体力 気力 免疫力UP作戦
家に帰って手術まで、竹原慎二はできるだけ免疫力を上げておこうといろいろなことを試みた。
まずは「ビワの葉こんにゃくシップ」
こんにゃくを茹でて温め、腹、膀胱の上辺りにビワの葉を貼って、上からタオルに包んだこんにゃくを乗せ、15分間安静にする。
これは低体温は免疫力を下げ、ガン細胞は増殖しやすいということ。
こんにゃくは洗って保存し何度が使用した。
これは生命力が豊かなビワを使った「ビワの葉治療法」という方法を参考に行われたもので、知り合いから大量にもらったビワは、シップだけでなく、葉っぱや種を玄米焼酎に漬け、エキスをつくり、それを飲んだり、漬け種を食べた。
ビワ以外にも、フコイダン(モズク、コンブ、ワカメなどの海藻に含まれる滑り成分)、野菜ジュース、ノニジュース、ヤクルト400など食事療法、水分をとりながら風呂にしっかり浸かって体温を上げる温浴療法も行った。
入院中に低下するであろう体力と気力を養うために散歩やゴルフに行き、当分休むことになるジムにも顔を出した。
そしてできるだけ笑うことも意識した。
子供のこと、親のこと、保険、ローン、仕事、葬儀・・・
入院中に何かあったときのために、妻に自分の思いを伝えた。
どうしても自分の口からいっておかなければならないことも・・・
「延命治療はしなくていいからね。
自分が逆の立場でもきっとそうするから最後は楽にしてほしい。
頼んだよ」
その一方で
また退院後に達成する目標を10個立ててノートに書いた。
「息子が20歳になったら寿司屋でサシ飲み」
「娘の高校の卒業式は校門の前で肩を組んで写真を撮る」
「フルマラソン完走」
・・・
気持ちが沈みかけたら、目標だけでなくやりたいことや前向きな言葉を書いた。
カラオケに行き3時間、熱唱したり、パワースポットに行ったり、鏡をみて無理やり笑ってみたり、お笑いのDVDを観た。
積極的に周囲の人に
「ありがとう」
といい、夜は起きているとアレコレ考えてしまうので寝た。
それでも苦しいときは涙が止まるまで泣いた。
入院前日は、夫婦でゴルフをして、夕方から家族で食事。
アルコールや肉類は控えていたが、赤ワインとモヒートを飲み、鶏肉も食べた。
6月9日、入院当日。
早起きして、ゆっくり風呂に入り、野菜ジュースを飲む。
(絶対に勝つぞ)
昼食から流動食が出された。
これ以降は病院が出すもの以外食べられなくなるというので、最後に売店の弁当を食べた。
執刀医から最後の説明があり、同意書にサインした。
手術で膀胱を全摘すれば尿路変更をしなければならない。
その方法は、「回腸導管」と「新膀胱」の2つがあり、以前から竹原慎二は選択を迫られた。
「回腸導管」は、臍の横に排出口をつくって袋をつける方法。
「新膀胱」は、自分の小腸を50㎝ほど切り取って新しい膀胱をつくる方法。
新膀胱は、外見がいいが、合併症や再発のリスクがあった。
また脳とつながっていないので尿意を感じない。
尿を試すぎると巨大膀胱になってしまうと元に戻らない。
一定の時間おきにトイレに行かなくてはならず、夜中も起きなければならない。
回腸導管は、一見、グロテスクだが、袋に溜まった尿をトイレに捨てる方式なので夜も起きなくてよい。
また合併症や転移の心配はない。
よくよく考えたうえで、竹原慎二は新膀胱を選択した。
しかし手術開始後、すぐに麻酔で眠っている竹原慎二の尿道から細胞をとって、ガンがないか検査をする。
もし尿道にガンが発見されたら、尿道も摘出されてしまう。
新膀胱手術はできなくなり、回腸導管手術に切り替わる。
そのときに備え、竹原慎二の脇腹には、袋をつける位置にマジックでマーキングが行われ、消えないように透明なシールが貼られた。
手術
6月11日、手術前日、腸の中を空にするため下剤を2リットル飲んだ。
夜ご飯はカットされた。
夜、1人で寝ていると明日の手術が心配で不安でたまらなかった。
(もし死んだらどうなるんだ?
家は?
子供はどうなる?)
