構想とセットとなっている部分に少しだけ触れて、第1章を終わりとしたい。(まだ言うか!)
2025年の大阪万博開催が決定した場合は、間違いなく西日本を中心に産業は活況を呈するだろう。
そして「宴の後」の経済失速は、カジノ構想で補うなんて腹積もりではないのだろうか?万博開催は単にカジノのため……などとといったら過言だろうか?
その腹積もりが本気なら間違いなく大阪は近々に“都構想”を再考するはずだ。そうでなければ人も金も何もかも一点集中突破が難しいからだ。
万博開催地決定会議は2018年、来年の11月に行われる。相手年はパリ。一枚岩にならねば突破が難しいからこその“近々”なのだ。
先ずは大阪の出方に注目する他はない。
2020年の東京オリンピックよりも2025年の大阪万博がカジノ構想と親和性が高い理由の一つに「開催期間の長さ」、もう一つに「来場者数の規模(とくに海外からの)」を経験出来る点が大きい。(ポッカリ海上にある人工島でインフラ整備の再利用なんて言うまでもない。オリンピックなど再利用どころか負の遺産になりかねない)
オリンピックの開催期間は短く、万博の開催期間は長い。そしてオリンピックは「メディアを通して観戦が可能」で、万博は「会場に足を運ぶ体感」性質のイベント。
国庫に入るお金の桁が違う。
この国庫のお金も“国が豊かになる”という単純なモノではないだろう。人口減少で先細る税収による“何かに当てる”ことになるはずなのだから、日本国にとって重要な国際イベントとなることは今からでも明らかなのだ。
2025年は大阪万博期間内に多くの来場者に楽しみや満足を提供し、同時にそこは世界に対してカジノ構想の(やるかやらないかはともかくとして)強力なデモンストレーション、プレゼンテーションの場となるだろうことは間違いない。
「世界中の耳目を集め」「莫大な来場者数を体験しておく」ことこそ、2025年以降の“日本の未来社会をデザインする”ことに繋がるといってもこちらは過言ではないはずだ。
だがその前に、我々の周りには戦後日本における最大の国際イベント、そしてアジアで初めて開催された大阪万博1970を知らない人が多い。多すぎる。
これでは大阪万博2025が盛り上がるわけはない。
なんとかして現実的体感が出来ないものかを考え、1970年のデータを基にやがての2025年をもう少し形あるモノとして捉えていきたい。
なお本コラムの第2章、テーマは「花壇」。
おっと!万博がテーマでパビリオンからでもコンパニオンからでもなく「花壇」?という声が聞こえた。
そんなのどこにでもあるじゃん!という叫びも届いた。
そりゃその通りです。
でも万博にあって当たり前、万博にあったことくらい憶えているという方は多いと思うが、それが“どんな花壇”であったのかを答えられる人はまずいないはずだ。
2025年の万博にだってきっと花壇はある。共通するなら過去から学んでみようではないか!!(本当に学べるかはやってみなくちゃわからないけど……)
並走するコラムとして「1970年大阪万博駐車場から観たクルマの未来と日本」についても再現する。
「万博好きやん(scan)研究所」は2017年から2025年を予測し、1970年のすさまじい熱意を当時の日本の底力を「ディスカバリー&フューチャー(温故知新)」として、一年間に渡るコラムを開始する。
2025年がその先の「未来に向けて」ならば、私たちはまず2025年を時々の視点から予想しよう。
その第一歩が「花壇」なのだ。
1970年の実績データを基に私たちが考え提言することが、2025年大阪万博成功に向けた一つの道標となるならば、こんなに嬉しいことはない。
※(ところがどっこい!この基本原稿が4月19日に書かれたモノだから現実の万博状況がだいぶおろそかになってしまったので、少しだけ近々の2025年万博を書いてみたい。できれば海外の友人(オタク)も多いので外から見た日本(大阪)の感想も紹介できれば……と思う)
オマケとして今一度1970年と2025年の簡単なデータ対比を記載する。
【2025年大阪万博】
テーマ:「いのち輝く未来社会のデザイン」
開催期間:2025年5月3日から11月3日までの185日間。
会場予定地の人工島・夢洲(ゆめしま)160ha(大阪市此花区)での建設費を約1250億円、