ボクシングでも、試合が近づいてくると、孤独になり追い詰められた。
そして襲ってくる恐怖心と向き合い、克服する方法は
「勝つしかないんだ」
という結論に達した。
勝つためにできることは練習しかなく、練習に没頭し恐怖心を封じ込めた。
試合当日は今までやってきたことを思い出す。
「勝つ、勝つ、勝つ、絶対勝つ
勝つのは俺じゃ」
自分に暗示をかけて闘争心を掻き立て、リングに上がった。
手術前夜、1人の病室でも同じように言い聞かせた。
(大丈夫だ。
勝つ、勝つ、絶対に勝つ)
6月12日、朝から看護師が血圧を測ったり点滴を入れたりして手術の準備をした。
(もうやるだけだ)
竹原慎二の気持ちはスッキリしていた。
時間になると手術室まで、自分でスタンドに吊るした点滴を押しながら歩いていった。
そして手術室に入り、ベッドに寝て、口にマスクを当てられ、注射をされた。
竹原慎二は、それ以降の記憶が全くない。
こうして8時半に手術が始まった。
「竹原さん、終わりましたよ」
看護師の声で目を覚ました竹原慎二は手術室のベッドの上にいた。
8時間の予定だった手術だったが、11時間かかっていた。
摘出した膀胱は、病理検査に出され、2週間後に結果が出るという。
出血量は、1ℓあり、手術前に採った自分の血が輸血された。
21時30分、竹原慎二はICUで家族と会った。
ICUに入る面会者は持ち物を外に置き、消毒をしてマスクをして入らなければならなかった。
「パパ」
「ああ」
竹原慎二はまだ麻酔が効いてボーっとしていた。
「予定通りの手術だったよ」
「いま何時?」
「夜の9時半だよ」
面会時間が過ぎ、家族が帰り、薄暗くなったICUの中で1人になった竹原慎二を、痛みが襲ってきた
麻酔が切れ、腹をえぐるような今まで味わったことがないようなとんでもない強烈な痛さだった。
「痛いです」
何本も管がつながっていた体でナースコールを押し、点滴に痛み止めを入れてもらった。
しかし全然効かなかった。
そして次に寒さが襲ってきた。
「寒いです」
看護師が湯たんぽを足に当ててくれ、少し楽になったが、今度は暑くなった。
「暑いです」
湯たんぽがとられ少し布団ををめくってもらった
エコノミー症候群を予防するため、脚にはキツいタイツを履かされた。
その上に袋が巻かれ、エアーで膨らんだり抜けたりしてマッサージされるのも痛かった。
「痛い、痛いです」
たまらずナースコールした。
痛い、寒い、暑いの繰り返しが朝まで続いた。
術後の痛みは、筋肉が多い人ほど大きい傾向があった。
また竹原慎二は、手術中の麻酔の効きも悪く、最大量が投与されたため、術後の痛み止めが打てなかった。
生きるために行った手術の後は地獄の苦しみだった。
新膀胱
6月13日、ICUから病室へ移動。
「竹原さん、歩きますよ~」
腸閉塞予防のための歩行があったが、看護師4人に抱えられても竹原慎二は痛みがひどくて起き上がることもできず中止された。
翌日から歩くことが日課になった。
最初は20歩が限界だったが、少しずつ距離と回数を伸ばしていった。
左わき腹には管が入っていたが、そこから黄色いリンパ液が漏れた。
自力で体温調節ができず、汗だくになるほど暑くなると冷房を入れ氷枕を持ってきてもらい、震えるほど寒くなると暖房を入れ湯たんぽを持ってきてもらった。
内臓をえぐり取られた痛みは凄まじく、寝ていても座っていても、どんな体勢でも痛かった。
術後3日目にやっと座れるようになったがずっと痛かった。
術後4日目の昼から食事が出た。
重湯とヨーグルトとコーンスープだった。
竹原慎二は新膀胱をつくるために小腸を50㎝ほど切った。
その傷が治るまで固形物は食べられなかった。
術後5日目から体に入っていた管が1本抜かれた。
その後も1本ずつ抜かれていった。
術後8日目、抜糸。
食事制限もなくなった。
そして新膀胱を洗浄した。
自分の小腸でつくった新膀胱は、摘出した膀胱の代わりに尿管と尿道へ繋げられていた。
体重は入院前より11㎏減っていた。
もともと87~90㎏あった体重が、抗ガン剤で80㎏になり、手術によって76㎏になった。
現役時代は、普段は練習をして食って82㎏、試合では絞ってミドル級のリミット、72.5㎏まで落としていた。
しかし術後の減量は筋肉も体力も落ちていた。
術後13日目、病理検査の結果が出た。
摘出した膀胱にはガンがあった。
そして転移があった骨盤のリンパ節からガンは消えていた。
これにより予定されていた術後の抗ガン剤治療はなくなった
医師はいった。
「おそらく抗ガン剤がよく効いたと思うが、ここまで良い結果が出るのはなかなか珍しい。
何らかの免疫機能が働いたと考えられる。
それでももちろん今後の転移の確率はゼロではない。
それは今後、外来の定期健診でしっかり診ていきましょう」
ガンになってから初めて、竹原慎二は心から笑顔になれた。
術後14日目、体に入っていた管は1本になっていた。
自分の小腸でつくり、摘出した膀胱の代わりに尿管と尿道につけられた新膀胱には、いきなり尿を流すことはできず、腎臓から管を通して外へ排尿していた。
造影剤を入れてレントゲンを撮って、新膀胱から漏れがないか確認したところ、まだ完全にふさがっておらず管は抜けなかった。
術後19日目、最後の管が抜かれた。
同時に竹原慎二のトイレトレーニングが始まった。
初めて新膀胱に尿が貯められるのだが、最初は自分の意思に関係なくダダ漏れだった。
徐々に新膀胱に貯められるようになった。
すると今度は貯めすぎないようにしなければならない。
量にして200~300ml、時間にすると2時間くらい、たくさん水分をとればもっと早く、たくさん汗をかいたらもう少し長い時間貯められる。
しかし新膀胱は、本物の膀胱のように伸び縮みができない。
たくさん尿を貯めると水風船のように膨らむことはできるが自力で縮むことはできない。
たくさんの尿を貯めることを繰り返していると巨大膀胱となってしまい元に戻らなくなってしまう。
竹原慎二は、排尿した時間と量を記録した。
夜中も起きて排尿し、飲みすぎにも気をつけた。
退院は、ガン治療の終わりではなく始まり
退院は、ガン治療の終わりではなく始まりだった。
免疫力は抗ガン剤や手術で下がってしまっている。
自己免疫力を上げていく努力をしていかなければならない。
新膀胱は順調に育っていたが、右脚と左の大腿内側に痺れがあった。
(3~4ヵ月後から徐々に回復していった)
7月22日、竹原慎二は、抗ガン剤や手術を受ける前に採取しておいたリンパ球を培養し、点滴で身体に戻す免疫療法を行った。
1回の投与は約40分。
自分のリンパ球のため副作用はないが、リンパ球を急に戻すために免疫反応により、38度の高熱が出て、翌日には40度になった。
これは無理に下げてはならないため氷枕やアイスノンを脇に挟んで耐えるしかなかった。
7月25日、やっと熱が下がったと思ったら2度目の投与が行われ、38度の熱が出た。
週2回全12回、これを繰り返していき、8月28日に最後の投与が行われた。
妻:竹原香織も強かった
こうして約5ヵ月間、入退院を繰り返しながら、抗ガン剤治療、手術、免疫療法を終えたその日、妻はずっと決めていたことを実行した。
A医師に電話をしたのだ。
「奥さんどうしてた?
あれから心配していたんだよ。
チャンピオンは元気?
膀胱は全摘したの?」
「ええ、今日すべての治療が終わりました。
あなたの誤診のせいで種仁は命の危険にさらされ膀胱を失いました。
あなたはご自身の誤診をどうお考えなのでしょうか?」
「なに?なに?どういうこと?」
「主人はあなたのことを信頼していました。
体調不良を感じ、あなたを頼ったのです。
それを1年もの間、膀胱炎、前立腺炎、前立腺肥大と誤診しましたよね」
「それは・・カルテをみないと・・
えっ?
チャンピオンはいまどうしてるの?
手術はしたんだよね?
お見舞いとかいってもいいかな?
チャンピオンに会いたいよ」
「それは私からはお返事できません。
あなたと会うかどうかは主人本人に聞いてください」
「僕は長い間チャンピオンと友達だったんだ」
「原因がわからないならわからないと、どうしていってくれなかったんですか?
あなたが適当な病名をつけ薬を出し続けたせいで本当の病気を発見するのが遅れたんです。
どうしてそんないいかげんな診断をしたんですか?
どうして細胞診検査をしてくれなかったんですか?
どうして専門医に繋いでくれなかったんですか?」
「奥さん、僕どうしたらいい?」
「これは私からのお願いです。
どうか主人に謝ってください。
謝ってください!!」
「えっ、謝る?
あっ、謝ればいいの?」
「何を謝るかわかっていますか?
自分の誤診のせいで命の危険にさらし膀胱を失わせてしまって申し訳なかったと心から謝罪してください」
「そういう意味?