運営費を約800~830億円と想定。
来場者数は2800万人から3000万人を見込んでいる。
………………
※大阪府より
【1970年大阪万博】
テーマ:「人類の進歩と調和」。
開催期間:1970年3月15日~9月13日(183日間)(開会式は3月14日)
面積:330ha
総入場者数:6,421万8,770人(うち外国人 約170万人)
目標入場者数:3,000万人(その後5,000万人に上方修正、結果6,000万人を超える)
………………
※独立行政法人日本万国博覧会記念機構より
-第一章の最後に-
私は先の万博で、3時間近く(……か、それ以上)並んでアメリカ館に展示されていた“月の石”を見ました。
47年後の現在。
日本は月の石どころか、火星軌道をはるかに超えた小天体“イトカワ”の微粒子を持っています。
そして1970年にはあれ程遠かった21世紀という未来を、なんと四半世紀も越えて再び日本で開かれるかもしれない国際博覧会の決定の寸前まで来ました。
だから分かるのです。
もう「未来」や「宇宙」にはそれほど憧れや夢を持ってなどいないということを。
私たちはもう、人類でもなく国際でもなく「地球」として考える時代を迎えつつある……いや、そうでなければならないということを何となく知っているのではないでしょうか?
だからこそ日本に“国際性”とやらを考えるチャンスがやってきたのだと思っています。
もちろんそれは、英語を話せる人が増えるなどということではありません。
“それが何か?”を、当研究所と一緒に考えてみませんか?
そんな訳で、この先も本コラムをよろしくお願いします。
さて、来年の2018年11月にパリに負ければ、2020年の東京オリンピックの開催前に万博の夢は消えて無くなります。
ただ座して2025年のパリ万博のオープニングをTVでライブ中継で観る未来があるだけです。
「えー?何言ってんの?また次の開催地決定会議で立候補すればいいじゃん!!」
そうでしょうか?
2025年より先の日本、そこは高齢者比率の更なる上昇と地震リスクが更に高まる国であることは否めません。
現在の2017年より状況的に不利になることはあっても有利に国際社会へプレゼンできることはあるのでしょうか?
この先日本はあっても日本での国際万国博覧会開催は、その意義を益々生み出しにくくなっているのではないか?と、私は考えているのです。
現在大阪で万博を計画して下さっている全ての皆さん。
2018年11月パリに(もしくは他国に)敗れた後で、次の万博は無いものと思ってぜひ頑張ってください。
全力を出しきって敗れるのは仕方がありません。
その時パリ(もしくは他国)に敗れれば称賛の拍手を送り、日本館の出展計画を始めましょう。
しかし、これだけの“国際博覧会”を油断や怠慢的な結果で敗れたくはありません。
2025年……万国博覧会を大阪で……。
これはきっと日本の……“未来”からの……切なる願いです。
祝!2025年の大阪万博開催決定!!
このコラムは本来、ミドルエッジらしく「温故知新」1970年の大阪万博当時の熱狂を多角的に振り返ってみよう!というテーマから始まりました。
しかしながらコラムを企画した2017年春、次なる2025年の万博候補地に大阪が立候補している事実から2025年の万博はこうあるべきではないか?を勝手に考察する展開へと移っていきました。
高度経済成長期に行われた前回の東京五輪と大阪万博に比して、次なる東京五輪と大阪万博は成熟期に突入した日本の今後あるべき姿を占う二大イベントとなることでしょう。
そのとき、何に備えて何を訴えるべきか。
奇しくも本コラムにて懸念していた一部の事象が2018年の大阪地区を襲った現実もあり、2025年に向けた諸々の対策はまさにこれから本番を迎えるのだと思います。
かつて「空想科学読本」がベストセラーとなった作家・木原浩勝氏を中心に、まさに勝手な応援コラムではありましたが、2025年の大阪万博を成功裏に終えるためにはオールジャパンで準備をすべきかと思います。
本コラムを最後までお読みいただき有難うございます。
万博成功へ向け、何かしらの提言としてお役立ていただけたならこんなに嬉しいことはありません。