それは・・ 僕はそのときそのときちゃんと診て・・・
あっ奥さん、今日はもう遅いから近々必ず電話するから。
えっ、あっ、明日か明後日必ず電話するから」
A医師は電話を切った。
それ以来、A医師から電話はなかった。
妻も竹原慎二と同様、ノートをつけていた。
診察時に医師のいったこと、病院からもらった検査結果や医師の説明メモ、自分からみた記録。
インターネットや本で得た情報。
そして自分の思いや、いい言葉も書いていた。
「病院探しや治療選びよりもまず心構え」
「ガンに負けてしまう人と克服する人
そのいちばんの大きな違いは気持ちの持ち方
心のありようはからだに大きな影響を及ぼす
ガンと聞いてガックリしてしまう人と
ガンと聞いて闘争心を燃やす人とでは
その先にまったく違う結果が待っている
もうダメだ-と思ったらほんとうにダメなのです
自分は絶対に大丈夫!
きっと治ってみせる
そう思って前向きにガンと戦うことが大事
気持ちの持ち方で3倍以上の治癒率が上がる」
退院時にはノートは3冊目になっていた。
「食事」「運動」「笑い」
2014年10月25日、TBSの「爆報!THE フライデー」で、竹原慎二は、自らガンを公表した。
その後、いろいろなメディアで、竹原慎二の体験が紹介された。
その中で、A医師の誤診について
「竹原慎二とA医師が知り合いだったことが、A医師に客観的な視点を失わせた」
と解説する専門家もいた。
竹原慎二は、それを聞いて妙に納得してしまったこともあった。
退院前、医師から
「これをしてはいけない」
「これを食べてはいけない」
など具体的な再発、転医を予防する食事や生活習慣のアドバイスはなく、退院後は、自分で模索し実行していくしかなかった。
竹原慎二は、食べ物を買うときは、食品表示ラベルをみるようにして、できるだけ無添加のもの、添加物、発ガン性の少ないものを選ぶようになった。
肉をやめ、無農薬の野菜や発酵食品をたくさん食べるようにした。
常に体温計を用意し、頻繁に体温を測り、体温と免疫力を上げる努力をした。
睡眠の質と量に注意し、体温と免疫力アップの効果があるという漢方薬も試した。
術後76㎏まで落ちた体重は、すぐに10㎏増えたが、一時的な飢餓状態は眠っていた免疫系の活動を促すと知り、1ヵ月に1日だけ断食を行った。
竹原慎二の新膀胱は順調に成長し、どんどん尿が貯められるようになっていったが、巨大膀胱にならないようマメにトイレにいった。
西洋医学におけるガンの3大療法は「抗ガン剤」「手術」「放射線」で、竹原慎二は、このうち2つを受けた。
そして退院後の3大療法は「食事」「運動」「笑い」だった。
「あのときこうしていたら・・・」
「ああしていれば・・・」
ガンになって、タラレバ、後悔、凹みを繰り返した時期もあったが、その結果、得た教訓があった。
「どうせ生きるなら明るく前向きにいこう」
もう1つ、ガンになってわかったことがあった。
それは
「人は1人では生きられないということ」
ということだった
若い頃から「オレが、オレが」と突き進んできた竹原慎二だったが、たくさんの人に支えられて今の自分があることに改めて気づいた。
2016年、術後2年3ヵ月の定期検診を受けた。
これまで4ヵ月に1度のペースで検診を受けてきた。
その度に再発や転移が起こっていないかドキドキした。
採血、採尿、CT撮影をした結果、今回も問題はなかった。
竹原慎二は、毎年12月の第2日曜日に開催されるホノルルマラソンへの挑戦を決めた。
(完全復活するんじゃ)
そして半年間、練習を積んだ。
2016年12月11日、ホノルルマラソンの当日。
竹原慎二は、フルマラソンは3回目だったが、今回の目標は
「5時間切り」
だった。
実際に走ってみると、途中から体のあちこちが痛み出し、何度も止まったり、歩いたこともあったが、
(ここで走らないと5時間は切れない)
と再び走り始めた。
(気持ち、気持ち、気持ちで負けない。
気持ちで負けたらすべてが終わる。
前を向いて、前を向いて、止まるな!)
ただただゴールを目指し、完走した。
タイムは4時間56分だった。
ガンになって竹原慎二は人生観が変わった。
「できるだけ長生きしてできるだけ遊びまくる」
と思っていたが
「何年生きるかではなくどう充実して生きるか」
と思うようになった。
そしてそのためには、常に笑顔で楽しく前向きに生きていくことが大切だった。